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仕事
男にとって仕事(経済力)って本当に重要なんですね。 http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20100616 エスカレーター式の社会のレールに乗れなかったら、 努力すれば手に入ると思ってた幸せも手に入らない。 結婚して家庭を持つことは、もう今の時代にはあってない価値観なのでしょうか? http://finalrich.com/sos/sos-economy-marriage-under300.html 年収300万以下の既婚率10%・・ 35歳以上で結婚できた人、数パーセント・・ 私は今月、仕事を解雇される36歳男性ですが現在 仕事を探して空いた時間にハローワークに通っています。 募集してある求人は低賃金でそれでも高倍率です。 履歴書は送ったんですが返事待ち。 1人の採用枠に34人の応募・・手取り17万の仕事なのに・・ 家庭をもつとか家を買うとかレールに乗れた人のすることなんでしょうか? 乗れなかったら趣味でも探して一生一人で生きていけと
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- ka28mi
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>努力すれば手に入ると思ってた どんな努力ですか? 家庭を持つにしても家を買うにしても、そりゃ経済力は必要でしょう。 あとは逆に凄く経済力のある配偶者をつかまえるか、ですね。 そのためには、別種の努力が必要だと思いますが。 >エスカレーター式の社会のレールに乗れなかった 冷たい言い方になってしまいますが、エスカレーター式なんて考えている時点でアウトです。 人生は自分の足で歩かなければいけない階段です。 自営業をするも良し、職人なるも良し、会社員や公務員になるも良し、経済的基盤を持つ方法は、いくつかあったはずです。 けれど、どの道を選択したにせよ、その道を歩き続けるためには自分で努力せざるをえません。 そして、その「努力」とは、そこでの目的にあった努力、成果につながる努力である必要があります。 「自分では頑張っている」ではダメなんです。
- dorce0000
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>家庭をもつとか家を買うとかレールに乗れた人のすることなんでしょうか? とわざわざいうような事じゃなく おおもとはそれが基本だったんです。 たまたま昭和の一時期だけ、ラクだったのを まるで普通だと思い込んでしまっただけです。 人間の男性に限らず生物のオスは メス8に対し2もいれば十分らしく まんべんなく子孫を残すよりも 一部の飛びぬけたオスの遺伝子を たくさんのメスが確実に残す体制のほうが 生物として合理的らしいです。 だから、残ったオスや男性は殺し合いで淘汰されたり 歴史的にも、所帯を持たない(持てない) 階層の人もいたんだとか そういう説は昔からあります。 動物も一部のオスが複数のメスを擁して その他のオスは「はぐれオス」として 群れから去っていくスタイルは多いですし。 元々普通に?厳しかったんです・・・・ それが「一度上げた生活レベルは なかなか下げられない」と同様に、 一度ラクを覚えたらそれが当たり前になって 本来の厳しさを受け入れられなくなったんでしょう。 元々人間も動物も、格差社会なんですよね。
お礼
まえの職場にバブル世代がいたのですが、 当時は同じ仕事して年収900万あったそうです。 家も立てたし結婚して子供も、もうすぐ大学を卒業して ひと段落すると言ってたおやじがいました。 バブルこねぇかなぁと思いますよ・・ 回答ありがとうございました!
- eroero4649
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アラフォーの独身男です。いろんな意見はあるでしょうが、さして年収が高くもなければ若くもない男にはこれといった価値がないのは悲しいけど事実です。若ければまだ「将来性を見てくれ」というのもありますが、30半ばを過ぎて将来性もへったくれもないでしょ。女性でいうなら、若くもなければ料理や家のこともロクにできないみたいなものです。質問者さんだって、家庭的じゃない女なら若くて美人なほうがいいし、それなりに熟した女ならそういうことができる女がいいに決まっていますでしょう? 私は20代半ば頃にやりたいことができて、それのために付き合ってる女も捨てて貧乏にもなってそのやりたいことをやりましたが、自らの愚かさでその立場を失ってしまいました。そこで愚かなことをしなければ、その業界でそこそこの地位になれたかもしれません。また最初に入った会社を辞めずにちゃんと働いているか、もうちょっと自分に合う会社を選んでいたら、そこでサラリーマンとして平凡だけど幸せな生活を送っていたかもしれません。 だから我が半生を振り返れば、売れ残っちゃったのは自らの不徳と致すところで誰のせいでもなく自分のせいだと思っています。 そして、もし努力しても幸せが手に入らなかったとしたら、その努力の方向性が間違っていたか、努力が足りなかったかです。「俺は死ぬほど努力した」というのなら、足りないと思います。私が今まで出会ってきた人の中で、努力家で「死ぬほど努力した」という人はいません。努力家はみんな「まあ努力しているほうだと思うけど、まだまだだよ」と謙虚です。 サッカーで平山選手という人がいます。高校時代はその名を知られたスター選手。大学サッカーからオランダに渡りました。頭のいい選手だったので現役後も考えて大学進学したようですが、中途半端なまま渡蘭したのがケチのつきはじめでした。 オランダではまったく通用せず、帰国。その後はJリーガーとなりましたが、日本代表はもちろん、チームでもレギュラーポジションはとれず、中途半端な選手となっています。 一方、日本代表のエースである本田選手は高校時代はほとんど無名の選手でした。本田選手はJリーガーを経てオランダ入りしますが、当初は平山選手のようにまったく通用せず、期待外れの象徴のような扱いを受けました。 しかし、やがて本田選手は頭角を現し、評価されてロシアリーグに渡ります。ロシアリーグ以降の活躍はご存じでしょう。 平山選手も本田選手も日本人としては体格に恵まれている反面、足が遅くてプレッシャーに弱いという共通項を持っています。しかし平山選手は通用せず、本田選手はエースとなりました。その違いは何か。それはやっぱり努力の差だと思います。本田選手は、努力と準備を決して怠らない選手です。常に向上心を高く持った選手です。 そんな本田選手が成功についてこんなことを語っています。 「成功したいなら、成功するまで続けることだ。例え、失敗したとしても成功するまで続ければいい」 レールに乗れなかったのだとしたら、自分の中に何かが足りなかったのだと思います。
お礼
20代の若いころに女友達が多そうな奴とつるんでなんとかやっとけば 今頃こんなことになってなかったかもです。 サッカーは全く興味ないのですが今のは見てます(笑) 結果出してほしいです 足りないものはわかっているけど歳とったら・・どうだか・・ 「いま」って死ぬほど大切ですよね、とくに若い時間ほど(>_<) 回答ありがとうございました。
お礼
僕、努力なんてしたことないですわ。 回答ありがとうございました。