※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:乳癌手術から2年、昔のアバンチュール相手と再会)
乳癌手術から2年、昔のアバンチュール相手と再会
このQ&Aのポイント
乳癌手術から2年、昔のアバンチュール相手と再会。乳癌の手術を経験した主人公が、かつて関係を持った人と再び出会い、複雑な心境に陥る。
乳癌手術から2年経ち、かつてのアバンチュール相手が連絡をし、再会を果たす。主人公は自身の病歴が知られていることに慎重ながらも、彼との関係に興味を持ち始める。
乳癌手術から2年後、主人公はかつての関係を持った相手と再び会う。彼の紳士的な態度に安心する一方で、彼との関係が病的なものであるか不安になっている。
どう考えていいか分かりません。何も考えなくてもいいのでしょうけど、少し混乱しているので、「そんなこと大したことないよ、軽く流せばいいんだよ」という言葉がいただければいいなあ、と思って質問させていただきます。厳しい事を言われても、聞いていただけるだけで本当にありがたいです。
2年前に乳癌が見つかり、片方の胸を切除する手術をしました。ステージは進んでおらず、ホルモン依存の癌で、治療は厳しくありませんでしたが、多くの事を見直すきっかけになりました。
乳癌から遡って2年前、ですから今から4年前に一度だけ関係を持った人がいます。私は当時大学で歴史研究をしていて、その人は同じ分野で立派な業績をあげている教授です。乳癌以来、私は研究するにも執筆するにも精神的な自由をことに求めるようになり、大学はやめて、翻訳者として自立しました。まだ大学にいた頃、つまり別大学ですが、学会では一応同僚であった頃、彼と一度関係を持ちました。が、自分の気持ちにどうしても確信がなく、その頃大きな失恋を経験した後だったので、その人を利用しているようにも思えて、続けませんでした。その人も自由のみではありませんから、私を追ったりはしませんでした。
さて、私の乳癌のことは限られた人にしか話しておらず、特に手術内容に関してはほとんど誰にも言っていません。彼の研究室に出入りする親友の博論学生にのみ話を聞いてもらいました。その親友(男性ですが)は、「誰にも言わない」と誓ってくれたのですが...
先日、「2年目のお祝いをしよう」と当該教授、つまりかつてのアバンチュール相手が連絡してきました。大きな花束を持って、レストランに招待してくれました。その人には乳癌の話すらしていなかったので、思わず、おしゃべりの親友を恨みました。
食事の後、その人は4年前に比べて大変リラックスした様子で、実にさりげなく私を抱きしめ、「絶対無礼なことはしない、嫌ならすぐに帰すから」、部屋に来てほしい、とホテルに私を誘いました。私はその人と話していて、その晩、それまでの数年がなかったかのように、昔と同じように楽しかった。そのまま帰りたくはありませんでした。
また、安心もしていました。なぜなら、私自身はこれまで、どんなに押されても嫌なときは嫌、と言う事に失敗しなかったことはなかったからです。その人の紳士ぶりも4年前に証明されていましたし。同時に、何も話していなかったこの数年、その人には私の病歴の全経路を知られていたんだ、ということにいくらか気が転倒していました。さらに言えば、心のどこかで、「ギリギリまで行ったとしても、胸がないからごめんね、できないわ」という理由は無敵に違いない、自分も向こうも納得して引き返す事ができるはず、という大きな安全弁に賭けていました。いずれにせよ、ホテルだろうがベッドだろうが、何も起こらないと信じていました。
部屋に着くと、その人はすぐに、「知ってるよ、何も言わなくていい」と言いました。私が見せたくないの、と言っても、「じろじろ見ないから、肌に触れたいだけだから」、それから付け加えて「いや、見たい、ちゃんと見たい、どんな君でも見たい」と言うのです。成り行きというものは自然な流れを作るもので、また私も、きっと好奇心なのだろう、そんな好奇心も大事な事だわ、などと考えて(つまりは大変お互い楽な気持ちでいたということですね)、「分かった、見せてあげる」と脱ぎました。
その晩、私たちはまるでこの4年がなかったかのように、禁忌なしに愛し合いました。
その後二、三日は私もぼうっとしていましたが、次第に冷静に戻り、お互いに何度か手紙をやり取りしながらも、彼の超絶ロマンチックな文句を信じる気持ちはまったくない自分を感じています。
世の男性は、4年前の一晩のアバンチュールの相手が、乳癌で片胸を失ったと聞いて、どうしてももう一度寝たいと思うものですか。
この人にはもしかして病的な嗜好があったのでしょうか。なぜか、今でも理解できません。私自身は、彼を本当に自分が好きなのかどうか、それがはっきりしていません。話していて一番楽しい相手である事は確かですが... 切ない気持ちにはならないのです。そこまで関係は進んでおらず、昔も今も、知的交換の側面はあっても、肉体関係にすぎないと思っているんです。
ただ、数日前の夜は実に情熱的で、今でもそれを思うと混乱します。
さて、彼の気持ちがわかるのは彼だけですけども、あの情熱に私の手術痕が関わっているとしたら、何か不健康な感じもするのです。
こんな話、聞いていただいただけで感謝に堪えません。もし、ご意見、ご解釈がありましたら、お教えいただければ、今後の励みにしたいと思います。
よろしくお願いします。
お礼
2年前と変わらず、しなやかで、凛とした言葉、暖かい声、知らない人一人一人の心を開くような優しく強い視線、あなたでしたか。いつでもベストアンサーです。どんなときでも、私はあなたなしでは、今ここにはいないと思います。ありがとう。本当にありがとう。また出会えてよかった。生きていてよかった、と誇張ではなく思います。
補足
覚えています、覚えていますとも!あれからどれほどあなたを探したか、何時間も使ってニックネーム(nで始まりませんでしたか)のついた回答を探し出し、私だけで独占する訳にいかないお言葉を別の人に与えられているところを聞いて、少しでも手に入れようとしました。別にストーカーとか全然やってませんが、あなたを探しました。世界でたった一人、私にあの時すべきことを言ってくれた人だからです。母との確執でしたね。私にいただいたお返事、すべてコピーして保存してあります。覚えておられないかもしれませんが、「植物を育てる事、動物を育てる事」そういった助言をくださった。その通りにしました。親戚も隣人も友人さえも私をなじり、世間のほぼ100%が「遅い反抗期」と見た私の弱々しい抵抗は、あなたの言葉だけを支えに続きました。この2年、自立の路を探しました。あの時作っていた本が出て、その中で完全に庇護を受けつつも支配される役割に甘んじていた時代を終わらせる事ができました。母を心の中で断ち切るとともに、パターナリスてィックな大学からも抜け出す勇気が生まれました。自分の言葉を取り戻しました。なぜ、これほど長い回り道をしたのか、今では分かるような気がします。