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人が信じられません
悩んでいます。 自分は零細企業を営んでいる三十代の男です。エンドユーザー様向けにサービス業をしています。 スタッフが立て続けに起こしたミスで半期総額500万近くの損失を出すはめになってしまいました(TT) 先にも書きましたが、当社のような零細企業の500万はかなりの痛手。下手したら倒産しかねない金額です。 それでも信じてフォローしてきましたが、さすがにミスについて言ってしまったところ、「責任を取って辞めます」との一言。 社長の勝手意見かもしれませんが、辞める前にせめて謝るとか、金を回収する段取りをつけるために全面的に協力するとか、何か建設的な言葉が聞ければ気持ちが救われました。…また頑張ればいいじゃない!等。。 今までの努力、コミュニケーションに割いた時間、教育にかけたお金、それより何よりスタッフに働きやすい環境を作ってあげたいという信念や、信頼が完全に崩れてしまいました。 正直、そのスタッフにはガッカリです。表面上とても暖かみのある人なので、大事にしすぎて逆に駄目にしてしまったのでしょうか。 人を信じてはいけない。特にスタッフは信じてはいけない。自分と家族、大親友以外は全てが敵と思う事がやはり正しいのでしょうか? 意見をお聞かせください!
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信じてしまうと、相手はつい安心するし、横柄にもなるのが人間ですかね。いつも監視はおこたらず時どき、注意するのが、労使ともにベストな方法かなとおもいます。
- tiltilmitil
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あと一つ。「人柄を信じる」と「能力を信じる」がごっちゃになっていませんか。純粋に力が足りずに失敗するのはいくら性格がよくても防げないです。 「努力すれば必ず何とかなる。なったはずだ。だからうまくいかなかったのならミスであり、裏切りだ」 と思ってるならそれは間違い。それは「何も考えていない」で「信じている」とは違う。努力してくれるのは信じて、それでも失敗するのを想定して対応を考えておくのが経営者のやるべきことです。
- ok1ok2ok3
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信じられぬと嘆くよりも、人を信じて泣く方がいい。
- key00001
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私も会社を経営していますが、人を信じてますよ。 ・・・と言うか経営なんて、人を信じないとやってられないでしょ? ただ、「どこまで信じるか?」などは、自分で決めることですよ。 やや言葉遊びになりますが、ご質問の中でも「信頼が完全に崩れてしまいました。」と書いておられますが、いきなり「信じて頼る」はダメで、まずは「信用」です。 部下などを信じられる範囲で、「信じて用いる(利用する)」のです。 信頼は依存的で、信用は自立的と言いますか。 信じた部下に裏切られ、自分や会社まで「共倒れ」になったら、それは自分にも責任があるのです。 たとえ信じた部下に裏切られても!! 自分や会社はしっかり立っていなけりゃなりません。 さもなきゃ自分や自分の家族のみならず、従業員やその家族とか、取引先や株主など、大勢の人に多大な迷惑をかけてしまいます。 それが出来る人が、人を信じても良いのでは?と思いますし、そこを分別して、物事を超自立的に考えられる種族が、経営者ではないか?と思いますよ。 質問者さんのケースで具体的に言えば、質問者さんは500万円分、部下を信頼してしまったことが今回の敗因でしょう。 それでも会社は倒産せず、自分もまだ頑張れる!と言うラインまでしか、信用してはいけないのではありませんか? もう一つは、質問者さんの部下であるサラリーマンは、「責任を取って辞めます」で、法律的にも許される種族なんです。 言い換えたら、サラリーマンに責任など大して無く、そもそも責任など負えません。 実際、500万円の損失が故意であれば、損害賠償請求なども可能ですが、ミスであれば責任追及したところで、経営者の管理責任なども問われて終わりと言う場合が殆どです。 まあ謝罪の弁が聞きたければ、「君がそう言う態度なら、コチラも君に損害賠償請求を考慮する!」とビビらせるくらいは出来ますが、実質的には難しいです。 そう言う種族と理解せず、信頼した経営者の責任で、その経営者の責任とは「果たす」ものです。 