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障害者支援の方
Q健常者は指摘を受けたら自分の原因 も探り、治す努力をする。他人を思いやる気持ちがあ る。 一方で、発達障害は自分がいつも正しいと勘違いし、仮に言葉だけ分かりましたと言っても、 本心では納得しない。改善の努力をしない。他人への思いやりは全くない。 と(この質問者)の友人が言ってました。 私は、発達障害者だけでなく、健常者の中にも素直な人と厄介な人といるとおもうのですが。 という質問がありました。 その質問の中の回答に、 友人が言う厄介は意思の疏通が難しいという意味ではないでしょうか。発達障害の方は感情を読むのが苦手で、ちょっとしたニュアンスも通じなかったり混乱したりしますが、健常者の厄 介者は悪意があったり、ひねくれてい ても分かってしているので受ける側も 対応しやすかったりします。 とありました。 この回答者の 「発達障害者は微妙なニュアンスを感じ取れないから意志疎通がとりにくい」 「健常者の厄介者は悪意があったり、ひねくれていても分かってしているので、受ける側も対 応しやすい」 発達障害の私から見たら、どちらも厄介におもうのですが、健常者の感覚は違うのでしょうか? この回答者が言ってる意味はどういう意味なんでしょうか? 障害者支援(中立的な立場)の方、通訳をお願いします<(_ _)>
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- pg8mw
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発達障害者と定型発達者は、多数派と少数派の関係なのですね。そもそも脳機能が違う両者は、同じものを見たり経験しても同じ受け取り方をしないのですよ。定型発達者は、多数派なので自分の感覚に共感される経験が比較的に多く育ちますので、他者に共感性を求める傾向が強い人となります。発達障害者は、少数派なので自分の感覚が共感される経験が少なく育ちます。だから、発達障害者の特徴として挙げられる「共感やニュアンスの受け取りが苦手」は、発達障害者の症状では無くて、少数派であるが故の避けがたい心理的作用なのです。これは、発達障害者と定型発達者の関係性から生じる問題なのです。 また、多数派が少数派に向けて自分達に合わせる事を要求し、その要求が少数派の生活を助けると考えているのも、大きな間違いです。この社会において、多数派は多数派でなければ生存出来ない機能性だから多数派なのですよ。少数派は少数派とし生存が可能だから少数派なんです。発達障害者の存在をわざわざ定型発達者が障害や症状として定義するのも、それが定型発達者の生活にとって必要な事だからで、発達障害者を救済する為のものでは無いのです。多数派が少数派と関わる際生じる生活上差し障りがある事を、多数派の問題では無く少数派の問題としてクリアしたい戦略に過ぎません。その戦略はどの時代においても多数派の常套手段です。それでも、発達障害者は常に少数派として生存して来たのが、人類発生以来ある事実です。また、この多数派対少数派比率が社会にとって便利なのですね。 この質問文にある、質問者回答者も、定型発達者らしい健全さで、自分達にとって都合良く概念化された要求を、発達障害者の話しとして述べているに過ぎません。発達障害者には関係の無い事です。