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文学的表現について

オーディオ関係のメーカーの宣伝広告には、文学的表現が多いとご指摘してる回答者の方が多いと思います。文学的表現の具体例を挙げていただけませんか?

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回答No.4

またまた、反応書き込み頂き、感謝致します。 『作為的な音を見破る耳にするには、モニター系の製品で耳を慣らせばいいんですかね? 』 正解ですが、ダメな場合も在る。。。。 難しいのです。 本当の「検聴用」というモニタースピーカーは、冷淡で音楽的な感動が得にくく、録音素材のわずかな問題点をあからさまに、という、音楽を楽しめない音、という方向の物も在ります。 私個人としては、こういうサウンドも好きなのですが、一般的にはダメでしょう。 ただ、一つの基準として、一度は聞いてみる、という体験は非常に大きな結果を見つけられると思います。 このような文字を介したネット上でのオーディオ談義も、お互いにおなじ基準の音をおなじように感じている、という可能性が高く成りますと、音に対する表現、「言葉」にも、共通な感覚的認識が出て来て、楽しいオーディオ談義が出来ます。 今回のnoneya様の御質問では、「オーディオ」カテゴリーで私なんかよりも大先輩の方々が、まだ書き込まれていませんが、私のような完璧な素人ではなく、一部で仕事(プロ)として関わった方々は、おそらく静観されているのでは??って思います。 オーディオって、科学技術ですし、製品化は工業技術、だけど音楽と言う芸術をどのように評価するかは聞いた人、個人の官能判断になります。 オーディオ製品をどのように広告するか、こちらは科学的、工業的な理系じゃなく、文系の人が作り出す文章だったりキャッチコピーだったりしますね。 オーディオファンにも、単に機器にコダワリが強い、という方向も在りますが、案外機器には拘らず、とにかく音源を集めて色々な音を聞く、という音楽ファンに近い方向の人も居ます。 まぁ、私も一時期は、曲を最初から最後まで聞く事が無く、一部分を聞いては機器の事で、、、って言う、音楽じゃなく音マニア? 音が苦??って言う時期も在ったのは間違い在りません。 音質が悪くても、音楽的な感動は時と場合に依り、しっかり伝わって、低レベルなプアオーディオ環境でも鳥肌が立ったり、涙が出る、音楽的な感動は得られる事が在るのだ、って認識出来れば、必用以上の製品広告文に対して、冷静に眺められるように成るのかも。。って思います。 なお、本格的なモニタリング環境で、音楽的な感動にはジャマに成らない程度の雑音(ノイズ)に固執し、ノイズが目立たなく成るように音を加工したのが良い、という人も居ますが、本来の演奏、ライブ感や生の力って言う感覚は、音が綺麗に鳴った加工により、どんどん音の鮮度が落ちて、加工食品の様な感じに、、ていう考え方も、もしかしたら私だけなのかもしれません。 (過去に、イベントで録音した音源、個人的には素材のママが好きなんですが、2種類の大胆な(と個人的には思っていた)音を造り込んだ方の音を皆好んだ上に、モット、、っていう意見が多かった、、最近の人は、原型が変わってしまう程整形した音が好きなようです、でもイベント出演者の方々には、最小限度の加工音源が非常に高く評価してもらえたので、自己満足度としては最高だったぞぉ。爆笑) ちなみに、モニタリングヘッドホンとして、始めてMDR-CD900STを入手し、このヘッドホンだけで編集した音源は、演奏者側の方からも、イベント関係者で音響はワカランと言う一般の人からも、なんか変と言われ、私自身もトラックのカーラジオで再生したら、ありゃ??て。 プアな環境でも、心地よく聴こえる調整にしないと、やっぱダメだ、と気がついたのは、音質調整で数週間経過した後、全部ムダだったのか?という感じでした。 でも、こういうのも、経験の一つ。 こういった、音に対する経験、つまりはどれだけ失敗をしたか、という面での、ダメな方向に対する共通認識が在る人同士であれば、オーディオ的なサウンドに対して、どんな単語を持ち出しても、お互いに検証会話が出来るので、オーディオ談義は終わる事が無く、お互いに楽しめる事も出て来ます。 音を言葉で表現しても、その言葉のイメージに対する認識や、基準と言う部分の基礎が同じで無い場合は、言葉で表現した音質の表現は、個人個人の無勝手な言い分、あるいは広告目的等の美化した表現、と割り切って読んでおくのが、ワンランク上のオーディオ論でしょうかね。 ま、そんなもんでしょう(^o^) (それにしても、このカテでは常連の先輩方、書き込みに来ないなぁ、、私だけではかなり不安。。)

