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震災と人間関係について
地方出身、高校は部活や趣味などで楽しかったのですが、震災の被害で何日もがれきの中で食べ物を探したり、海水に浸かった車(中に人影はある)を見てしまったり、大学進学のときには母親が震災の時の無理がたたって体調を崩し入院し家がゴタゴタになったりして大変な時期を過ごしました。今は家も元に戻り大丈夫なのですが、その経験以来何の苦労もないというか、お気楽な人生論を語る人にイライラするようになってしまいました。人生が順風満帆な人なんていないことはわかりますが、なまじ有名大学に行ってしまったため大学は良家の人が多く、子供のころから少ない障害のなかで生きてきた人たちなのかなと勘ぐってしまう事が多いです。普段の生活をアハハオホホで過ごしていっちょまえの大人みたいな人生訓を話したりするものだから内心いらっとしてしまいます。私の地元友達の中には震災で亡くなったり、生活がめちゃくちゃになった人も大勢います。(私は奨学金を使って大学へ) 現在の生活は大丈夫です。又そのような人は実際に体験しない限り変わらないのはわかっています。ただこういう人に腹を立ててしまわないのがこれからの人生重要なので、どのように自分のなかで考えたらいいと思いますか?また、これが嫉妬なのかどうかも教えてください。
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- 44447777
- ベストアンサー率15% (2/13)
お気持ちわかります。 震災時は子供と九死に一生を経て、その時は死も覚悟しました。 物は全て失いました。ですが、家族と従業員の命と、知識と技術だけは残りました。 なので、今も事業の復旧に奮闘中です。 少し喜んでは、またガッカリ・・・。 3歩進んでは2歩下がる。という歌詞にピッタリな毎日です。 私は遠方から嫁いだので、出身地の友人には、どんなに言葉を尽くしても、被災した者の気持ちをわかってもらえるとは思っていませんし、期待もしませんし、望んでもいません。友人はもれなく新居を建てて、都会で私よりずっと便利で、物に恵まれた生活をしています。 こちらの友人は、住まいや勤務先が被災した方は多いのですが、立場の違う友人に、事業主の苦労や復旧の難しさをわかってもらえるとは思っていませんし、期待もしませんし、望んでもいません。同じ被災者でも、たまたま危険区域になった方は防災集団移転で恩恵を受けますが、私達のようにそこから外れた方は、受けられません。被災の程度は同じなのに。 また、私は事業主の立場なので、従業員に事業主の考えや気持ちがわからない事は、当然だと思っています。よかれと思ってしたことが無駄になったり、裏目に出る事は往々としてあります。 要は人間は、自分が経験した事やその立場になった事しか、理解できないのです。 だから逆に、私がわからないこともたくさんあるのです。両親が離婚した子供の気持ち、障害者の気持ち、性同一性障害の方の気持ち、お子さんが授からない方の気持ち、大事な人を震災や犯罪で失った方の気持ち・・・。私には、その経験がありませんから。 大切なことは、自分とは違う立場の方々の気持ちを想像して、推察したり、寄り添ったり、分かり合おうとすることです。ですが、周りの皆さんが同じとは限りませんよ。 貴方様はまだお若いので、今のあなたのお気持ちは当然ですが、これから沢山の方や色々な方と接しているうちに、だんだんとそういう事をわかってくると思います。 その度にいちいちぶつかっていては、自分も疲弊し、利益も得られないことも経験し、少しずつ悟って、そういう方々との付き合い方に慣れていきます。 私も、被災をプラスに出来るように頑張り続けています。 人は人。嫉妬やねたみやそねみに、心をかき回されるよりも、自分の出来ることを探して息抜きしながら頑張る方がよっぽど建設的です。私も「言うが易し、行うは・・・」ですけどね。 貴方様も将来、誰かの役に立てるよう、社会の一員として少しでも貢献できるよう、今勉強していることを生かす事ができますよう応援しています。 自分のお気持ちを大切に。
