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性同一性障害(男→女)について
- 性同一性障害を抱える女性が普通に働く中での問題や周囲の受け入れについて語ります。
- 女性としての自己実現を叶えるために取り組んでいる性同一性障害の治療や変化について紹介します。
- 女性の視点から見た性同一性障害を持つ人の存在に対する理解や意見を聞きたいです。
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no1です。 補足を読ませていただきました。 そうでしょうね・・きっと多くの方が、karina2007さんの 話を聞いたら、生きる勇気や感動すると思います。 自分は、そういう悩みをお持ちの方は、失礼になると は思いますが、夜のお仕事をされている方が多いと 思っていました(すみません・・)。 でも、普通の会社員として働かれているという事で、 更にすごいと思いますし、同じ悩みを持つ方の大きな 希望の星でもあると思いますし、生きる勇気に多いに なると思います。人救いになると思います。 また、様々な病気や悩んでいる方にも、自分も頑張ろう と思えるのではないでしょうか・・ もう、そういった話があられるのかもしれませんが、 御自分の体験や生き様を本にされたり、もっと多くの場 でお話をされては如何でしょうか?多くの方が、励まされて、 生きる勇気や希望を貰えると思います。 自分の知っている方で、古市佳央さんという方がいらっ しゃいます。 その方は、高校生の時にバイクの事故で大やけどをされ てしまった方です。それまでは、イケメンで背も高く、かな り女性にモテモテだった方が、その事故で顔にも大やけど をされてしまい、火傷が体中に残ってしまい、でもそこから 這い上がられてきた方です。 その方が、今は御自分の体験を全国を回られて、公演され ていらっしゃいます。 その方は、全国講師オーディション2013年の優勝者です。 今年も行われたそうなのですが、今年は2013年の古市さん のお話を超える方がいらっしゃらなくて、優勝者は居なかった という事でした。 やはり、実体験というのは、それだけ人の心を打たれるのも だと思いますし、それに勝るものは無いと思います。 古市さんは、テレビにもラジオにも出られたりもしています。 参考までに古市さんのメルマガのアドレスをご紹介します。 mail@openheart.tv 今の世の中の為にも、色々と悩みを抱えている方の為にも、 そういった講演もされてみられては・・と自分は思います。 本当にお世辞じゃなくて、人救いになると思います。 karina2007さんのお話を聞いて、命を救われる方もきっとい らっしゃると思います。 性同一性障がいで悩まれている方は、多いと聞きます。 そういった方やその御家族には、本当に大きな生きる勇気に なると思います。 自分も、お話し聞いてみたいと思いました。 古市さんとはまた違った、多くの方に感動と勇気をkarina2007 さんのお話は与えられると思います! ・・全国講師オーディション、詳しくは自分は知らないのですが、 でもそういった事もあるようです。
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no1,no2・・・です。 そうでしたか・・本当に色々とあられたんですね・・大変でしたね・・ 本当に色々な大変な事を経験されているので、本当に色々な方へアドバイスが出来ますね! 鬱と躁鬱の違いも、あまり知らなかったので、勉強になりました。 自分は、今は一応は、お蔭様で回復には向かっています。かなり長い事掛かってしまいましたが・・ あとは、薬を完全に止める事を目標にしています。 自殺願望が出てきてしまって(別の病院で、それは薬の影響だと言われました)、なのでやはり薬は良くないと痛感しています。 今・・徐々に徐々に減らして行っている状況です。 あと、病気になって、家族の理解を長年得られなかったので、とにかく一人色な治療所を回り、良いという事は何でもやって来ました。 家事なども、やらないと家に居れなかったので、ずっとやって来ました。 とにかく頑張ってきました・・その疲れが今は出てて、今は以前より、家族も病気の事をやっと理解してくれているので、今はがんばらない事を 目標に、自分の感情ややりたいことをすることが治療だと思い、そうやって生きています・・ 笑顔は大切ですね。本当に心から笑って過ごせる日が来ると良いなと思います!
