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大学入学者選抜をくじ引きにするのはどうですか?
私は30年程前、某国立大学教育学部付属の中学を受験し合格基準点を余裕でクリアして合格したのですが、抽選に漏れてしまい入学を許可されませんでした。この時は何で点数の高い順に入学させないんだと納得が行かず不満に思っていました。しかし、今考えが変わってきました。人生にはこういうくじ運も必要なんじゃないかと。知り合いの中で東大、京大に合格(中退者も含む)して成功(収入面においてのみ)している奴等は、上位の成績で合格した奴等よりも、ギリギリ合格したした奴等の方が多いからです。最もこの当時は成績開示がなかったので自己採点と模試からの推定ですが。例えば、東大理一の合格基準点を550点満点で300点とし、それをクリアした人の中から約1,100人を抽選するというのは。面白いと思いませんか。これは飽くまで私個人の考えです。 このことに関しまして皆様の意見や感想をお聞きしたくて質問させていただきました。
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- kiyokato001
- ベストアンサー率13% (479/3484)
「奴等」とは言ってる時点で議論するに値しないが 大学で抽選はナンセンスだな。 この際どうせなら オギャァと生まれたときにどの大学へ行くか抽選させればいい。
- BC81
- ベストアンサー率25% (687/2673)
何書いても「参考になりました」だけの人じゃ反論しがいもないですが… 自分から極論で挑発するなら、 果てしない議論でも受けて立つのは礼儀ですよ(笑) そういうの怠けちゃ駄目です。 入学時の成績と入ってからの成績には相関があるように思いますが (データがあると良いんですが)、 成績が良い人程学者や役人志向が強い大学ですから、 成功の基準を(おそらくは壮年期の)収入に置くのはナンセンスでしょう。 また大学は就職予備校ではありませんから、 将来高収入を得そうな人を集める義理もないです。 そもそも、入試の得点がわかっている知り合いがそんなに多数いて、 しかも、上位から下位まで満遍なく分布してるんですか? どんなリサーチすればそんなデータが集まるのか、教えて欲しいものです。 ま、その後経済的に成功した人程、ギリギリで受かったことを話題にしそうだから、 そういう例なら集まるでしょうね。 実際に選考過程に抽選を取り入れるなら、 とりあえず入試の時期を、半年は早めないとまずいでしょう。 小中学校と違い、 3月になって落選したら、それから出願して確実に入れる、 滑り止めとして許容範囲の大学がある訳じゃないですから。
補足
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- doc_somday
- ベストアンサー率25% (219/861)
それは考え方としては面白いが、巨大な害毒がある。 抽選に落ちた「貧困」学生は、私学の入学金、授業料は払えない。 莫大な「不満層」を作り出し、我が国はこの連中によって無差別テロの横行を許すことになる。
お礼
回答ありがとうございます。 なかなか面白い話が聞けました。ありがとうございました。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
知り合いの中で東大、京大に合格(中退者も含む)して成功(収入面においてのみ)している奴等は、上位の成績で合格した奴等よりも、ギリギリ合格したした奴等の方が多いからです。 ↓ 成功の定義と数量的検定ができていないと思うが。 ※ 理一の一学年が私の時代は50名程度であった。大学教授あるいは博士号を取るというのを成功と定義するならば、やはり入学時優秀成績者(近似的には模試の成績で、成績優秀者で名前が出ていた人間)は、もれなく教授になっている。 大学というのがそれまでの知識を継承して発展させる事を目的にするのであれば、それまでの知識をうまく継承している(≒大学入試成績が優秀)人間が、成功事例として大学に残ることが効率的である。 http://utsunomiyasoh.blog.fc2.com/img/20131007195533b50.jpg/ 上記はセンター試験の成績分布であるが、競争倍率が2倍から3倍程度なのだから、人数的には中央値である合否ギリギリのあたりが一番多くなる。 95%で合格した人間は90%(合否ライン)で合格した人間よりもずっと少ないのであるから、入学成績と収入との関連で人数の多い層の印象が強くなる。