- demerger
- ベストアンサー率26% (152/578)
被災した時、たしかに、そのように感じられるかもしれませんね。 自分でも、おそらくそのように感じるように思います。 一方で。 質問主様は、例えば昨年の台風などを含む風水害等の災害で、被害を受けた地域の名を、いくつ言う事ができますか? そうした災害でも、人が亡くなっています。家を失い、集落ごと被害を受けた地域があります。 しかし、首都に遠い地域は遠い出来事。まして、亡くなられた人数が数十人だったとき 全国放送・新聞等で扱われる扱い方の小ささ。地域外では周知もされていない被害があります。 そうした災害に、同じ被災者として、何かの想いを寄せた事がありますか。 阪神淡路の震災で被災した人や新潟の震災で被災した人が、東北の震災に心を寄せ「同じ被災者として・・」というような話をした時 残念ながらその場に居た東北出身者が「阪神や新潟では、亡くなったのはたかがxx人、被災規模も一地域でしょう、東北では広域で何万人の人が被災した・・比べ物にならない悲惨さだ」というような話し方をされた時・・少し残念でした。 人が何人亡くなったから「悲惨さ」が大きい、小さい・・そう言う問題だろうか。 「規模の問題」で語ってよいのか。 一人ひとりの立場にとっては、想いもしない災害であり、 自分の身近な人が、命や財産を失った哀しみ、喪失感に、なんら変わりありません。 いや、逆に小規模であるが故に、日本国中に知られることも無く、ボランティアの手も届きにくく、大規模災害ほどの国からの援助も無く、集落全体で孤立していることすら、1日のスポットニュースで流れるくらいで忘れられていきます。 そういう地域の人々に、想いをいたした事がありますでしょうか。 そうした災害は後を断ちません。日本ならでは、です。 まして、理不尽な意味の無い犯罪で大量に人が傷つけられたり、殺されたりする時代です。 犯罪被害者、交通事故被害者も、大切な人や家庭を崩壊させられたことについては、同じ痛みがあるはずです。 まして、南海トラフ大地震等の可能性が取りざたされている今、 今現在、幸せの中に居る人も、明日は我が身、という心の不安は、 どこかに持っているものだろうと思います。 自分は、前述の「災害規模で悲惨さをはかるような発言」を耳にして以降、今後何かの災いがあった時にも、決して「でもxxの被害の悲惨さに比べればマシ」などと言うような言い方だけするまい、と心に留めています。 回答にならない自分の所感になってしまい、すみません。 質問主様が喪失の痛みから立ち直り、 今後来るであろう大きな災害の時、ぜひご自身の体験を活かして、 被災者によりそい、心の助けになれる人に成ってくださることを期待しています。
- angelo77
- ベストアンサー率15% (304/2021)
世界を見たらまたそれも変わりますよ。 そうやって毎日平穏に暮らして一生を終える人、今この瞬間に命を落とし路上に転がる人、世の中理不尽だらけです。 貧しい移民の子として生まれ、両親は借金返済の為に身を粉にして働き、子供にはどうにかして教育をと死に物狂いで大事に育てられ、大学を卒業し、やがてその子が始めた会社は自分の母親と同じような人間を増やすだけの劣悪な環境の工場で、そこでは何十時間もミシンを踏み続ける人間で溢れかえっている・・・とか、現在でも普通にある話です。 自分が受けた経験から何を学び、何を生かし、何を殺すかはあなた次第。 あなただって、腐った目からダラダラ膿を流しながら、物乞いして来た幼い子供を見た事無いですよね? 周りに大人はたくさん居る、でも助ける余裕がない。 私には病院に行かせ、お腹一杯食べさせるくらいのお金はある、でも一生面倒はみれない・・・。 自分に何が出来るかを考えるのか、よその世界の事と割り切って忘れるか、答えは自分が出すしかないんです。 あなたもまた、世界の人から見たら腹が立つ人間かも?なんて考えてみたらどうでしょう。 沢山考えて、価値のある人生観を身につけて欲しいなと思います。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