お礼
c-35-y様 鬱になったときの言いようのない圧迫感は、他の人には理解しがたいものがありますよね。それが身内になるほど精神的な病を強く否定しがちになり、頑なに受け入れてもらうことができないのです。少なくとも私を含め、知人も家族から躁鬱病を理解してもらえず、仕方なく自分から家族との縁を切り、一人暮らしをすることになったのです。 幸い私の場合は周囲の環境に恵まれ、また行政のサポート(ヘルパーさん)の受けることができているので、生活面での不安はありません。 ただ過去の不摂生により、7年前に脳梗塞(早期発見で投薬のみ)、2年前に狭心症(カテーテル手術2ヶ所)を患ったのと、現在はメニエール病になっていて、躁鬱病のお薬も合わせると一日に飲む量がすごいことになっています。だけど症状を緩和するためと、特に狭心症のお薬は直接命に関わっていますので、忘れることなく飲んでいます。もちろん生活習慣(食事内容、適度な運動など)も改善しています。 c-35-y様も仰るように笑顔の生活を心掛けて、他の人の言動に左右されない芯のある人間になれたらと思っています。 c-35-y様の病状が一日でも早く軽減されますことを祈りつつ、これまでいただいた温かいお言葉を心の糧として私自身も前向きに生きていきます。ありがとうございました。 PS. 誤字脱字が非常に多かったこと申し訳ありませんでした。
no1,no2、no7です。 まずは、ベストアンサーに選んで頂き、恐縮です・・。そのお礼を忘れていました・・すみません。 お礼拝見させて頂きました。 本当に色々とあられたんですね・・。 でもそれも経験ですよね・・ 大変な事だったとは思いますが、でもそういった経験も同じような経験をされた方へ、経験され ているからアドバイスができる・・死の淵をさまよわれて、生還された事は、凄い経験だと思い ますので・・。 弱い人間なんかじゃないですよ。本当にちゃんとされてる。色々と乗り越えられて、ちゃんと社会 人としても仕事をされている。本当に尊敬です・・。 だからこそ、karina2007さんのお話は説得力があると思います。 自分なんかが、色々と偉そうな アドバイスをすみません・・ でも、始め質問を見た時に、テレビとか、新聞に紹介されるような方なんじゃないの?!・・と本当 に思ったもので・・ これからが本当に楽しみですね! 自分も、まずは薬を徐々に減らして、無くすようにし、元の健康体に戻すのが目標です。 焦らず頑張り過ぎずが当座の自分の目標です・笑。 また、自分も、自分の経験が少しでも役に立つことが有れば・・と思います。 色々とありがとうございましたm(_ _)m。
お礼
c-35-y様 うつ病は焦らずお薬と気持ちをコントロールすれば治る病気です。私の知人にも何人かうつ病で会社を半年くらい休職しながら治療に専念し、現在は完治して元の職場に復帰しました。ですから今は病気と向き合いつつ心を平静に努めるようにされると良いのではと思います。 精神病学で言うと、うつや躁うつ病は気分障害に含まれますが、相違点はうつの場合病状が安定しているときはとても穏やかでまったく普通の方と変わらないのに対し、躁うつでは気分の上下が激しすぎて、いわゆる落ち着いた状態が極端に短いのです。ほんの些細なきっかけで感情が爆発してしまい、自分の考え方や自分の言うことが正義で相手の気持ちなど考えずに罵ってしまうことが多く、自分ではそんな気持ちがなくても多くの人の心を傷つけてきました。これは気分安定剤を飲んでいる現在でもまれに感情が暴走すると自分でも制御できなくなり、あとから落ち着いたとき一気にうつ状態へ陥り、自責の念ばかりでそれが原因で辞めた会社も何社かあります。加えて肉親や親類へも数え切れないくらい迷惑をかけ続け、10年ほど前に親戚から、そして6年前には肉親(親兄弟)から完全に縁を切られたのです。その後、躁うつで入院する際も保証人を頼もうとしても縁が切れてるから勝手にしろと言われ、仕方なく生活保護の手続きをして保護入院という形で閉鎖病棟に入ったのです。 半年後に退院できたのですが、住居が無ければ退院はできないと言われ、何とか社員寮のある会社に入社が決まり、ようやく退院できることになったのです。 だけど、制限のあった入院生活の反動で再び躁状態が再発し、その時は衝動買いとギャンブル(パチンコ)が酷くなり、給料をいただいても半月過ぎないうちに食費も危ない状態が3ヶ月くらい続きました。 