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こんなにも歩かされた

自分の意志ではなく、交通がストップしたとか、その他いろんな事情で、長い距離を徒歩で歩かざるを得なくなったという経験はありますか。 印象に残っているエピソードがありましたら教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.8

ある男に誘われ… シーマに乗っていたのでシーマと呼びます シーマがデートに誘ったのはもちろん体目的 わたしはもううんざりだったので、車中大喧嘩して車を降りました 海の見える薄暗い道を自宅まで約3kmでしょうか… シーマは私の徒歩の速さでずっとついてきましたが、ガン無視 あんな疲れた3kmはないです だったら誘いを断れよ、って感じですね 小学校の徒歩遠足はもっと歩きましたが、疲れ方が違います

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 3キロもわざわざついてくるなんてなかなかですね。 警察を呼んでも良かったかもしれませんね。

その他の回答 (10)

  • kakuway
  • ベストアンサー率16% (51/303)
回答No.11

人生で一番歩いた記憶といえば 中学時代の遠足的なもの。 30km手前ですね笑” 途中に山がありましたので 5kmは上り坂でしたね笑” しかもチェックポイントがあり チェックポイント間には規定の時間があるんですよね。 それより遅くても早くても減点。 規定の時間は教えてもらえていないというハードさ笑” 他にも高校時代の遠足3年分ですね♪ どの学年も、とにかくゴールが山の頂で。 そこから同じ道を学校へ引き返す。 基本片道10km前後のコースです。 おかげで歩くことに対して 苦を感じることがすくないですね♪

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なかなかハードな学校ですね。

noname#228930
noname#228930
回答No.10

江戸川区の篠崎付近に住んでたとき。 終電を寝過ごして隣の本八幡駅まで行ってしまった。 タクシー代もない。駅間だと3km程だが歩きだと15km。 死ぬかと思いました。後で、江戸川を渡れる 歩行専用の小さな橋を発見。それでも5km以上は歩きます。 二度と寝るまいと思いましたが、また寝てしまい 今度はさすがに歩きはしないでタクシーで高速を通って帰りました。

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 終電で寝過ごすと大変ですね。

  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1825)
回答No.9

>こんなにも歩かされた それは今を遡る事30年前、当時大学生であった私の身に降りかかった(というか、自業自得なのですが)災いでした。 青山でのバイトが終わったのが深夜の日付が変わる頃、その後バイト仲間でタクシーに分乗して、意気揚々と目指した先は、新宿・歌舞伎町のとあるポーカー喫茶。 何せ元々がヤクザのしのぎで当然インチキな上に、皆が皆一攫千金を夢見てダブル・アップを叩きまくる為、あっという間に全員がオケラ、私なんぞはタクシー代はおろか電車代まで使い果たし、深夜の甲州街道をとぼとぼと歩いて、世田谷の自宅まで帰るはめに。 電車を利用しても、山手線で新宿~渋谷、そして渋谷から地下鉄で4駅もあり、それなりの時間が掛かるのですが・・。 因みに今グーグルで測定したところ、歌舞伎町~自宅が直線距離で約10km 、当然曲折がありますから恐らく15km 程度は歩いたのでしょう。 ところがです、「もう二度とやらない!」そう肝に銘じたはずが、「馬鹿は死ななきゃ治らない」の例え通り、その後もう一度歩く羽目になろうとは・・。

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 うーん、一攫千金とは言うものの、現実は甘くはありませんね。 15キロはなかなかの距離ですね。 2つ目のエピソードも気になります・・・。

  • angelo77
  • ベストアンサー率15% (304/2021)
回答No.7

東京駅でJRから京葉線に乗り換える為にあんなに歩かされると思いませんでした。

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 うーん。行ったことがないのでよくわかりませんが、東京駅はなかなか大変そうですね・・・。

回答No.6

>経験はありますか。 チベットからネパールまで陸路越えをしたとき、 ちょうど国境付近が折からの豪雨で土砂崩れが頻発して、 道路網が寸断されたため、途中で一泊しながら 丸二日間道なき道を歩いたことがあります。 ちょうど復旧工事の真っ最中で、 頭上からダイナマイトで破壊された岩片が降り注いできて、 危うく死にそうになったり、 目の前の道路が文字通り地崩れでそのまま川に崩落していったり。 道路がないもんですから、崩れていない部分を 何百メートルも山を登って行って越えたりと。 なかなかワイルドな経験でした。

