• 締切済み

恋愛できる人、恋愛できない人

恋愛できる人 恋愛できない人 この両者には、どのような共通点があって、どのような相違点があるのでしょうか? ・ただ単に「機会」に恵まれなかった (社会的なものもあれば、経済的なもの、など) ・家族的なバックグラウンドによるもの (文化や習慣の違いからくる諸問題、家族の構成員による不道徳的行為、家族の構成員による恋愛にかんする価値観の押しつけ、など) ・肉体的な問題によるもの (美醜の価値観によるもの、外見の美しさによるもの、など) ・人間的能力によるもの (他者を評価する「スキル」の問題、など)

みんなの回答

noname#204018
noname#204018
回答No.5

>この両者には、どのような共通点があって、どのような相違点があるのでしょうか? 共通点 ・恋愛できる人とできない人の共通点はどちらも男(女)であること ・どちらも所得には関係ないこと。貧しくても恋愛できる人はいるし、豊かでも  恋愛できない人がいる。 ・どちらも、自分で無意識のうちに今の状態を選択している。 相違点 ・恋愛できる人は恋愛に、困難を感じてもあきらめない。 ・恋愛できない人は、自分には資格がないなどと最初からあきらめている人が多い。 ・恋愛できる人は、すでに幾度も恋愛の失敗経験から学習している人が多い。 ・恋愛できる人は、出会いの機会を探すことができる。あるいはコミュニティが  与えてくれる出会いの場を活用できる。 ・恋愛できない人は、失敗を懼れて機会を探すことをしない。もともと属する  コミュニティが出会いの場をつくる力がない。

noname#222499
質問者

お礼

コメントありがとう。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.4

No.2 gouzigです。 「現在の日本社会において、あなたのご指摘になった「人間力」の低下が大きな問題になっていると思います」 →そうだと思います。 私はおじさんですが、このサイトに投稿されている若い男女の考えを見ていてもそう感じます。 昔に比べると、お金やものを追いかける、つまり拝金主義、物質主義が蔓延してきているということでしょうね。

noname#222499
質問者

お礼

コメントありがとうございます。 「昔に比べると、お金やものを追いかける、つまり拝金主義、物質主義が蔓延してきているということでしょうね。」 この指摘については、「ミスター円」こと、榊原氏の指摘が関連するとおもいました。 幼児化する日本社会(榊原英資) http://store.toyokeizai.net/books/9784492394854/ また、わたしなりの解釈ですが、日本は戦争後(敗戦後)、「お金」に頼らざるをえなかったという、社会的な事情も関連したことと思います。日本が国際的な信用を得るためには、「お金」の力に頼らざるをえなかったことは、事実だと思います。たとえば、日本政府の戦後処理のプロセスにおいては、円借款などのさまざまなかたちで、関係各国にたいして「償い」という名の「経済支援」を行いました。 高度経済成長期以降、バブル期においては、「ジャパン・マネー」はその大きな影響力が話題となりましたが、近隣諸国の経済成長、中国大陸の台頭などによって、「ジャパン・マネー」の地位、影響力は、過去のそれと比較すると、やや弱いものです。そんな社会事情のなか、排外主義が台頭したことは、経済的、社会的、双方の文脈において、考察する価値は大いにあると思います。

noname#204018
noname#204018
回答No.3

いろいろあるけど、人の気持ちが読めるかどうかは大きいですね。 相手が、自分のことをどう思っているか ここは、引くべきか押すべきか 恋愛の場合、自分の心が動かないと、どうしようもないです。 機会に恵まれないというより、自分がその気になっていないのでしょう。 美醜は重要だけど人の外見は心の反映だという人もいます。 雰囲気ですよ。優しい人は優しい雰囲気を醸し出すし、粗野な人は 粗野な雰囲気になる。 だから、自分の魅力を知っている人は恋愛上手になれる可能性が高い。 私は、チビでそれがコンプレックスであった時代はまるでモテなかったけど それは自分が卑屈な態度で女性に接していたからで、結婚しさらには 社会的地位を得て、世間知がついてからは、物腰がおちついて 昔読んだ文学や映画や旅の知識がバックグラウンドとして厚みのある 人格に見えるようになったようです。 中年以降 訳あって離婚。全く女性には不自由しなかったのがウソのようです。 恋愛できるかできないか・・・これは単純に本人の気の持ちようです。