その代わりに経営者は、社内では絶大な権限も預かっており、部下をどの程度まで信用するか?なども、経営者の任意です。 ただ、最後は「毅然」でしょうね。 自分じゃなく、会社として許せない様な裏切りに対しては、時には徹底的に戦ったり立ち向かったりもせねばなりません。 会社のカネなど資産は、経営者だけのモノでは無く、社員や株主もモノですから。 従業員のミスなら、自分の管理不行き届きの責任もありますので、社員や株主に「彼のミスとは言え、その管理責任は私にもある。ごめんなさい。」と、毅然と謝罪せねばなりませんし。 もし犯罪性がある横領などなら、「100円たりとも許さない!」みたいな姿勢も必要かと思います。 経営者なんてのは、図太くも繊細で、逞しくもか弱く、過敏でありながら鈍感で・・みたいな、二面性が要求されるのですが。 そもそも多大な権限は戴いていますが、会社が倒産すればクビを括る?くらいの、責任も負っていますので、二面性があって当たり前でしょ? 普通のサラリーマンみたいに、「裏切られたから、もう人は信用できない!」みたいな、単純で片面的な考え方ではダメだと思います。 会社のピンチに、力を発揮してくれる人を、むしろ「信用する!」とか。 表向きだけでも「信用するフリをする」など、今こそ二面性を発揮すべき時かと思います。
- jx4076
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若しかして、家庭的環境に近かったのでは。 もし、それがあれば、まずいですね。 会社と言うのは慰め合う、かばいあう環境が、また、一番良くないですね。 おそらくかばって機嫌を取って顔色を見ながら、重宝してきたのでしょう。 そうであれば、経営者の方がまずいと思います。 その様な環境で来ていれば、何か言っても通じないかと思います。 当然、なーなー環境であれば何か重大ごとがあれば、切り替われませんよ。 それと、その方はそのようなポストであったのでしょうか。 そのあたりも重要だと思います。 やはり会社と言うのはマニュアル的という事も多少は必要ですし、人材育成に力を入れて社長が直接このような事に携わる前に何方かが対処するポスト要員がいないとダメだと思いますね。 おそらく社長が直接、関わる体制にあると思うのですが、あまり職員を温暖に育てすぎてのでは、人によっては社長の顔色だけで動いている人もいますが、社長に嫌われるようになると辞めたり、社長の魅力が失せたときに辞めますね。 推測ですが、人材の育成の仕方が不完全な事と、会社の組織体制がまずいと思います。 ただ、小さい会社ですと仕方が無いことは確かにありますね。 しかし、ミスについて言って、「責任を取って辞めます」との一言・・・ こんな職員に気を使っている方がおかしいですし、ミスについて言って当然ですよ。 その様な職員教育をしている方がまた、おかしいです。 この様な能力のない職員は離れて良かったのではないですか、本質がわかったと思います。 人を信じてはいけない・・・。 そんなことはないですよ、信じて信じて信じすぎるくらいでないと良い側近にはなりませんよ。 けじめとか基本姿勢は大事です。 経営者は仲間意識も大事ですが、あるラインを超えると孤独なのが普通ですが、ラインの下の近いところに誰かいるといないとでは違いますね。仲間意識だけでやっている経営者は失格ですね。 根本、責任の度合いが違いますからね。 経営の基本は何と言っても、「信用第一」よりないかと思います。 社長も経営者としての教育を再度、勉強した方が良いと思います。 本当に真剣に取り組んでくれる職員を一人それなりの肩書で置いた方が良いかと思います。
- saltmax
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最善を期待しつつ最悪の状態を想定して準備するというのが 組織運営の基本ではないでしょうか。 人は必ずミスをするものです。 ミスをしないような方策をするとか チェック体制を作るとかというのは 経営者の仕事だと思いますけど。 信用して任せるというのは必要なことですけど ミスをしない体制つくりやミスをしたときに備える体制つくりは 貴方の仕事です。 当人に全てのミスの責任があるのではなく そんな体制を作ってこなかった責任は貴方にあります。
- tiltilmitil
- ベストアンサー率22% (1871/8250)
