小説における外的時間と内的時間
普通小説の場合、外的な時間の経過につれて登場人物の内的な時間が表現されていきますね。
たとえば谷崎の「細雪」などは外的な季節の変化にともなって登場人物の思いが描かれて行きます。
ところがこの外的時間と内的時間に極端な落差のある小説があります。
ジョイスの「ユリシーズ」は、あの長編にして外的な時間はたった一日だったように思います。また
ブロッホの「ウェルギリウスの死」など、外的時間はわずか18時間で、あとは内的時間が延々と描かれます。
国内でもこうした構成の小説はもちろんあると思います。
なぜ作者がこうした構成を試みるのか、試みたか。もちろんそこには意図なり思い入れがあると思うのですが、
どのような理由からだと考えられるでしょうか。
思うところがありましたら回答お願いいたします。
お礼
早速のご回答、ありがとうございます。 自身が美術選択でなかったのに調査不足で無謀なシーンでした。 もう少し検討を重ねます。