noname#248380
質問者

お礼

音楽としてモニターするモニスピと音としてモニターするモニスピ 音楽マニアと音マニア 音と音楽 音としてのモニタリング、音楽としてのモニタリング 原型の音と整形した音 これらの対比する言葉はどちらがいいとは一概に言えないのかもしれませんね。優劣つけがたい気がします。好みの問題かな。好みのほうを7、もう一方を3ぐらいで聞くのがいいのかな。あるいは9:1とか。

その他の回答 (4)

回答No.5

私は写真を撮る事も趣味になっているのですが、芸術的な作品や叙情的な作品を撮ろうという気はさらさら無く、かと言って日常の記録や定点観測のような写真を撮るつもりもなく、Lens を通して撮った画像にその時の私の肉眼では見えていなかった、或いは感じていなかったものを見い出して楽しむために写真を撮っています。……そのため、独特な写り方をする Lens を 10 本近く、特殊な効果を出せる Filter 類を数十種類も持っています(^_^;)。 Audio に対する私の姿勢もこれとよく似ています。 録音して再生することを目的にして Audio に足を踏み込んだ事から Microhopne を設置する場所が実際に私が耳で音を聴いている場所とは異なる場所であり、場所が違うのですから音も違うことをもよく解っている上で Microphone を設置します。 何故、そんな位置に Microphone を設置するのか?……実際に耳で聴いている音よりも、もっと素晴らしい音で録りたいから……に決まっていますよね(^_^;)。 Amateur の私でさえそういう姿勢なのですから Pro' が録音した Source は実際の演奏会場で席に座って聴く音よりも遙かに素晴らしい音で録れているものです。 だから私は「原音」などという言葉を頭から否定して止まないのですが……(^_^;)。 「原音」の定義を「演奏会場などで実際に聴いた音」としてしまうと「原音再生」などと抜かす機器は、私にとっては「せっかく Pro' が実際に聴いていた音よりも遙かに素晴らしい音で録った Source を『その程度の音』でしか再生できないのか?」と逆に「カスな音でしか再生できない機器(笑)」かのように思ってしまいます(^_^;)。 Audio 装置で Music Source を再生すると「あれっ? こんな音も出されていたのか!」とびっくりしてしまうことが非常にしばしばあるもので、私は「原音以上の音を聴かせるもの」でなければ Audio 機器としての価値がないとさえ思っています。 私にとって「高音質」とは「原音以上の音」、一方「低音質」とは「原音程度の音、もしくは原音以下の音」に他なりません。 具体的には、例え自ら楽器を弾いてみても聴こえていなかった音を Audio 機器で録音再生した際に発見する、みたいな体験を得られた時の喜び……これが得られる Audio 機器が「高音質」の機器だと思っています。 写真で言えば Zooming が解り易いのではないかと思います。 望遠 Lens は実際には見えない、遠くのものをはっきりと映し出してくれますよね。 解像度の高い Digital Camera で撮った Data を PC に映し出し、画像を拡大して、実際には見えていなかった極小のものを見つけ出して感動するようなものです。 写真の場合は Lens や写真機の設定によって遠近感や大気の温度感を変えることができるのですが、Audio の場合もまたこうした変化を創り出すことが可能です。 しかし、その違いを言葉で言い表すのは非常に難しいものがあります……もともと言い表せる言葉など無いので、どうしても文学的な表現にならざるを得ません。 例えば大気の温度感は或る波長の光がどの程度赤外線側或いは紫外線側に偏って感じられるかを周波数 (波長の差) で数値化することができ、一定の法則で変換した数値を「温度」として表現することが可能ですので、実際、写真の場合は『色温度』という数値化された表現で設定値を制御するものがあります。 でも「色温度 6000°K」なんて表現しても、どれほど暖かみのある大気感なのかは余程の Camera Mania でもない限り想像が付かないでしょうから「柔らかい陽射しを浴びた屋内空間」みたいな、やや文学的(?) な説明をするしかないでしょうね。 Audio も、やろうと思えば周波数帯域別、音圧帯域別に Attack、Decay、Release、Sustain の時間、減衰率別の残響回数と位相角とか、細かく数値化できるものがたくさんあるのですが、写真と違って、そのような数値を用いる例が殆どありませんので、その数値から音色感を想像できる人は殆どいないでしょう。 