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普通が一番難しいって負け惜しみですか?
- 普通が一番難しいって負け惜しみですか?
- 上流や金持ちでなく普通に生きることが一番難しいと言う人がいますが、それは負け惜しみではないでしょうか?普通の生活は素晴らしい選択であり、望んでいるならそれは良いと思いますが、上流や金持ちになることは明らかに難しいです。
- 普通の生活が一番難しいと言うのは間違いではないでしょうか?金持ちや上流の生活を維持し続けることこそが最も難しいことであり、それを放棄することは負け惜しみと言えます。
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>>◇普通が一番難しいって負け惜しみですか 負け惜しみの側面も否定できませんが、単なる勘違いもあるでしょうね。
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家内安泰・・・何事も無く このまま普通に生きたい みんなそう願うものです、 でもいつか不幸が訪れたり老いたり事故や災害にあったり・・普通でいることは難しいのです 私も このまま 普通の生活が続いてほしいと願います でも難しいです
- elegant-orgel
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人間の脳は人生設計の中で、必ず誤作動するように働くからです。 負け惜しみではありません。 もともとお金の無い生活をしてきた人間は、喩え金持ちになってもその根性そのものが治った訳ではありません。 湯水のように、買い物依存症になったり、派手な生活を得ることが最大の出世だと考えます。 ですから、負け惜しみと考えてる時点でもう負けなのです。 ほんとうのお金もちは、他人のお金持ちを見てもうらやんだりせず、今度は、精神的な満足感でいきろうとします。 次から次へと欲望が湧いて、美しくなりたい、金持ちになって誰かを侮蔑したい。 そんな虚栄心の表れが、しらない間に、普通の感覚を喪失してしまっていくのです。 普通の生活が一番難しいのは、健康で文化的な生き方、虚栄心や増上慢心を捨てて、本来自分が、元のまま、つくろわず、はたらかさず、もとのまま、ありのままの自分で居られる環境を手にすることがいかに難しいかということです。 幸せの基準そのものは、普通・いわゆる偏った生活でないほうが、諦めも尽くし、劣等感も抱かなくて済むということです。 1年後の自分 10年後の自分 50年後の自分と振り返った時に、いかに自分が自分らしく振舞えてたときが楽しかったのか判ります。 不慮の震災や事故で普通の生活をなくした時、いかに普通であり続けることに困難が伴うかきっとわかる時期がくると思います。 若いうちは、まず無理です。 競争社会の原理の中で、生き抜かねばなりませんから、他人と比較して優劣で物事を見てしまうでしょう。 お金も稼いだ、恋愛もした、家庭も築いた、欲しいものはすべて手にした。 でも、どれもこころが付いてこなかった。 となるのです。 普通であるということに、最初から卑下した感覚を持っているようですのでこの辺で!失礼します。