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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:負けるとわかっていても戦わなければならない時)

負けるとわかっていても戦わなければならない時

このQ&Aのポイント
  • 男には負けるとわかっていても戦わなければならない時があるという言葉をよく耳にする。
  • 嫁さんや子供を守るために戦うことは理解できるが、他に負けるとわかっていて戦わなければならない状況を考えつかない。
  • 勝てる可能性があるなら戦うことは無駄ではないが、負けるとわかっているなら戦うのは無駄であると思う。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.10

勝負に負けても、命を失ったとしても、それでも守るべきものがあるという事だと思います。 腕力だけの話では無いと思いますよ。「男には」が意味するのは、信念とかプライドとか義とか武士道っぽいもの。女の場合はそんな事より生き延びるべきって考え方が昔から一般的なのかもしれませんね。 例えば、日本は大東亜戦争に負けたけれど、後々どこの国からも批判されないような、完全な義を通した戦争をやって負けたんなら、どれだけ今の日本人が誇りを高く持てたか・・・いまだかつてそんな戦争やった国は無いし無理な話だけど、個人に置き換えればそんな戦いもあり得るのかなと思いました。

noname#199325
質問者

お礼

なるほど。 人は死んで名を残すってやつでしょうか。 いのちよりそれが大事な人はけっこういるように思います。 ナルシシズムなのかな。 おっしゃるように、女には少ないようですね。 ご回答ありがとうございました。

その他の回答 (10)

回答No.11

 個人的見解として、「閉鎖的つるみ合い」は必ず標的を作る という認識を持っていますが、(いじめですね) なるたけつるまないで単独行動をしようとすると、そういう人がつるんでる人の標的になることは、往々にしてあると思います。(目をつけられるですね)  その時に単独行動者はどうふるまえばいいのか?なびくのか、小さくなるのか、逃げるのか、威圧するのか、戦うのか?私はとても勝てる気がしないので、逃げるという態度ばかりだったのですが、それではこの社会生きづらいので、負けると分かっていても戦えるようにはなりたいのですが、最終的にはいじめには絶対負けないという自信はもちたいですね。  単独行動する男の言葉だと思います。社会的に単独行動する女って滅多にいないんじゃないでしょうか。というのは偏見でしょうか。  

noname#199325
質問者

お礼

>単独行動する男の言葉だと思います。 なるほど、うがった回答をありがとございます。 負けないための練習として、、、と解釈させていただきました。 ご回答ありがとうございました。

noname#194996
noname#194996
回答No.9

>男には負けるとわかっていても戦わなければならない時が 単なる阿呆か、格好つけているだけの無意味な臭いポーズだと。 普通、男が闘うということは生死をかけたものです。ゲームではありませんね。戦国武将などでは、死ぬかもしれないと思いながら出陣しますが、それとはまったく違います。負けるとわかっている戦いをしかけるのは愚の骨頂です。自分が犠牲になって、もっと大きな戦略が成就されるというのはまた別の話です。 そのせりふにはあきらかなうそがあります。そういいながら「勝てるかもしれないが、それは隠しておこう」と思っているのです。なぜなのかはわかりませんが、今の時点で悲壮感をあおり、身近かのものの同情を引こうとおもっていることはまちがいありません。詐欺師にも近い卑怯ものですね。 >「負けるとわかっていて」戦うのは無駄でしかないように思うのですが。 そのとおりです。

noname#199325
質問者

お礼

>戦国武将などでは、死ぬかもしれないと思いながら出陣しますが、それとはまったく違います。負けるとわかっている戦いをしかけるのは愚の骨頂です。 そうなんですよね。私もそう思います。 ご回答ありがとうございました。