事実は事実。 だから、自分の中に巻き起こる怒りというもの、悲しみというものがあるなら、私はそれに逆らう必要など無いと思います。 きっと「そういう時間」なのですよ。 激烈な経験をしたことで増幅されてはいるけど、そういう気持ちの昂ぶりというのは、どんな時代の人でもあるはずです。 あなたが軽蔑するような、のほほんとした若者たちにも、どこかにはある。 ただその「レベル」が全く違うということだと思います。 そしてその昂りは「様々な出来事」を知っていく上で、徐々に静かになってきます。 思い出したくないかもしれないけど…今、海は静かですよね?。 たとえ大地震であっても、地球全体から見れば、それは「小さな現象」でしかなく、だからこそ、再びまた平穏な姿に戻っているのです。 あなたという人間もまた同じです。 そう簡単に壊れはしません…きっといつかは穏やかな姿になります。 だから、無理に抑えこもうとすることはないし、ここでその方法を私がレクチャーすることもありません。 あなたという人間も、ひとつの「自然」で出来ている。 だから、傷を恐れないで。 あなた方の抱えた傷、あなた方の体験と、そして「そこから生まれるもの」は、必ず未来の人にとって「必要なもの」になります。 あなたの怒りも、悲しみも、形を変えながら「未来の我が国」を支える一部になるはずです。 あなたが芯から望むもの、望む世界を歩いて行けば、必ずそうなっていきます。 だからこそ、学生生活、充実させてくださいね?。 二度と戻らない時間ですからね?。
- maymay34
- ベストアンサー率38% (22/57)
私も少なからず被災したので気持ちは解ります。 ライフラインは暫く全て止まり, 知人の家族が海の近くでしたので身元確認に行きたくても ガソリンで小分けに深夜から並んで行ったり、 知人を何人も亡くしました。 津波で流された知人宅の跡地で涙しました。 その後だって暫くは何事にも大変でしたよね。 私はその後は建物のリフォームの仕事をしていましたが 海辺へ行くと直後は怖さがよみがえりました。 東京へ引越し、その話になると「東京だって大変だった」とよく言われました。 大変さが違うのにと心の中では思いました。 ただ、あの時の思いは体験した人しか解らないんだと思います。 詳しく言ってもきっと「大変だったんだね」で終わるんだと思います。 押しつけても無理な事だし。 私は逆に、あの体験を乗り越えたんだからって思うようにしています。 嫉妬では無いと思いますよ。 その分質問者様は強くなった部分、学んだ部分があるのです。 人は誰でもいろんな問題を抱えています。 呑気そうな学友さんも、何か抱えていても言えない事もあるでしょう。 今は何も無い人だって、これからの人生は長いのだから 今後何かは試練が起きると思います。 もうすぐ3.11だから、尚更そう思ってしまうのもわかります。 東京から戻ってきました私は、ローカルニュース見て何も変わらなくて驚いています。 でも地元の人は強くなっています。 逆に精神的に弱ってしまっている人も確かにいます。 そんな人の力になれたらいいなと私は思っています。
- kotaro-h
- ベストアンサー率40% (149/367)
こんにちは。 大きな痛みの共有、共感なのでは、ないでしょうか。 自分のスタンダードが、あの時に出来て、どうしても一線を引くのだと思います。 それは普段心の底に隠れていても、何かしらきっかけがあると、出てくるのだと思います。 それは正当化しすぎない程度に、あなたの人間としての矜持として、持ってられたら良いのではないでしょうか。 私も1月17日のある会合で、若い社会的に成功されている人々と飲食して、彼らが全くきょうは何の日と、忘れていたので、それでは人の心の痛みが判らない。 弁護士として、どうなのかと思いました。 かつては日本中の方が、第2次大戦の生死を乗り越えた苦しみを、共有していました。 だから日本人は、我慢強くて頑張れたのだと思います。 貴方は、他人に正義感だけは振りかざさないように。 でもきっと、貴方の心の中にある大きな悲しみを、分かってくれる大切な人が、現れると思います。 失礼致します。