だからどうしても「豊かな」とか「太い」とか「暖かい」とかの他の感覚的な言葉を多用した文学的表現にならざるを得ないのです。 もう 1 つ、大切なことは……Audio は『音』です……『音楽 (Music)』ではありません。 私は「除夜の鐘」や「鹿威し」、身近なものでは「ムックリ」や「風鈴」を録音再生しては実際には聞こえていなかった音をみつけて感動したりするのですが (笑)、Music Source を聴く際でも Audio として聞く部分では Music (Melody と Harmony と Rhythm) には感動を感じていません。 一方 Music に感動する時には「原音程度 (演奏会場で聴ける音)」にさえも及ばない「原音以下」の Poor な音質でしか聴けない状態であっても感動します。 Audio 機器で再生する Music Source は Pro' が Audio と Music のどちらでも最大の感動を得られるように細心の注意を払って録音、調整されたものになっていますので、殆どの人は Audio と Music とを分離して感じ取ることはできないだろうと思います。 歌手、演奏家と録音 Engineer や Producer 達との Collaboration によって実際の演奏会場で得られるもの以上のものが得られる芸術作品を堪能する、更にはその高い完成度を持つ作品を敢えて自分好みの Audio 機器による変更を加えることによってもっともっと耳に心地良く心揺さぶられる作品に改変する……それが Audio の醍醐味だと思っているのですが、その音を無味乾燥の数値ではなく、感動という感覚を理解してもらうべく言葉を選べば、どうしても文学的な表現にならざるを得ないのでしょうね。 勿論、雑誌の評論はたくさんの広告 Page を契約してください Sponcer Maker の悪口など言えませんので (言えば雑誌社から仕事が回って来なくなります(笑))、酷い音だと思っていても Oblate でくるむどころか、全く逆の印象を与えるような表現をすることがままあるものです。 例えば「高域は驚くほどの『キレ』があり、低域の柔らかさと相まって解像度が云々……」などと、書いている本人は『良い音』などとはこれっぽっちも感じていないばかりか高域尾刺激が強過ぎて耳障りだと思っていても、読者にはあたかも良い音かのように感じさせる表現法を幾らでも採れるものです。 実は私は Audio とは異なる分野での雑誌で、運用技術解説のような啓蒙的な Column を数年間持たせてもらった経験があるのですが、解説の都合上どうしても製品の性能評価を示さなければならない時には真っ正直に欠点を示して酷評しては出版社の社長を困らせていました(笑)……まぁ当の関係者達を呼んで覆面座談会みたいなこともできる業界誌で、Maker からの広告収入を当てにしなくても販社系列からの広告で喰って行ける雑誌だったことから許されたことですが(汗)。 明らかに虚偽であると判る低 Level の文章を書く人もいないわけではないのですが、Consumer 向け雑誌での評論では「文学的」と言うか、嘘を全く吐くことなしに、評論を書く本人が思っていることとは全く逆の、その製品を購入したくなるほど素晴らしい製品であると読者に思わせる Technic が幾らでもあるものです。 まぁ、評論だけではなく、報道などもそうなのですが、記事の内容を文字通りに受け止めるのではなく、記事を書いた人が何を思って書いているのかを斟酌しながら情報を再構成すること (Literacy と言うのですが) なしには理解などできないものですし、実証 (実体験) できるものは実証してみないことには理解できるものではありませんものね。 素敵な Audio Life を(^_^)/

noname#248380
質問者

お礼

自分は趣味でコンサートに行くことがあるのですが、コンサートの音はコンサートの良さ、ライブCDにはライブCDの良さがありますね。体で感じる重低音はコンサートの方が上だと思います。悪く言うとうるさいだけとも言えるかな。でも、臨場感と言えばいいのかな、特等席に座ってみてるような感じはDVDの方が上だと思います。(表現が下手ですみません。)どちらも一長一短なんですよね。 文学的表現を否定ばかりしてもしかたがない気はしますね。

noname#248380
質問者

補足

余談ですが、自分もキャノンEOS 70Dを使ってます。もらい物です。純正ズーム2本、純正50mm単焦点、旅行用ズームの4本のレンズを持ってます。50mm単焦点の回りがぼやけるのは、最高ですね。