当時通院していたクリニックでは適切な指導を受けることができなかったことに加え、処方薬も抗うつ剤と安定剤しかもらってなかったものですから、躁状態が抑え切れてなかったのです。いくら私が普段の言動や行動を伝えても真剣に取り合ってもらえず、不信感が募り現在の病院へ勝手に転院しました。現在の主治医はすぐに私の病状を見抜き、適切なアドバイスと処方をしていただいたおかげで、ようやく落ち着いた生活を送れるようになったのです。私が気付いたのは患者とドクターは相性と共に、病気への取り組む方向性が一致しないと完治しないにしても病状は軽くなるものだとつくづく感じた次第です。 c-35-y様も気分が落ちることがあっても、そのことを引きずることがないように、小さくて他愛のないことでもかまいませんから、何か目標なりやるべきことを見つけるようにして下さい。私の例をあげれば、今日はお風呂掃除しようとか、お部屋の掃除をするとか、また1時間くらい読書しようなどでもいいのです。小さな積み重ねが自分への自信に変わってきます。そうすると今まで無表情だった顔が知らないうちに微笑みが出てきます。自分が変われば周囲の応対も変わってきます。今まではマイナスのスパイラルが笑顔になるだけでプラスの上昇スパイラルへ変わります。あとは上昇気流に乗ってc-35-y様の夢の実現へ向かって更なる素敵な笑顔を周りの皆さんへ与えて下さい。 偉そうなことを言って申し訳ありませんが、私も現在気分の浮き沈み関係無く、できるだけ笑顔の多い一日を過ごしています。笑顔と不機嫌な顔、周囲から見たら笑顔のほうがいいですから、できるだけ同僚、上司、また友人へも話しかけるときはできるだけ微笑んで語りかけるようにしています。笑顔が潤滑剤になり会話もスムーズになり、仕事関係、友人関係は心配することが無くなりました。 毎日がいろいろな意味で勉強の毎日ですが、この機会を与えていただいたことに感謝しつつ、この思いを多くの人たちに伝えたくて仕方ないのです。幸せな人がひとりでもふえて下さることが私の喜びになるのです。c-35-y様も現在の逆境を乗り越え幸せな人生を歩んでええ行かれることを心より願っています。 長文失礼しましいた。
no1,no2です。 自分自身の事で恐縮なんですが、自分はうつを患っていまして、家族とも結構もめてしまい・汗、昨日今日と出かけていて、ずっと気になりつつ回答遅くなってできなくてすみません・・ 補足さらに読ませていただきました・・更に凄い方だな・・と思いました。もし自分だったら、生きてこれるかな・・?!本当に厳しい中を生きてこられたんですね・・ その事だけでも、凄い事なので、悩み相談とかでもかなり載れるのではないでしょうか・・。 本当にその事だけでも、大変な事なので、乗り越えられず苦しまれている方は、多い気がします・・ 全国講師オーディションのことは、自分もたまたま古市さんのメルマガで知った事なのですが、自分はkarina2007さんのお話も充分人に生きる勇気を与えられると 本当に思うので、勝手にお勧めしました・・ また、その古市さんも、ご自分の体験を本にされてて、それで初めて自分はその方を知りました。講演会にも一度行った事が有ります。 あと古市さんご自身が、オープンハートの会というのを主催されているそうです。埼玉県に住まれていて、色々な障がいを持たれた方、心を病まれている方、その他・・ どんな方でも、みんなが住みやすい世の中をつくりたい、色々な偏見や差別のない世の中つくりをしたい・・という目的で、されているそうです。 その中で、色々な体験をされてきた方もお話をされているようです。色々な活動もされている様です。 古市さんご自身が、かなりの火傷を負われていて・・だから御姿を見れば、どれだけ大変な思いをして来られたかが、解ると思います。 でも、今はそういった自分の色々な体験談をみんなの前で話すようになって、今では自他ともに認める日本一の幸せ者だとおっしゃっています。 ご自分の体験をみんなの前で話す事、そしてそれによって様々な方と出会いを沢山されて・・そう思えるようになられたそうです。 karina2007さんのお話も、きっとそういう力があると自分は思いますし、多くの方が同じように思われるのではないかと感じています。 