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無償の愛について
ただ純粋にその人に幸せになってもらいたいと思うことなんてできますか? 例えば別れた元カノに幸せになって欲しいと願うにしたって、それをどうにかして伝えて自分がいい人だと思われてあわようば復縁したいだとか、もっと簡単に言うと、相手を好きになるのは究極自分が好かれて幸せになりたいからでありますよね? こう考えると無償の愛なんて存在しないんじゃないかと思います。 この考え方って間違ってますか?
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間違っています。 無償の愛を「注がれるだけ」の人は 無償の愛が存在していることに気付くことは、できません。 出来なくて当然です。それが「無償」という「見返りを求めない」愛だから 注がれている事に、気付くことができない。 それに気付くのは、唯一、自分が見返りを求め無い愛を注ぐ時だけです。 例にされている【元カノに幸せになってほしいと願う】 そこで 【それをどうにかして伝えよう、いい人と思われて・・】などとは 思わないから「無償」です。 【無償の愛なんて存在しないんじゃないか】と思う質問主様は 無償の愛を、おそらく、自ら、他人に注いだことが無いからわからないのです。 無償の愛は・・受取るだけの立場ではわかりません。 注がれている事がわからない(注いでいる人は見返りを求めず密やかに想っているからです) 遠くからでも、ただ、 神に祈るように「幸多かれ」と願わずに居られない。 そういう愛の原型は、親になれば、わかります。
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無償の愛 見返りを考えたら無償の愛じゃないですよね。 自分にとって得することがあるかないかですよね。 実際人の相談に乗ることは無償の愛のように見えますが 悩んでる人を救うことができたら救った人は大きな喜びを得ますからね。 感謝されお礼も言われる。 無償じゃないですよね。 無償の愛をあげられる人ってそうはいないと思います。
お礼
そうですよね....。 やはり突き積めるとすべての根源にある僕たちを突き動かす強い力は自分の幸福、この一言につきますよね。 でも、僕はそれを禁欲し無償の愛を確認したいと思います。 回答ありがとうございました。
- over_the_galaxy
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我が子へ注ぐ愛情はどうですか?
お礼
まだ学生の僕には経験のないぼやけたものでしかないです。 早く理解したいと言う気持ちもあります。 親になった時にまた考えてみます。
- ekopon
- ベストアンサー率10% (111/1076)
考え方というより、国語の問題かも。 見返りを求めた途端、それはもう「愛」ではないから。
お礼
現代社会において愛の定義とはなんでしょうか。 相手を只強く思い、またそれを自分の幸福とみなす、そんなもんじゃないでしょうかと僕は考えていました。 難しいですね。 回答ありがとうございました。
- gooyskaao
- ベストアンサー率30% (143/476)
学生さんですか。 多分、まだまだ若い。 若いときは、私もそうでした。 もう中年になってしまいましたが、 ちょっと、あってもおかしくないかな? 自分が幸せになったからでしょうか? 昔は恨んだこともあったけど、 今は幸せであってくれても良いな、って無償の愛になる過渡期かな。 まあ、若いときでそれを感じるって人は仏様だと思いますよ。 愛ってさ、なんだろうね? いろんな形が有りそうだ。
お礼
自分にゆとりができて、他人を嫉妬心というレンズを介してみなくなれば自ずと感じられるものだということですか。 年齢を重ねるとともに人生を経験していき、僕もいつか無償の愛を確認出来たらいいなと思います。 愛って難しいテーマですね。 すごく考えさせられました。 回答ありがとうございました。
- f-uga
- ベストアンサー率37% (168/445)
「あわよくば・・・」と考えた時点で無償の愛ではないですね。 見返りを求めています。 無償の愛はあります。 あなたの例え話の場合、 元カノには、自分の考え/想いを何も伝えないことです。 どんなに彼女のことを想っていても、 何も言わずに静かに見守ってあげる。 それが無償の愛ではないでしょうか。
お礼
存在しうるか、どうでしょうか。 回答ありがとうございました。
補足
だからつまりそんなモノって存在しなくないですか? 誰だって究極自分が大好きなんですよ 自分の利益につなげたいっておもってしまうじゃないですか
- sato7223
- ベストアンサー率23% (556/2362)
ストーカー思考じゃん。
お礼
単なる一例として挙げたまでであります。
お礼
確かにその通りであると心の芯から認識させられました。 見返りを求めない密やかな無償の愛であるからこそ受け取っていても気付かず、また、それ故その存在がわからないと苦悩するのですね。 そのメカニズムは理解できましたが、それとて、無償の愛という論題についてはまだぼやけた霧のようなものとして目の前に浮かんでいます。 この存在に認識が済むのは親の立場に立ったとき、そう言うことでしょうか。 僕も早くそれに気づきたいです。 回答ありがとうございました。