回答No.3

再び iBook-2001 です♪ 『「低音質」と表現できそうですが、2000円ぐらいなヘッドホンの音なのかなと思ってます。あるいはラジカセの音なのかとおもってました。』 まぁ、一般論としてはご想像の通りですね。 でも、低音とか高音域を欲張らず、一定の音量範囲であれば、安価な量販品の中にも、中音域の質感が良い、と感じられる製品が時々存在します。 この種の物は、音量を低めにしても歌詞やセリフが聴き取りやすく、声等の帯域は妙にリアルな印象、っていう事もあるんです。 音質って、いろんな意味にも使われますが、超低音域から超高音域まで、とても広く再現出来れば、それは良い事ですけれど、広帯域感を得るため、作為的な音にしている、というケースも非常に多い。 在る程度、経験を積み上げた人でない限り、普通はこのような「音造り」がされている方が特徴的で、気に入ってしまう、という効果が有りますので、特に若い人達には好まれて、良く売れる、という傾向です。 そもそも、文字で音は聴こえませんよねぇ、このため、良い音のイメージに繋がる「文章」が用いられます。 低価格品から一定のレベルまでは、おおむね価格と音の品質、本来の「音質」はざっくりと考えれば比例しています。 一定水準を超えた、本来の高級オーディオという分野では、音楽的な嗜好など、利用者側の好みに対して、メーカー側のサウンド個性との部分で、もはや官能判断、あるいは感性評価の領域となりますが、この範囲の文学的な表現を、一般大衆機器にもキャッチコピー等として使い回すから、多くの人が文字ベースのイメージに乗せられてしまいがちでしょう。 同じ音を聞いても、たとえば「重量感の在る、どっしりと安定したサウンド」と表現すれば、良い方向のイメージでしょうけれど、「重苦しく、軽快感が得にくい、音楽のノリを表現しにくいサウンド」と言われたら、マイナスイメージですよねぇ(笑) どのように文章として表現するかは、あくまでも主観的なので、本当の音をイメージとして共有するのは、とても難しい。 多くのオーディオ評論家等は、製品をけなすと仕事が来なく成るので、あからさまに弱点を表現する事は殆ど有りません。 そのかわり、クラシックが好きな評論家が「ポップス向き」とか「ジャズ向き」の音、なんて言う場合は、もろ否定的印象を持っていると判断出来ますし、逆にジャズが好きな、あるいはロック等が好きな評論家が「クラシック向き」なんて表現した場合も、ほぼ同じ様な事が想像出来ます。 多くの読者ファンが付いている評論家などは、弱点を軽く、でも的確に指摘しておきながら、それ以上の良い面をたくさん表現する、などで、メーカー側の心情も大きく害さず、比較的判りやすい表現者として好まれたりします。 広告などの分野は、とにかく「良い物だよ」というアピールが重要ですし、音を聞いている製品開発技術陣が考えるものではなく、多くは広報部とか広告代理店などの専門家に任せられます。 近年の場合では、デジタルだから、あるいはハイレゾ対応だから、いかにも音が良い、というイメージ表現が多いのですが、実際の音はアナログなので、重要なポイントはアナログに戻してから、どのようなサウンド展開が得られているのか、という実際の音で判断しなくては本末転倒です。 デジタル分野は、単に採用したデジタルIC(チップ)が、どういう範囲まで対応しているか、というダケ。 でも、この部分ははっきりと数字だったり、規格として表記出来る為、アピールには使いやすい部分でもあります。 デジタル信号に未対応の高級プリメインアンプや、高級パッシブスピーカー、安価なハイレゾ対応で光接続やBluetooth対応という、機器に、機能は劣っていますが価格相応にサウンドクオリティー、音質面では実力を備えていますよね。 (ただ、あまりにも高級機の分野ですと、人それぞれの好み、感性判断の両域に成るので、好む人/好まない人 必ず両方の意見が在る物です。) 多少大げさな表現として、「ボーカリストが自宅で歌い、息や唾が感じられそうな音」とか、バイオリンの演奏で弓の松ヤニが飛び散るのが克明に見える音」なんていう表現は、ドコカで見た様な気がします(笑) あるいは、「百年の時を超え、我家のリスニングルームに演奏家が生き返って現れた」なんて言うのも有ったかなぁ。 音楽的な「魂(ソウル)」、「精神(スピリット)」まで持ち出してくると、もっといろんな表現が在るはずですね。

noname#248380
質問者

お礼

美辞麗句を並べた文学的表現は時に意味不明のこともありますね。同じネタばかり使われてることも。 オーディオ評論家と称する方々はメーカーの広報部門の回し者みたいなものなんでしょうね。 確かにオーディオ機器に関しては、値段と大きさは正直な気がしますね。 作為的な音を見破る耳にするには、モニター系の製品で耳を慣らせばいいんですかね?