『情熱的な経営者』にありがちな『私生活より仕事を優先して当然。私生活は仕事をするための休憩にすぎない』みたいな感じがします。 でも、それを従業員にまで適用するとブラック企業まっしぐら。普通の人は生活のために仕事をしている。『仕事を優先しろ』といわれるたびに逆に意欲は減退していく。 質問者さんのいう『仕事をしやすい環境』って、もしかしたら『休まず働ける環境』じゃないですか。従業員が欲しいのは『きっちり休める環境』の方です。効率よく仕事を済ませて、きっちり休む。 『効率よく仕事出来るようになったから、もっと仕事出来るよね』なんてやると、『仕事がふえたらたまらないから手を抜こう』になります。
- parts
- ベストアンサー率62% (6366/10151)
極論に至っているのが、何とも・・・危険な傾向です。 経営についての考え方がぶれ始めているように感じます。 今後の質問者様のことも考えて少し現実的に厳しい意見を書かせていただきます。 感情が強く出てきていますが、今後の経営は大丈夫ですか? まずは、落ち着いてもっと第三者的に機械のように状況を把握した方が良いかと思います。とりあえず感情論をここでは捨てなさい。それから、それが人生が終わるほど、自分のビジョンが失われるほどの問題なのかぐらいのもっと深刻なラインに将来的になるほどの問題か、ちゃんと計っていますか?その辺りも大事です。それが確実に今度起きればやばいというなら、それが起きないバックアップも金をなるべく掛けず今以上にアイデアを出して考えるしかありませんが、そもそも、これまでの価値がそれ以上に出ているなら、根本を単純に置き換えれば大変な惨事となりかねません。 経営者の力量が分かるのは、こういう問題が発生した時からです。うまくいっているときには、たいていは誰でも経営出来るのですよ。しかし、それが出来ないと、人が逃げるのは早いですよ。 はっきりいえば、ビジネスそのものでは、トップに立って何かを握るというのは、感情論や人情論だけで済むものではありませんから・・・。その中で、今の状況がビジョンを失うほどの状況なら、会社をさっさとたたむことも考えた方が良いと思います。 本題です。 人を信じることができないなら、サービス業は難しい場合もあるでしょう。何故なら、サービスを提供する場合のほとんどは、人に人が行うサービスを与えるからサービス業なのです。その中で、機械的に行動するだけなら、零細企業に頼むより、大手に頼むことでしょう。大手の方が機械的であり、料金面でもサービス面でも全国区で可能かも知れません。 下手をすれば、周囲に同業を営めるような大手企業があり、尚かつそこの支店管理者がある程度の敏腕なら、瞬く間に市場を食われる恐れもあります。基本的に、出資者、経営者ではない雇われ支店長などは、コンプライアンスを遵守し、業務の仕様さえ確実にできれば、後はノウハウと利益率目標の達成だけの問題ですから、その辺りでやりやすいのです。だから、うまく回れば社員との協力や意識共有も楽に行えます。 では、零細経営者と雇われ社長や店長(大手)との違いは何かというと、前者は細かな裁量権が経営者にあり対応が柔軟にできることにあり、後者はあくまで社内(本社)の手順に基づいた処理を行う必要があり、場合によっては社内のルールから踏み込めない領域があるということになります。対応も遅いかも知れません。 逆に言えば、中小が強みとして発揮できるのは、その細かな裁量権をどう使うか、どう確保するかになります。質問者様は、500万の損失によって、「今までの努力、コミュニケーションに割いた時間、教育にかけたお金、それより何よりスタッフに働きやすい環境を作ってあげたいという信念や、信頼が完全に崩れて」と書かれていますが、それが会社の形で、これまでに500万以上の利益を上げて成長してこられたなら・・・それがユーザー側から見れば、その会社を信用する価値だったなら今後どうなるか、考えますか? 極論経営は全く反対の考えに至るため、社員がついて行かなくなります。その辺りは、理解できての質問でしょうか? この質問から見て取れるのは、経営者としての考え方と、友人や会社の仲間としての考え方が、混同しているということです。経営者はあくまで会社をうまく存続させることに力を注がなければなりません。 逆に言えば、仕事モードの時はとてもシビアで厳しい人でも経営者であるなら構わないのです。 しかし、業務が終わり終業時間になったら、一緒に飲みに行くなど親睦を図るといった方法は可能です。 また、経営の基本は誰かを贔屓しても士気は下がります。基本的に、全体を同じように扱うこと。叱るほめるは、一定の水準で行うことが求められます。 こういうメリハリと平均的な対応が業務上であったかどうかが重要です。 信じて云々は、経営者として信じたのか、それとも人として信じたのか?