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山岡てっしゅう
死ぬ前に 「苦しき中にも あけがらす」 と詠んだらしいですが、 何のことでしょうか? 句に詳しいお方様 教えてください。
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こんばんは。 No.1の方の御回答を拝見して、さらに補足させていただけば、 明烏(あけがらす)…朝日が上る頃に鳴き始めるカラス(鳥の名前)。今でも、カラスという鳥は、かなり朝早くからカーカー鳴くものですが、昔の時代は、「夜明けを告げて啼く鳥」と認識されていたようです。 ですから、この辞世の句は、「自分は病苦の中にもうすぐこの世を去るが、カラスは普段と変わりなく朝を告げて鳴いている」という気持ちを述べたもので、鉄舟の冷静さというか、達観というか、不動の落ち着きぶりを示すものではないかと思います。 No.1さまの御回答にあるように、鉄舟は幕末から明治時代にかけて、旧政府と新政府との間に立って、功績を挙げたけどとても苦労した人です。剣客としても一流だったし、数十年も禅を修行して悟りを開いたとも聞いています。人格的にも、非常に立派な人だったようです。なお、死因は現在で言えば胃癌であったらしいです(←『幕末動乱の男たち』下、海音寺潮五郎著、参考)。 死ぬか生きるかの激動の人生を生きて、厳しい修行の末に悟りを開いて世を達観した人にふさわしい、辞世の句だと思いました。
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- lions-123
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>山岡鉄舟(てっしゅう ) 死ぬ前に 「苦しき中にも あけがらす」 と詠んだらしいですが、 何のことでしょうか? ↓ 辞世の句:死を前にして腹が張り苦しき中に明けがたを迎え、カラスの啼くのが聞こえた。 ○山岡鉄舟は明治二十一年七月十九日、数え年五十三歳で大往生した。十九日のあけがた、烏の啼くのが聞こえた。 そこで「腹張りて 苦しき中に 明烏」と辞世の句を吟じた。 午後七時半、浴室に行き、身を清めて、白衣に着替えた。九時、一度病床に正座した後、皇居の方に向かって結跏趺座した。九時十五分周囲のすすり泣きの中、瞑目して往生した。 勝海舟が語っている山岡鉄舟の臨終の様。『五十三であった。死にざまもさすが平生の修行じゃ。誠に立派であった。死する前に入浴して、白衣を着、袈裟を掛けて仏弟子たるを証した。端坐して、右左を顧みて一笑してそのまま死んだ。いわゆる坐脱じゃ。 とにかく山岡のは、立派であった。彼は常に言うた。命を捨てたほどさっぱりしたことはない。維新のころ、幕府と朝廷の間に立ち、西郷に談判に行った時ほどきれいなことはなかった。からだの底から水で洗ったような気持ちがした。 もとより、身命を抛捨してかかった。「身を捨てて浮かぶ瀬ぞあり」を実験したと言いよった。しかし、今少し活かしておきたかった。嗚呼今やなし』と嘆いた。 ※ご参考記事 http://plaza.rakuten.co.jp/jifuku/8001/
お礼
幕府と朝廷の間に立ち、西郷に談判に行った時ほどきれいなことはなかった。からだの底から水で洗ったような・・・ 有難うございます。 CLEAR です。 参考にさせて頂きます
お礼
死ぬか生きるかの激動の人生を生きて、厳しい修行の末に悟りを開いて世を達観した人にふさわしい、辞世の句。 有難うございます。 参考にさせて頂きます。