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誕生日が苦手な私。改善方法は?
- 私は誕生日が苦手ですが、周りの人に感謝する日と考えることで解決策を見つけようとしています。
- 自分の存在価値に疑問を持ち、誕生日を祝うことに葛藤しています。
- 自分にちょっとだけ好きな部分が欲しいと思っていますが、どうしたらいいか迷っています。
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質問者が選んだベストアンサー
私が質問者さんの親だったらどう思うか、という仮定でお話しさせて頂きます。 >存在価値のない私の誕生日なんて祝うものじゃない 質問者さんは「存在価値のない私」と仰いますが、 周り、少なくとも親である私は「生きていてくれるだけで、それだけでものすごくありがたい」って思います。 生きている、それだけで親にとってはもう十分価値のあることなんです。 その他のことは「おまけ」です。 子供の誕生日が来るたび、また無事に1年歳をとることができたね、 ここまで生きてくれてありがとう、この子を生かしてくれた皆さんありがとうございます、って思います。 質問者さんが「周りの人には日頃から迷惑をかけることも多い」と思っていても、 私はそれを「迷惑」とは思っていません。 子供が「いつも助けてもらっているので」と思っても、 親の私はして当然のことだと思っています。 そんなに自分を卑下せずに、迷惑かけるなんて考えなくていいから。 それよりなにより、自分のやりたいことがあるなら、精一杯やっておいで。 助けがほしい時は言ってね、いつでもサポートするから。 以上、私が親だったらどう思うか、でした。 少し気になったのが、唇の裏を噛む、というところです。 何か心の奥に、もしかしたらご自分でも気づいていらっしゃらないようなストレスが隠れているのかなと思いました。 カウンセリングなど、専門知識が高い人に相談するのがいいと思います。 お医者さんに行って何らかの名前をつけて診断され、毎回薬をもらうだけ、というパターンは私個人は疑問があります。 「話す」ことが中心の、優秀な臨床心理士の方に出会われるとよいのでは、と思います。
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誕生日なんて、ほかの日と同じでしょ。 逆になんで特別視するんですか? 生まれた日からちょうど何年。 だからなんですか? 1年という概念自体、時にはない。 人が勝手に決めたくくり。 それに1年経ったから、なんですか? なんかどかーんと奇跡が起きるんですか? 誕生日を祝う理由なんてありませんよ。 まぁ、誕生日が祝うきっかけになって楽しいというなら 別にいいですが。 祝わなければならないものじゃないし、 「祝え」と押しつける道理もありません。 理由も義務もいっさいありません。 よく「節目の年」っていうけど、「だからなに?」 っていつも思います。 すべてこじつけでしょ。
- inochi_bf
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「自分」が自身の中だけの存在だと思ってしまうと、例え今最高に幸せだと感じている人でも、最終的には絶望にたどり着きます。 充実した人生を全うされることを心からお祈りしております。
- まさしろ(@masasiro)
- ベストアンサー率35% (295/842)
病院に行けば解決するものではありませんよ(^-^) 貴方には他人の導きが必要ですが、それは医者だけではありませんよね。どんな薬よりも、人間の優しさや親切が貴方の心には必要ですね。 貴方は、貴方の理性的な「考え方」と貴方の身体が感じる体感的な「感情」を分けて考えることから始めるべきです。 貴方の文章から、貴方を支え、手助けを与えてくれた方々に対して、貴方は大好きで感謝していると貴方の感情を書かれた。一方で、他人に迷惑を与え続ける自分を恥じ、自分の生命を否定する理性的な考え方を書かれました。 ここで重要な点を書きますが、貴方が持った感情は、素直に相手にぶつけなければなりません。感情には必ず行き場、行き先が必要です。 よく、感情を相手に押し付けてはならないと言ったりしますが、あれは正確では無いのかもしれません。正確には感情では無く、自分の「考え方」を相手に押し付けてはならないのだと思います。考え方を押し付けたところで相手に真意が伝わるかは疑わしいですしね(^^;; また、押し付けるとは、一方的な態度であって、相互に理解し合う態度ではありません。考え方は複眼的で柔軟なものであるべきですからね。 人間は貴方に限らず、理性的な思考を持ちますが、理性が生み出すものの多くは「疑い」なのです。理性が生み出す「疑い」は貴方に自分の存在を否定させます。ただ、貴方の理性が持つ「疑い」もまた、複眼的なものであることを指摘しなければなりません。 貴方の理性が持った否定ですら、貴方の理性によって否定されるのです。これを「否定の否定」と言います。ただ、貴方の理性が「否定の否定」を持つに至るまでには、貴方の理性の成長が必要ですね。 貴方が誰かに迷惑をかける。貴方の失敗を補い、手助けをしてくれる人たちがいらっしゃいます。貴方は感謝の気持ちを持つ。ここで重要なことは、貴方が感謝の気持ちを持つことで、貴方と関わった人間は、救われる可能性を与えられる。ということです。人間は自らの理性が生み出す「疑い」によって苦しみます。自分の生命が何かや誰かの役に立ったのなら、その人にとって、その出来事は疑いを凌駕し、乗り越える重要な意味を持つのです。 貴方が他人に感謝を持つキッカケを与えているものは、貴方が他人に与えた迷惑が始まりです。貴方が他人に対して迷惑を生み出せたのは、貴方がこの世界に産まれて来てくれたことが始まりなのです。 貴方が他人に与えているものは、一つの側面だけで語られるものでは無く、とても複眼的で良い面も悪い面をも同時に含まれるものなのです。 貴方の誕生日を、これからもっといい自分になれるような決意の日にするのは如何でしょうか? 誕生日だけでは無く、日々生きる新しい毎日と、貴方は何度でも新しい気持ちで出会い直せるようであれば素晴らしいですね。 今日この一日は二度と訪れることの無い一日でもあるのです。そのような奇跡の一日を、貴方自身の存在を貴方が否定する一日に当てることが許されている。 では、何故許されるのか? それは、貴方の考え方が日々変わって行くことへの希望が、その一日にはあるからだと思いますよ(^-^)