本当に地道に、真面目に生きられてこられたんだろうな・・っていう事が、凄く伝ってくるので、やはりもっとこれから幸せになって頂きたいです。 インターネットでも古市さんに関しましては、名前を入力されれば、検索できると思いますし、メルマガの「今日の宝物の一言」には、自分も結構励まされ、救われています。 そちらでも色々な情報を見る事も出来ますし、古市さんご本人にもメールを返せますので、何かおせっかいですが、もし気が向けば見られてみてください。 本当に過酷な人生を、地道に・・本当に頑張られて来ていらっしゃると思うので、報われても良いと思います!! 本当に報われて頂きたい・・
お礼
c-35-y様 たくさんのアドバイスありがとうございます。 私は弱い人間です。それに私自身、躁うつ病(双極傷害II型…I型に近いですが)を持っています。躁状態の時はとにかく落ち着きがなく、誰彼かまわず話しかけたり、衝動買いもし、妄想とも取られかねない話をしたりと周囲に迷惑を掛けてきました。そして躁状態からうつ状態になると、反動で躁状態時のことで自責の念に至り、希思念慮を抱くようになり、実際ODをして救急車で運ばれ胃洗浄を受けました。 その時飲み終えた瞬間、亡き産みの母の声が聞こえたようで、「お前にはまだやることがある、まだこっちに来るのは早い」と強い口調で言われました。今思えば私自身の心の叫びかも知れませんが、その言葉で携帯から「いのちの電話」へ連絡し(以前から登録していました)、「ODしました」と伝えたところ、すぐに住所と名前を教えてと焦った言葉が帰ってきて、朦朧とする意識の中で住所と名前だけを言い終わった瞬間意識が切れたのです。次に築いたときは白い天井が見えて、まさに「ここはどこ?」状態でした。ようやく病院のベッドに上にいるとわかったとき、知らないうちに涙が出てしまいました。心から産みの母が私を見守ってくれていることに感謝と謝罪の気持ちを持ち、もう二度と命を粗末にしないとその時決意しました。肉体の生命が続く限り、自分からは命を大切にする、また他の人へも命の大切さを諭していくとも固く誓いました。 以上のような拙い経験ですが、自分がそこまで追い詰められ乗り越えること(母の助けがあったけど)ができ、ひとりでも多くの方が自分の命を大切に生きられるように微力でもアドバイスができるなら、損得なしに話し相手となり一緒に解決しようと今は日々の生活を送っています。
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
先日BSNHKの海外のドキュメントを見ましたが、中南米のその村の住民には、普通性徴がはっきりしてくる年齢の時に、産まれた時の性徴とは違う性徴が発達する人が居るそうです。 ドキュメントの中では、男子も女子もいましたし、数十名の人達が成長過程を知っていました。 そこで、疑問に思ったことがありました。 何故医学会の人達は、その現象を研究して、現在性に悩む人の助けをしないのか、です。 両性の性器を持つ人も世の中にいるのですから、もっと研究した方が良い様に思いましたよ。 それと、身体の性徴と自己の性意識のどちらが先に成るのかです。 今は、身体を見て、男女を決めてしまいますが、ある時期まで自由に届け内容を変更できる必要がある様に感じました。 また、同様な記事がありましたら、見落とさない様にしたいと思って居ます。 常識とは違う現象が、この世には起こっているのですから、人は皆謙虚であるべきだと思いますよ。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 未だに悪弊である家制度が残っているのでしょうね。男尊女卑の考え方が見えない縛りとして残っているのかと思います。実際に私の経験から言えば、カミングアウト時すぐに受け入れてくれるのは圧倒的に女性の方が多いです。それに反し男性は「男を捨てたダメなヤツ」として、私を存在しないかのような態度や表情をされていました。学校での教育だけでなく、家庭内でのしつけ・教育、また社会全体で考えていく必要性を感じました。
補足
インターセクシャル(半陰陽)のことですね。私の友人にもひとりいますが、彼女は公務員の職に就きながら頑張っています。ただ職場内で男女問わずモラハラ・パワハラに悩まされているとのことで、公職にある人がこんなことをしているのかと悲しくなるばかりです。人権を率先して守るべき人たちのモラルの低さに呆れてしまいます。