お礼
回答ありがとうございます。 大変貴重なご意見と資料まで添付していただきありがとうございました。
- NiPdPt
- ベストアンサー率51% (383/745)
附属学校というのは基本的に実験校です。 つまり、そこの生徒は被験者ということです。つまり、教育の改善などを目的とした実験を行う場であり、そのためにはある程度優秀な生徒でなければ、実験が失敗した場合に世間から落ちこぼれてしまうので、、学力的に余裕のある生徒を選んでいるんです。すなわち、通常の進学校とは異なり、大学進学実績を張り合ったりということもあまりありません。そういった多くの高校の生徒は塾通いによって難関大学を目指します。学校に期待できないからです。 話が脱線しましたが、要するに学校の目的からして、抽選があってもかまわないんです。 大学はと言えば、良質な卒業生を世に送り出す責務がありますので、そのためには出来るだけ優秀な学生を集める必要があります。それでも、ある程度の基準を満たした人の中から抽選というのも考えられるでしょうが、国公立大学であれば、現状の入試制度において、そういった抽選から漏れた人のダメージが大きすぎます。中学や高校であればそこで頑張って目標の大学に・・・ということも可能でしょうけど、別の大学で頑張って目標の大学の大学院に・・・という話にはなりません。つまり、教育機関としての位置付けが異なるので抽選というのは大学における入学者の選抜手段としては無理があるように思います。
お礼
回答ありがとうございます。 私の質問で附属の漢字が間違えていましたね。大変失礼いたしました。 大変貴重な意見ありがとうございました。
- Willyt
- ベストアンサー率25% (2858/11131)
入学試験が実力を試すものであり、合格者はその能力順で合格すると考えておられるとすればそれは全くの誤解ですよ。試験というのは合格者を決めなければならない立場に立った大学が採っている方便にすぎないのです。それは抽選と何等変わるところがないのです。通常の入試では合格圏内の能力を持つ受験生は合格定員の4倍程度はいることが判っていますから、入試はその中の運がいい受験生が合格する、それだけのことなのです。東大の1次試験が合格定員の4倍にまで絞るのはそういう根拠を持っているのですよ。ですから二次試験は抽選みたなものなのに、世間はそれを実力を測っていると錯覚して納得してくれているだけのことです。 それが証拠に第一希望に合格した人達と第二希望以下の合格者の社会へ出てからの活躍度を調べると、殆ど差がないのですよ。だからいい加減だという印象を与える抽選は採らない方が得策なのです。
お礼
回答ありがとうございます。 元国立大学理系教授の大変貴重なお考えありがとうございました。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
抽選はすでに卵子と精子の合体のところから始まっていますが、その後の運不運もすべて一種の抽選です。入学試験でもどのような問題が出題されるかで随分成績が変わります。つまり一回きりという原則でことを決めるというのは知らないうちにどこでも行われています。私は逆に、東大、京大でもどこでも国立大学では無試験で入学させるのも面白いと思います。こうすれば本当に勉強したい学生だけが残るように思います。東大や京大が有名なのは優秀な人材がいるからでしょうが、弊害として本当は勉強が嫌いな多くの卒業生が、同じ肩書で学歴社会を形成していることです。 学歴社会の弊害が残るのは、抽選に変更しても同じことではないかと思います。国家公務員なども同じことをやってみたらどうかとと思います。私学は別ですが、国費で人材を養成することが前提の国立では税金を有効に使うことにもなると思います。
お礼
回答ありがとうございます。 大変貴重なご意見ありがとうございました。
補足
小学校、中学校や高校が同じなどで直接知っている人達のことだったので、そう言ってみました。と言っても、二十数名だけなんですけどね。 生まれた時に抽選も面白そうですね。大学入学時に基準の成績を満たしていない人達は入学を許可されず、その欠員分を他の選抜方法で選ぶとか。