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鬱病の友達について ※長文
20代前半の女です。 同い年の女友達についてです。 その女友達は大学院生なのですが、今年の初めくらいから鬱病を発症し、現在は大学院を休学しています。 (薬を飲み過ぎて自殺未遂もしています。) よく「死にたい、具合が悪い」という内容のLINEが届くのですが、最初はかなり心配して返していたのですが、このやりとりが現在まで続いてるので少しずつ疲れてきました。 それでも大学院では孤立し、(休学中ですがたまに無理して大学院へ行ってるみたいです。)友達が私しか居ない状態なので、頑張って返信してきました。 そんな彼女ですが、最近になり彼氏が欲しいらしく、LINEで「彼氏が欲しい、男と知り合いたい」と言ってくるようになりました。 そこで彼女にも了解をとり、近場の街コンを予約しました。 昨日にコンビニで代金を払ったのですが、払い終わった後に、「街コンで私と合う人は来ない、街コンはあなたが遊び相手を作る目的で参加するんでしょう」と言われました。 その発言で私が顔には出してないと思いますが、ブチ切れてしまい、家に帰って勝手に街コンをキャンセルをしてしまいました。 その趣旨を伝えると一応謝ってきたのですが、それでも怒りが収まらずにとうとう「距離を置きたい」と言ってしまいました。あっさり「わかった」と言われてしまいまたイライラ。 現在かなりモヤモヤとイライラです。 今まで親身になって支えてたのがバカらしくて仕方がないです。 絶交しても構わないのでしょうか。 私のとった行動は正しかったのでしょうか。 見てくださった方、良ければご意見下さい。 宜しくお願い致します。 《追記》 ★「彼氏が欲しい」というので私なりに考えてアドバイスをしていたのですが、お互いの異性の価値観が違いすぎて何度かケンカになりそうでした。このやりとりも今回の引き金となりました。 ★現在精神科へ通院中です。
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絶交しようが放り出そうが一向に差し支えはありません。 むしろ心配なのは質問者さんの方です。 後になってもう少しなんとかしてやればよかった、などと心のわだかまりになっていつもモヤモヤするようになります。 現代の鬱病の大半は、自分の要求水準が高すぎてそれを超えられないことから起きているものが多く、医学的な鬱病が少ないのが実際のところです。 早い話がわがままの処理を自分でできないことによるものです。 院生のようですが、院の研究活動についていけなくなった自分の能力を認めたくないからグズグズ言っているだけです。 院にまで進学したというプライドにとらわれてしまっています。 高学歴者や一流会社の社員に多くみられる現象です。 厄介なのが、鬱病の診断というのが、他の病気のように血圧だのなんだのという客観的な測定値がないために、医者も患者の自己申告に頼る以外に方法が無いということです。 問診による基準も単にアメリカで使われている基準を流用しているだけです。 患者が鬱だ鬱だと言えば、鬱病と診断を下す以外に方法がありません。 医者も商売ですから薬物を投与します。 例えば、ダルビッシュ投手や田中投手が、150km投げられなくなれば深刻な問題ですが、草野球の投手なら130kmでも立派にエースで近所の人気者になります。 所詮草野球のレベルの能力しか持ち合わせていなかったのに、プロ集団に放り込まれて相手にされなくなったのを悩んでいるのと同じです。 今般の理研の論文問題も根は同じです。 いい加減で今までスルスルきてしまったために起きた問題です。 論文制度の不備云々以前の問題です。 お友達も全く同じです。 己を知れ!としか言いようがありません。 ただ友人としてはこの一言は到底言えません。 だからと言って、言わなければならない責任も義務もありません。 放りだしたからと言って責任を感じる必要は毛頭ありません。 ナイチンゲールもマザーテレサも江戸時代の武家の子弟教育でも、同情や憐れみや責任感では奉仕活動などはできない、あるいはやるなと言っています。 人様に奉仕するというのは、簡単な話ではありません。 奉仕活動をやっておられる方々は自分は奉仕している、などという考えかたはしていません。 まぁ~いい人生経験をしたと思ってください。 この先長い人生同じようなことが度々起きます。
- iapetus
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特に、神経症(鬱病など)は、心に障害を負った状態なので、周囲が期待した通りの精神活動の結果が返って来ない、そういう病気です。 例えるなら、筋肉に炎症を起こして脚に問題を抱えている人に対し、「走れ!」とか、「脚を引き摺って歩かないで!」と言うのに近いものがあると思います。 でも実際は、脚を引き摺っているのに気付いたのなら、恐らく多くのは、脚の悪い人の歩くペースに自然に合わせたり、走らせたりしない、という気遣いをするでしょう。 しかし、心の問題は、他人からは絶対に見ることができないため、脚の問題のように、他人が本人の立場に身を置き換えて客観的に対応することが非常に難しいのです。 鬱病は、「心」に酷い傷が付き、言わば慢性的な炎症を起こしたのに例えられる状態と言えると、経験からそう思います。 だから、炎症を起こしている脚の患部に触れたり、動かしたりすると痛いのと同じように、心に本人がプレッシャーと感じる事態が起こったり、鬱病の問題点として「怠けているように見える」という性質から、他人より非難や叱責を受け易く、さらに傷つくという負のパターンが存在するのです。 確かに、こんなにも目を掛けてやったのに、裏切られたことが許せない!という感情は至極当然のことだとは思いますので、良かったとか悪かったとかいうことではないでしょう。 ただ、非難されたことは、鬱病の人にとって、些か酷だったかもしれませんね。 恐らく彼女は、そんな経験をずっと繰り返していて、今回の件でカリカリしつつも、「また、やっぱこうなっちゃったか・・・」という風な、「自分に」原因があることは認めつつも、受け入れがたいその現実に、心を苛んでいる部分があるはずです。 鬱病の人は、価値観を広く持つ余裕がない事(それが、外部からの情報との葛藤を生み、ひいては心を蝕む原因でもあるのですが)が多く、「絶対こっちの方が得策だから」とアドバイスを受け入れさせようとしても、上手く行かないでしょう。 喧嘩別れしてしまわれたようですが、それでもここに質問された、ということは、このまま彼女を見捨ててよいものかの確認の意味もあるのですよね。 まぁ、主さんも相手も、売り言葉に買い言葉でついエキサイトしてしまったのだとは思います。 もし、主さん側から歩み寄っても、多分また彼女は似たような裏切りをすると思いますから、喧嘩両成敗で、当面放っておくしかないかもしれません。 でも、彼女の方から再アプローチしてきたときは、受け入れてあげればよろしいのではないでしょうか。 その時こそ、彼女からの理不尽な物言いをされたら、応酬する前に「なんでそんな事を言ったのか」、一呼吸置いて客観的に分析すると、つい怒ってしまうケースはずっと少なくなると思います。