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現在のドラえもんについて
以前ドラえもんの同人問題があった時に小学館ドラえもんルーム室長の横田清氏は「もしドラえもんに最終回があるとすれば、それは亡くなられた藤子先生の胸の中だけであり、この『ドラえもん 最終話』によって、先生が作り上げた世界観が変質してしまうようなことがあってはならないと思っている」 と、言っていましたが、現在アニメでやっているドラえもんは変顔をしたり映画内で本来なかったストーリを追加したり、どう考えても藤子先生の世界観にあわないと思います。 藤子先生が作り上げた世界観が変質してしまっているのに、なぜ横田清氏は言及しないのでしょうか?
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こんにちは。 ドラえもんの変顔に関しては、私もちょいちょい見てますが然程気にはならない程度だと思いますが、「最終回があるとすれば~」と藤子先生の作り上げた世界観の変質について説明できるとすれば・・・ かなり「大人の事情」かつ「賤しい回答」になりますが、大丈夫でしょうか? 「最終回があるとすれば」というのは、要は最終回を自分達は作る気はありませんという事だと思います。 何故なら、ドラえもんはまだまだ稼げるコンテンツなのでそう簡単に終わらせてたまるか、という事なんじゃないですか。 だから今あるドラえもんの「最終回っぽい話」は、再びドラえもんが帰ってくるんです。 それと、藤子先生の作り上げた世界観の変質についてですが、自分達が「今はこうした方が稼げる」と判断した様にしてるだけです。 映画を見れば一目瞭然です。 昔の映画を引っ張ってくる割に、無駄にお涙頂戴なシーンをぶっ混んできてます。 何故か? そうすれば、親を巻き込めるから。 親を巻き込めれば、そのままお金が動くからです。 私からすれば、一体誰に見せる為の映画なのかがわかりません。 昔の話を使うなら、ストーリーに一切手を加えずに、そのまま流してもらった方が良かったと思いました。 のび太くんも、映画になると妙にクネクネして気持ち悪い事この上ないです。 今のドラえもん映画より、昔の妙に説教くさい映画の方が、私は好きでしたけどね。 なので、「言及しない」のではなく「言及できない」もしくは「言及する気がない」だと思います。