回答No.2

はじめまして♪ 「重低音」と言う表現が在りますが、聴感に関する医学的な部分や、本来の音響学では存在しない表現。 こういう表現をキャッチコピーなどで上手に利用し、広告効果が得られれば、それは営業的に成功ですね。 「高音質」等のキーワードも在りますが、ならば、逆はどうんな音なんだ?と確認してみれば、案外判りやすいことのハズですが、、、 ハイファイじゃなくいろんな意味でローファイな音源でも音楽的な感動は強く伝わる事も在ります。 私個人は、重苦しい低音はもう卒業したので、空気の動きの様な軽くてさわやかで、それでいて内蔵が揺さぶられる、、と言う感覚の、「軽低音」を本格的に再現出来るサウンドを目標にし、あれこれ大きく妥協した範囲で「オーディオ」を楽しんでます。 「高域に特徴が有り、最近の若者向け音楽再生に適した、、」 と表現されれば、裏読みで、おそく高域側に強いクセが在るサウンドだろう、すでにソレ以外の言い回しで好評化意見が書けないのかも、、と。 この他に、数字を利用した分野があり、本質の部分を理解で来て居ない人には、販売促進の特効薬、と言える範囲も存在します。 今夜はかなりアルコール摂取量が多く、おそらく明日の朝が辛い、、、ていう状況なので、もっと深い部分を書き込みする気力も能力もヨッパ~、、て事で、ごめんなさい。 ほんと、うわべだけ、申し訳ございません、ヒック~~☆♪

noname#248380
質問者

お礼

重低音というのも、本来ない言葉なんですね。「ドンドン」と体に響く音のことを言ってるのかな。 >「高音質」等のキーワードも在りますが、ならば、逆はどうんな音なんだ? 逆は「低音質」と表現できそうですが、2000円ぐらいなヘッドホンの音なのかなと思ってます。あるいはラジカセの音なのかとおもってました。 「本質の部分」と言うのはどういうことなのかを教えて欲しいです。

  • vaidurya
  • ベストアンサー率45% (2714/5983)
回答No.1

典型的なのは、豊かな音とか、広がりのある音とかでしょうね。 たとえば、価格.comで、たぶんいちばん高価なタンノイを見ると http://www.esoteric.jp/products/tannoy/kingdomroyal/ 〉どこまでも深く沈みこむような 〉スピード感のある低域のコントロール性能 といった表現が見られます。 すごいということ以外伝わらないのに 「すごい」で済ませない。 これが文学的と言われる所以でしょう。 音がどう聞こえるかは、個人差も大きく 体調や気分、事前の状況などからも大きく影響を受けます。 ですから、正確な音を鳴らすとされるこのスピーカーを その価格に見合う高性能であることを伝えるためには 技術的な説明だけでなく、文学的表現が必要なのでしょう。 そんなものは理解する必要は無いんですよ。 なんとなく感じて、あとは実物の音を聞いて それで納得行けば、それを買えば良いというだけのことです。 その違いが技術的説明でも 文学的表現でも、実際の音を聞いてもわからないなら 別に買わなくても良いんです。 わからないものをわかったふりをするほどかっこ悪いことはなく それが露呈した時ほど恥ずかしいものはありません。

noname#248380
質問者

お礼

文学的表現というのは、オーディオ機器に限ったことではなさそうですね。車とかその他工業製品についても使われてる気がします。 vaiduryaさんは必ずしも文学的表現を否定されてるわけではないんですね。 自分がこのクラスのスピーカーを見に行くと、間違いなく追い出されると思います。十万円程度のアンプ内蔵スピーカーでも「長時間の視聴はお断りします」と言われたり、防犯ブザーを鳴らされた店もあります。w 高級モデルになるほど原音に忠実、つまり正確な音を出すとされるモデルが多いですね。

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