会社のトップとして、逆に言えばユーザーの言い分が正しく、それをうちの社員は嘘をつかないと否定した社長なら、その500万の半分以上は社長の責任かも知れません。 経営者に必要な信頼と信用は、社員が付いていきたいと思える人かどうかがまず一つです。 それとは別に、利益はユーザーが信用したい、信頼したいと思えるだけの会社かどうかから問われます。 質問者様の場合は、信じていた友人に裏切られた。もうやっていけないと泣き言をいっている人に似ています。スタッフにがっかりだとか、大事にしすぎてと、その人を見ている。そうではなく、経営と損失に至った経緯を見て、そこから自分(会社の経営)がどう悪かった立ち回りの仕方を自分なりに解析し学ぶ必要があります。それを経験値とする過程を全て、フォローしたのに、あいつは謝らないといった信じていた人に向けていると部下に見られるとどうなるか? 経営者ならそういう考えではなく、これがどういう失敗なのかを経営者として反省し、損得を処理し、今後の立て直しを行うのが妥当です。辞めると決断した人についてあいつは○○だと単に考えているようでは、賢いスタッフほど一緒に仕事はしないでしょう。 という厳しい見解になります。 最後に、自分にとって大親友でも、裏切られることはあるでしょう。家族でも裏切るかも知れません。 世の中はそういうものです。だからといって、信じないで自分で何とか全てやっていけるのか?出来るなら、それでも良いですが、たいていは信じないと人はついてきません。ただ、信じる範囲と相手との距離感やその距離が変化しているかどうかの空気の読み取りは重要です。信じても裏切られるなら、信じない方が楽ですしね。 裏切られた瞬間は結構相手を恨むことはあるでしょうけど、それが長い人ほど自分のミス(システム上の根本問題)は棚に上げ成長しない傾向があります。また、周りから見た評価も下がる傾向がありますので、ご注意ください。 この辺りをよくよく考えて、もういちど経営指針に立ち返った方が良いかと思います。 人を信じるとか信じないというそういう視点で経営指針がぶれるなら、経営者としてはかなり致命的です。特に逆境時に対処が後手に回る可能性があるでしょう。早めの考え方の修正を推奨します。
人間不信そのものはいいと思います。 ただ、あなたが人間不信になる原因に問題があります。 信じてたのにとか、教育してあげたのにとか、 環境を整えたのに、とか。 どんだけ恩着せがましいんだ、と思います。 あなたは給料を払い、相手は労務を提供する。 それだけの関係です。 友だちかなんかと勘違いしてませんか? その人がやめますと言ったら、関係は終わりです。 あたりまえのことです。 あなたの信念は偽善ですよ。 「従業員のために」って言葉に出した時点でね。 ほんとうに相手のためを思えば、言葉にださないし、 人間不信にならない。 だって、相手が期待に答えなくてもオッケーっていうのが、 利他だからです。 あなたじゃ、ホンモノの人間不信になれません。 人間不信なら、相手に一切期待しませんから。 従業員を信じちゃダメといいながら、家族は友人は信じるんですか? 意味わかんない。 大方、今度は友人が期待に答えなかったら、 また「裏切った」とかわめくんじゃないんですかね。 で、今度は範囲をもうちょい狭めて、、、みたいな。 結局は依存したい相手を探しているだけです。 依存してるから、うまくいかないと不安になってわめく。 その従業員の方もやめるが吉でしたね。 他人への期待を例外なく捨てなければ、人間不信にはほど遠いですね。
- まさしろ(@masasiro)
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最後の質問の意図がピント外れのような気がしました。 貴方が部下に与えなければならなかったものは「分からない」と思った時に素直に部下が貴方にそう言える風通しの良い関係ではないですか? 人間は「分からない」ということを言うのはしんどいことです。バカにされるし、自分自身でも分からないことを認めたくはありません。しかし仕事とは、常に新しい対応があるものであって、その中には新しい「分からない」ことも沢山含まれるのです。 部下の方はそれを素直に貴方に言えなかった。貴方にもそこに学びがあるのです。 貴方はどうやったらその人が上手に「分からない」ことを貴方に伝えられるのか、貴方は一人一人の個性と向かい合って、その方法や、風通しの良い環境や関係についてもっと腐心しなければならなかったのではないかと思いました。
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