  • kyo-mogu
  • ベストアンサー率22% (3398/15358)
回答No.8

 人生そのものじゃないかなと。負けるかもしれないが、それでも突き進むのが人生だと。先の見えない未来に対しての不安は誰もが持っています。普通なら不安で負けそうですから。でも、なんだかんだと進むしかないです。  それと負ける事も実は大切です。失敗なども同じですがその経験から何を学ぶかですよ。負けたり失敗して、どう対処するのか分かると、今度はその事やそれに類することから守れることも多いです。

noname#199325
質問者

お礼

いや、質問は「負けるかもしれないが」じゃなくて「絶対負ける」なんです。 でも、負けを経験するために戦ってみるというのはありかもしれません。 が、それが「男には」である必要はないでしょうし、 「戦わなければならない時がある」ということもないように思います。 ご回答ありがとうございました。

回答No.7

普通の喧嘩でも商談でも同様でしょうが、アリが象と戦って全戦全敗ということはありません 「もしかしたら」アリが勝つかもしれないんです

noname#199325
質問者

お礼

あ、「もしかしたら」はアリです(笑) 質問は「負けるとわかっていて」の場合です。 ご回答ありがとうございました。

noname#202739
noname#202739
回答No.6

単なる男のプライドと自己満足のための発想ですね。 ほんらいなら、負けるとわかっていながら戦わなくてもいいように 準備しておきます。 要は準備不足を正当化してるだけです。

noname#199325
質問者

お礼

回答読ませていただきましたが、例は全て勝ってますよね。 負けるとわかっている戦いに勝ちはないと思います。 負けると思っている戦いなら勝ちも拾えると思いますが。 ご回答ありがとうございました。

noname#199325
質問者

補足

申し訳ない、他の方へのお礼とコピペを間違えてしまいました。 正当化かどうかはわかりませんが、 準備不足というのはそのとおりと思います。 ご回答ありがとうございました。

  • 5S6
  • ベストアンサー率29% (675/2291)
回答No.5

時間稼ぎという戦略でありますよ。 昔の戦争なら足止め。捨て石。 自分の撤退が成功するために、部下を犠牲にして足止めさせる。 現代ではたとえば、家賃が払えないとします。 アパートだろうと、工場、テナントでもかまいません。 払わないで居座ります。 すると大家は追い出すことになりますが現在の法律では1ヶ月-3ヶ月払わないから 直ちに出て行け!なんてことはできません。 法律通り正式に裁判手続きすると3年ぐらいかかります。 負けると思っても戦う。というか例えば家賃滞納で逮捕、懲役3年とかはありませんよね。 特に母子家庭や老人、金払う気ない人。 わざと控訴したり、裁判手続きを遅らせます(指定期日までに弁論書をかかない等) すると3-5年持ちこたえます。家賃は払う必要ありません。 逮捕されることもありません。それどころか大家から引っ越し費用、次住むところまで費用 まで払ってもらうことができます。 借金取りも同様です。 マンガのようにヤクザみたいのが暴力すれば、そっちが逮捕されます。 落ちると思っても受験する。(受験、面接) 共通するのは、時間稼ぎです。

noname#199325
質問者

お礼

いや、質問は「思っても」じゃなくて「わかっていて」です。 負けると思っても挑戦することは必要と思いますよ。 ご回答ありがとうございました。

  • atelier21
  • ベストアンサー率12% (423/3293)
回答No.4

何度かありますね 理由は「意地」でしょうか 格好付ければ「名誉とか正義」の独りよがりでしょうが 例えば 弁護士相手に素手で訴訟起した顛末がある 裁判と云う土俵に上がる仕来りルールも解らづ  裁判官に迷惑掛けたが 同情されたか 予想外の全面勝ち 捨てる神あれば 拾う神あり 清算金は負担増ですが 精神的満足 又 筋の方との闘いは 草々に幹部に当ったので 小争いから逃れる 質の悪いのは役人だ 此方が勝っても 相手は隠し相互に護り合う 

noname#199325
質問者

お礼

>結果は、わかっていても、守るべきもののために、自分のために > という理由で、その理由のために、人は戦わなければならないのです。 質問文に書いたことを繰り返していただかなくとも・・・。 >また、戦わずして逃げれば、間違いなく、後悔、焦燥感、不安という気持ちが それは、戦えば勝てたかもしれない場合です。 負けるとわかっていて負けた方が後悔は大きいと思います。 なぜわずかでも勝てる方法を見つけてから戦わなかったか、と。 ご回答ありがとうございました。

noname#199325
質問者

補足

申し訳ない、#3さんへのお礼と間違えてしまいました。 回答読ませていただきましたが、例は全て勝ってますよね。 負けるとわかっている戦いに勝ちはないと思います。 負けると思っている戦いなら勝ちも拾えると思いますが。 ご回答ありがとうございました。