お礼ありがとうございます。 神様もそうだし、周りがちゃんと見てくれてると思います^ ^ 何のことでも言えると思うんですが、自然と受け入れてくれるって日頃の行いのおかげかなと…。 それって女性だからとか男性だからじゃなく貴女だからでしょうね^ ^ 自分磨きって大事だなと改めて実感しました。 社員旅行、楽しい思い出になったようで何よりです^ ^
お礼
お返事ありがとうございます。 そうですね。人は違って当たり前。それを無理矢理枠にはめようとするから歪みが生まれてくるのだと思います。いかに周囲がその個性を理解し、伸ばすことを考えてやることが大人の対応だと考えています。 「言うは易く行うは難し」の言葉通り、現状までたどり着くのに多くの時間を要しました。私の周囲には話を聞いてくれる人はいても、理解・援助してくれる人が皆無に近い状態でしたから。なのでネットで多くのことを勉強し、ネット上の友人から背中を押してもらいながら現在にいたっています。
補足
まだまだ制度的に変えてもらいたいものが多くあります。 ひとつは治療費に関して精神科までは保険が使えますが、それ以降のホルモン治療や手術は保険適用外なので経済的負担が大きいのです。一例を挙げるなら、ホルモン注射は1回3000円~5000円、手術は150万~で天井知らずです。自由診療に当たるので、医師の思惑で治療費は変わってしまうのです。注射1本分の原価は数百円でその他は技術料、指導料などです。 すでに性同一性障害に関する法律も整備されているのに、なぜ保険適用ができないのかと疑問だらけです。 美容整形は自分の意思で親から受け継いだ顔などを買えるのだから、それに対してお金を使うのは自身の問題だから理解できます。対して性同一性障害は自分の意思でなく心の問題として、心身ともに安定した生活を送るために必要なことですから、憲法からみて基本的人権を軽視しているのではないかと思います。 女性に優しい活躍できる社会作りを目指しているのなら、女性とか男性とか分けるのではなく、「(マイノリティ含めた)人間に優しい社会作りを築き上げてもらいたいものです。
- miho1972
- ベストアンサー率21% (16/74)
私の知人は女→男です。別に外見が違っていても精神面が女性と医学的に判断されて名前も改名したことは女性として認知されたのですから同じ女性と思っているだけです。知識の乏しい人間が違和感や色眼鏡でみるだけ。普通に生きていけばいいです。年令を重ねると精神的にギャップとジレンマが起こるけど自分を信じて!負けないで生きていけば?ごく一部の人間の誹謗中傷を流すことも考えて生きて下さい。
お礼
お答えいただきありがとうございます。 精神的なジレンマは随分昔に乗り越えています。ただ今でも偏見や珍しいものを見るような視線は感じています。こんなの小中学校時代に受けた精神的・肉体的イジメに比べたら何とも感じません。
補足
書き忘れましたが、物心ついたときに自分は女の子だと思っていました。どうしてスカートが履けないのか、人形をかってもらえないのか幼いながらに不思議に感じていました。当時は性同一性障害の認識すらない時代でしたから。
私の勤めていた会社に性同一性障害の方がいらっしゃいまいした。 買い出しで一緒になったとき、車にプリクラがあったので「この人彼氏?」と聞いたら性転換前の自分だと…^ ^ プライベートでも家に泊まったりするくらい仲良くなってたのに気づかなかった自分にもビックリですが、言われてみれば納得する部分もあったかなと。 入社した時にはもうみんな知っていたし、逆に知らなかったことに驚かれたくらいです。 ほんと普通の女の子ですよ^ ^ 質問者様の周りの方たちが自然と受け入れたのは質問者様の人間性に魅力を感じていたからかなと…
お礼
まだまだ人間としては未熟だと思っています。ただ人から後ろ指を指されるような人間にだけはなりたくないですね。
補足
ありがとうございます。 私はいじめられっ子だったせいもあり、人の目を気にしながら生きてきました。それが過ちだったと気付いてからは素直に自分を出そうと気持ちを切り替えただけです。すぐに結果は出なくても神様が見ていてくれてるのかな?