noname#222499
質問者

補足

恋愛について語り、論じる人々のなかには、恋愛そのものを、個人のスキルの問題、個人の心の問題であると論じ、語る人々は少なくありません。個人の努力による部分は、恋愛においては、大部分を占めることと思います。 しかしながら、社会的な部分についても、考えねばなりません。たとえば、三高という日本語がありましたが、これは、少しまえの日本社会において、日本人女性が日本人男性にたいして、高収入、高身長、高学歴、これらの3点を求めたことが大きな話題となりました。そして、三高にあてはまらない日本人男性のなかには、仕方なく、外国出身の女性へと、結婚や恋愛のチャンスを求めました。日本社会においては、1年間あたりの日本人男性の国際結婚の件数が、日本人女性のそれと比較したとき、およそ2.7倍の件数であることは、周知のことです。 また、人心ほど、わけのわからないものもありません。仕事での信頼関係ならまだしも、恋愛関係においては、<人心>とは、ころころかわるもので、さらには、思考を拒否するものでもあります。少しでも気にならないことがあれば、その理由を述べるのではなく、ただ単に「生理的に合わない」ということさえ言えば、全てが解決されるわけです。 恋愛の機会に恵まれた人々とは、とてもラッキーな人々なのだと思います。わたし自身は、極めてアンラッキーな立場なので、それはとてもとても、難しい立場であります。

  • gouzig
  • ベストアンサー率25% (536/2078)
回答No.2

何度か、恋愛が苦手な友人にアドバイスしたことがあります。 しかし、それでうまくいくことはなかったですね。 それは会話の仕方とかというものではないのですね。 その人のもっている感性の問題だからです。 ご質問にある「機会に恵まれなかった」ですが、これはまったくナンセンスです。 何故ならば、男女の恋愛というのは「お見合い」のようにセッティングされたものではないからです。 ちょっとした瞬間に感じたことをチャンスにするかどうかというものでしょう。 その感性がない人は自分からチャンスを作ることやチャンスを見逃さないということもできませんね。 そういう意味では、恋愛はお互いの人間力の問題だと思います。

noname#222499
質問者

補足

「恋愛はお互いの人間力の問題だと思います」 良い指摘だと思います。確かに、個人の「スキル」はとても重要だと思います。 しかしながら、排外主義の高まりが社会問題化し、他者への思いやりの精神が軽視されている、現在の日本社会において、あなたのご指摘になった「人間力」の低下が、大きな問題になっていると思います。 先日、四肢に障害を持った人が飲食店に行ったところ、来店を拒否された出来事がありました。その出来事の直後、障害をもった人を非難する人々がたくさんいたことは、極めて衝撃的なことでしたが、「思いやり」の精神を大切にしない日本人が多いことを考えると、恋愛の問題は、個人の問題という枠組みを越えて、社会的な文脈で語る問題になったのだと思います。 あなたのご指摘になる「人間力」があっても、それが恋愛にはつながりません。いくら相手にたいする愛情やら、思いやりがあっても、相手の「人間力」がダメであれば、お話にならないのです。 「幼稚な日本人」、ということではないかな、と思うこともあります。

  • ta_kuchan
  • ベストアンサー率24% (1287/5162)
回答No.1

まずは 外見は当然だろうね。 次は会話のセンスかな。 外見が良ければ 当然モテる訳で 会話があまり上手くなくても 相手から会話を振ってくれるからね。 外見がイマイチでも会話のセンスが あれば 相手を楽しませる事が出来れば また会いたい と 思ってくれるから 恋愛に発展する可能性が大になる。 恋愛が出来ない人 ・人見知り ・恥ずかしがり屋 ・会話がイマイチ (例えばちょっとした時間なら良いけど 2人でずーっととなると・・・・) てな感じかな? 金銭的な事や家族の事もあるかもしれないけどね^^; 縁が無い のもあるかもw 自分が良いと思ったって相手が自分を良いと思わなきゃ 恋愛には発展しない訳だから。(逆もしかり) 自分1人で恋愛は出来ないって事だよ。 最低限 お互いの好みの範囲の人に出会えれば・・・ 誰だって恋愛出来る人 になると思う。 結局は友達なら良いけど恋人には・・・・ってのが ほとんどだと思う。 それは 相手の好みの範囲ではないからでしょ^^; 自分1人の努力で恋人出来るなら 失恋・片思いなんて言葉は なくなるさ。

noname#222499
質問者

補足

恋愛ができないのは、恋愛ができない人に原因があるわけではないと思います。 悲しいかな、恋愛ができないなら、ソープランドなり、キャバクラなり、ホストクラブにでも足を運び、「その場だけのパートナー」と盛りあがることしかできないのだと思います。