回答No.3

おはようございます。 そのような状況に陥った時は、自分のために、自分の 自尊心のために戦ってください。 結果は、わかっていても、守るべきもののために、自分のために という理由で、その理由のために、人は戦わなければならないのです。 また、戦わずして逃げれば、間違いなく、後悔、焦燥感、不安という気持ちが 己の心にこみ上げ、きっと苦しむ結果を招くことになるでしょう。 まぁ人間は本当に本当に弱い人間ですが、戦うことで、自分の自尊心を維持し、それ が己の自信につながり、そして、弱い人を助け、思いやれます。 戦うことで、きっと新たな自分にきっと出会えることだと思います。

noname#199325
質問者

お礼

>結果は、わかっていても、守るべきもののために、自分のために > という理由で、その理由のために、人は戦わなければならないのです。 質問文に書いたことを繰り返していただかなくとも・・・。 >また、戦わずして逃げれば、間違いなく、後悔、焦燥感、不安という気持ちが それは、戦えば勝てたかもしれない場合です。 負けるとわかっていて負けた方が後悔は大きいと思います。 なぜわずかでも勝てる方法を見つけてから戦わなかったか、と。 ご回答ありがとうございました。

noname#205155
noname#205155
回答No.2

おはようございます。 言葉の捉え方は色々とあると思います。 負けるとわかっていて、でもやって見なければわからない ! 勝負は時の運という言葉もあります。 戦わずして逃げるなんて姑息な考えより、正面からぶつかってみる ここに美学というのがあるのではないでしょうか。 実際私が高校の時にサッカーの県大会がありました。 トーナメント一回戦で前年度県でベスト4の実力校と試合をして 下馬評では圧倒的に相手の高校が有利と言われていました。 負けて元々という言葉もありますが、とにかく勝ってやる ! そういう気持ちも強く、最終的に1vs0で私たちの高校が勝ちました。 シュート数も相手の高校が倍以上です。 でも、シュートコースを押さえ枠内にシュートさせませんでした。 試合を見に来ていたOBが戦い終えて一言、おまえらどうしたんか ! と(笑)

noname#199325
質問者

お礼

勝負は時の運というのは、勝てる可能性のあることを言いますよね。 で、その可能性というのは、やみくもにぶつかれという意味ではなく、 きちんと戦略を立てろという意味ではなかろうかと。 負けて元々という言葉も同じです。 負けるとわかっていながらやるのはアホとしか・・・。 ただ、#1さんの言うように、「戦った」という事実が重要と考えることはできます。 それがいわゆる美学というものと思いますが、美学はしょせん自己満足ですよね。 >戦わずして逃げるなんて姑息な考えより、 逃げるが勝ちということも多いですよ。 ご回答ありがとうございました。

回答No.1

「戦った」という事実が重要なだけの場合もあります。 女性でもそういうケースあるとは思うんですが、そのあたりはいまだ男社会だってことなんでしょうかね・・・ 自分は「人には」と枕詞変えて使いますけど、いずれ世間もそう変わるんじゃないでしょうか。 もしくは使う人の性別でいいかえるとか。

noname#199325
質問者

お礼

>「戦った」という事実が重要なだけの場合もあります。 立ち向かったという自己満足、あるいは他者からの評価を得るためでしょうか。 なるほど、損して得取れという考え方かな。 次がある負け方ならよいのですが、死んじゃったりしたら・・・。 ご回答ありがとうございました。

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