質問者さんが補足で挙げられている、
山谷は東京14区でしたっけ?旧保守党と自民党の地盤じゃないかなと思うのですが。
対する松濤って東京7区ですよね?ずっと民主党が取ってませんでしたっけ?
ポスターで宣伝する必要があるということは、そもそも選挙勝てない少数派とも
考えられるわけです。
やはり現状は質問者さんの挙げられた例とは真逆で、
富裕層に支持される政党は、いわゆるリベラル派で、
貧困層への支援や平等を志向し、反対に比較的貧困層に支持される政党は、
いわゆる保守派で、民族主義的団結や国民の為すべき義務を
掲げる政党であるのが現状です。
本来保守政党の取る集権的政策は富裕層が利するものですが、
これを貧困層が支持する。
リベラル政党が取る弱者救済は貧困層が利するものですが、
これを富裕層が支持する。
確かに一見矛盾していますし、テレビに出てくるような政治学者さんですら
まったく意味が解らない、なんて言ってしまうような状態ではありますが
(もちろん、この政治学者が分析能力が無い、ということではあるのでしょうけれど)
選挙による選択を、「マクロ社会へのアプローチ」として捉えれば
多少は理解できるのではないでしょうか。
つまり、現代社会において、個人ベースのミクロ的には政策の影響を直接的に感じられる
人間は、予算や執行の都合上、ごく少数に限られるわけです。
一方で、社会全体のマクロ的に選挙は確実に社会を変革させるのも見て取れる。
この場合、個人が取る選挙へのアプローチは、
結局のところ実現が期待できないような自分自身の救済ではなく、
一見現実味のない、モニターの向こう側に存在する、
「社会」問題への修正への参加を希求するわけです。
選挙に参加する人間は問題の解決に参加できる方をこそ志向するのであって、
社会的な圧力と立場を加味すれば、貧困層が参加しやすいのは保守的政策であり、
富裕層が参加しやすいのは、よりリベラルな政策となる。
もちろん、その選択は直接的には自分が損をするわけではありますが、
繰り返しになりますがそもそもとして、個人レベルでは政策は影響を
感じられないのですから、悪影響も同様に限定されることを
無意識のうちに認識しているわけです。
なぜこうなったか。ここに至った理由については
・政治的に成熟し、社会問題に触れる機会が増え、参加への欲求が増えたこと
・現実的に、政治の実行力の限界を認識していること
・共産主義の失敗から、自己の権利を主張する階級闘争の破滅的結末が世界的に認識されたこと。
が考えられますね。
現状は必ずしも悪い状態ではないと思うのですが、将来的に
・情報の統制や強権的政権の誕生
・宗教化による判断基準の変更や、階級闘争への扇動
などで崩れる可能性もあり、このあたりの脆弱性はきちんと認識して防いでいった方が
より民主主義の状態として望ましいでしょうね。
お礼
有難う御座いました
補足
その理由としては 渋谷は副都心で移住者もそれなりに多いからでしょうかね 対して 台東は下町で昔からの住民が多いからでしょうかね