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 それはすごい。 やっぱ海外の山岳地帯はとんでもないことが起こりますね。

noname#204360
noname#204360
回答No.5

高校生の時でしたが、学校へは毎日自転車で通っていました ですが、ある日帰ろうと思ったら、タイヤがパンクしていました 本来なら、パンクを修理して帰るところですが、生憎とお金がないので修理に出せない パンクの修理道具は自宅にしかない、バスで帰ろうにもお金が無いから乗る事も出来ない と、言う事で、パンクした自転車を押して自宅まで帰りました 距離にして、およそ10km 自宅に着くまで2時間は掛かったかな…

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 パンク修理の道具は、常備しておいたほうがいいですね。

回答No.4

学生時代駅まで自転車で通っていたのですが、悪戯でパンクさせられ自転車を押して家まで帰りました。。。 現在仕事で1日6時間以上歩き回っています。 本当はその半分以下でいいんだけど、人材不足で担当エリアが飛び地で3倍も広がっちゃって。。。

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そうですか、人手不足ですか、大変ですね。 少しでも負担が減るといいですね。

noname#194996
noname#194996
回答No.3

ずいぶん昔のことになりますが、 私が小学5年のとき、家の都合で隣町に引っ越しました。 でも転校がいやで同じ学校に通ったので、ずいぶん遠くなりました。 先刻ごーぐるで測ってみたのですが、   800m → 3Km になったのです(もっと遠かったような気がしたが、案外近かったなあ)。 その道を私は子供の足で一時間強、毎日歩いたのでした。 しかし不幸は重なるもので、6年生になってそうそう、その小学校が放火で丸焼けになってしまったのです。 それで、そこから2kmほど遠くにあった、当時まだ残っていた旧海軍の建物を使わせてもらうためにそれがあった飛行場まで集団で通学しました(先刻測ったのですが、案外近かったんだなあ…。もっと遠かったと思って居たが。) つまり、私は (800m →3Km →) 5Km を毎日歩かねばならなくなったのでした。 子供の足で2時間弱かかったように思います。 私が歩いた道のりには途中に4つほどの小学校があったと思います。 つまり、私は町の普通の小学生の通学距離の最長距離の4倍近くを毎日歩いたことになります。 幸い半年後に元の学校の敷地に仮の後者が建って、そこで2部授業がはじまったので、一年間歩くことはなかったのですが。 そうして足を鍛えた割には、私は徒歩競走ではいつもぶっちぎられのびりでした。

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 不幸なことです。 5キロも歩くのは大人の足でも辛いのに、せめて自転車ぐらいあればよかったですね。

  • Trick--o--
  • ベストアンサー率20% (413/2034)
回答No.2

雨量規制で終点手前の駅で止まった。 慣れない雨の夜道を6kmほど歩くはめになり、地図を見ようと思ったらスマホの充電が切れた。

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 夜道でスマホの電池もなくなって災難でしたね。無事に帰れたのでしょうか。

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1972/9601)
回答No.1

berntakii さん、こんばんわ。 忘れもしないあの大地震の日、いつもは電車で1時間30分もかからないのに16時半から勤め先から中継地の駅まで2時間近く歩きました。歩道はまだまばらだったけど、ご同様の人々が列をなして歩いていました。ところどころ道路のひび割れや建物から落下したコンクリート片が落ちていて、やはり、地震が現実のものだと認識しました。 そのあと中継駅で電車がないことを悟り、1時間に一本出るか出ないかのバスに乗り、余震が続く中、遠回りして帰宅しました。時間は9時近かったと思います。

berntakii
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 大勢の人が帰宅困難者になってしまいました。長時間、まだ夜は寒い中お疲れ様でした。 災害時交通がストップした時に、現在地からどうやって自宅に歩いて帰るかということを考え、地図など準備をしておくのが大切ですね。

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