自分は凄いな~と思います。 色々な困難をいくつも乗り越え られて来たと思いますし、その上会社努めをされていて、その 上職場でカミングアウトをされている・・それだけで、凄い方だ なと思います。素直に・・。 尊敬します。 お仕事場の人間関係も良い感じを受けます。 同じ職場に居らしたら、色々悩み事とか相談したくなりそうです。
お礼
優しいお言葉をいただき感謝いたします。 貴女様も人の気持ちを受け止めることのできる素晴らしい人格の持ち主に違いありません。地道ながらも輝いた人生を送られることを心より願っています。
補足
偶然でありますが、先週の土日(9/20~21)に福祉関係の研修があって参加したときのこと。分科会終了後、私の発言(性同一性障害と私の人生観)に心を打たれたとたまたま参加されていた、主催県の教育委員会で障害児教育担当の方から声を掛けられ、「とても内容が具体的で説得力があり引き込まれました。」「どちらかで講演や講師をされてるんですか?」と問われました。私はすぐに否定して普通の会社員です」とだけ答えました。社会のルールに沿って真面目に生活を送っていれば、ちゃんとした判断をいただけると感じました。
お礼
続けてのお問い合わせと情報をありがとうございます。 ふと気がつきましたが、No1様とは考え方というか心の波長が合いそうな気がします。ネット上の書き込みですから、匿名性はもちろん、記述内容も創作と受け取られても仕方ないかと危惧していたのですが、真摯なお言葉をいただき、これ以上にない喜びと感動を抱いております。今は感謝の念に堪えません。
補足
No1様 ためになる情報をいただきありがとうございます。 昨日、No2が掲載されていなかったので、遅れての返信お許し下さい。ちなみにちょっと早いお昼休みから失礼します。 後出しで申し訳ないのですが、私は複雑な環境に育ち父母の愛を知らずに育ちました。私が2歳になる直前に生母が病死し、4歳頃(?)に現在の母と父は再婚しました。よくある話で最初は同居していましたが、やはり嫁姑問題があり父母は家を離れ、その際私は父母につくのか、祖父母とそれまで通り一緒に生活をするのかを選択させられ、生母の記憶はないけど祖父母に愛着のあった私は残ることにしました。 別居後、父母の間に弟と妹が生まれ、やがて父の勤務の都合で通勤に便利な社宅へと4人で転居していきました。転居後は私の学校行事に一度も顔を見せることなく、「私は捨てられたんだ」と考えるようになり、まだ小学生だったのに「親は頼れない」と考えるようになり、友人と遊ぶだけが私の唯一の救いでした。 当然そのような環境にいると、誰かにかまって欲しくて授業中でも言ってはいけない冗談を言ったり、それこそ今ならADHDに近い状態だったのではと振り返ったりします。 現代のように精神医学が発達していたなら、私も早期に適切な対処がされていたと思いますが、当時は心がおかしい=精神病=キ○○イと平気で口に出されていましたので、私はずっと我慢し続けるしかありませんでした。近所に精神病で入院していた方がいらっしゃったのですが、退院後も周囲から差別を受け、知らないうちに引っ越すことがありました。典型的な悪しき村社会だったのです。 この先どのようなことが身の回りに起きるかも知れませんが、私の体験で救われる方がひとりでもいるのなら、伝えていくことが大切だとNo1様のお言葉で再認識しました。機会があれば私の拙い体験を書き留めていきたいと存じます。 改めて背中を押していただいたNo1様へ感謝申し上げます。