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これから先が不安です。
先々の事を考えると不安です。 幼少の頃は当時まだ珍しかった学習塾に通い 小学校を卒業するころには中学で学習する事を すでに終えて、中学生だった3年間ひたすら 高校入試の学習だけをしていました。 学校へは「皆が行くから何となく通っている」といった具合で 高校入試時もこれと言って特に受験勉強らしいこともせず 普通に合格しました。通っていた学習塾は高校受験までが目標となっていたので 合格と同時に塾も辞めました。 入学した高校は県が目指すモデル校と するために新たに設立した高校で校風はとにかく「自由」であることでした。 高校入学までの私は「塾で勉強さえすればそれで良い」と 思っていましたし、塾の講師に言われるままに勉強をしていたので 自発的に勉強をするといった習慣が全く身に付いていませんでした。 高校に入学すると、上記のような校風の学校だったので とにかく楽な方、楽な方、を選びろくに勉強もしませんでした。 当然試験の成績は悪く、いつも赤点で追試追試の連続でした。 「次に赤点取ったら留年だぞ!」と言われてやっとこさ 勉強をするって調子ですから、ギリギリの成績で卒業しました。 そんな成績なのに「皆が大学に行くって言っているから」 何となく大学受験をしてみました。高校在学中全国模試なども 受けていたので、自分の偏差値は承知していましたし 受かる大学など無い事も分かった上での受験でした。 幸い?と言いますか、高校在学中唯一「政治経済」だけは 好きな科目で、この科目だけは自発的に勉強していたおかげか ある大学に合格しました。偏差値から言えば中の下辺りの 大学でしたが「こんな成績の俺でも現役で合格できるんだから 一浪して勉強すればもっといい大学に合格できるのでは?」と 根拠のない自信が私を支配し合格した大学を蹴って 宅浪生活が始まったのですが、自発的に勉強をする習慣が 身に付いていない私は、浪人中の1年間勉強らしい勉強をせず 「予備校の試験を受けに行く」と親に行っては東京に遊びに行っていました。 当然受験は失敗し「これからどうしようかなぁ~」とぼんやり考えている日々が 約半年続きましたか。見かねた両親が「うちの仕事やってみるか?」と 言ってきたので、当時両親が営んでいたニット製品加工業に従事する事になりました。 両親が営んでいたニット加工は皆さんが想像される様な 工業用ミシンを使う加工とは違い業界では「八角」と呼ばれる特殊加工を 専らとしていたので、全国から仕事の依頼があり個人事業としては そこそこの商いをしていましたので、事業に従事するようになった私も そこそこ良い暮らしをしていました。時はまさにバブル好景気の真っ只中で 面白いように工賃が跳ね上がって行きました。 帳簿上は専従者給与として私の給料も計上していましたが実質は 売り上げの中から好きな分だけ貰っては毎週末繁華街に繰り出していました。 そんなバカ景気もあっという間に終焉となり、平成大不況が訪れると 取引先だったニットメーカー(特に都内墨田区近辺)が次々と倒産して行き 仕事量は激減、工賃も瞬く間に下がって行き、明るいはずだった先行きは 真っ暗となってしまいました。そんな折何となく見ていた新聞の折り込みチラシに 掲載されていた求人募集広告に、これまた何となく応募してみました。 とあるコンビニの系列ベンダーで職場も自宅から近かった。応募の理由と言ったら それくらいでしょうか。初めて履歴書を書き初めて面接を受けたのですが 即採用となりました。この時点で私は29歳になっていました。 給料は手取りで23万円前後、ボーナスは年5.5か月位だったでしょうか。 地方の中小企業としては悪くない待遇だったと思います。 会社勤めは初めてでしたが、これと言ったミスも無くこれまた何となく 仕事をこなしているうちにウィンドウズ95がリリースされ、これまた何となく NECのヴァリュースター初号機を購入しました。買ったからには使えなくてはと 仕事場でのパートさんやアルバイトさんの勤怠・シフト管理や 原材料発注、在庫管理等にエクセルを使うようになるとそれが上司に認められて 入社して3年で係長にまで昇進できました。「まぁ 良いか」とこれまた何となく 会社員を続けているうち、あれはたしか入社6年目だったと思いますが 親会社の粉飾決算が明らかになったことがきっかけでグループ全体が ほぼ壊滅状態になりました。親会社が運営していたコンビニはそもそも外資系の コンビニの営業権を譲り受ける形だったのでこの営業権を手放し 同じく運営していたファミレスチェーンもある外食チェーンに売り払い 同系列だったホームセンターなどは閉鎖となったりで大騒ぎとなりました。 当然私の居た会社にも荒波は押し寄せ、給料は半減、ボーナスはほぼゼロとなりました。 先輩社員や同僚、後輩が続々の転職していく中「あ そうだ宅建持ってたんだっけ」と バブル期に取得した資格の事を思い出した私はネットで募集していた 賃貸不動産の仲介営業をしているある会社の面接を受けてみることにしました。 会社が指定してきた日に面接を受けに行くと、いきなりの社長面接となり その場で「君が出来ると思うのだったら、採用する」と言われ これまた何となく転職してしまいました。37歳の頃です。 営業や接客など全くした事が無かったのですが、私が勤務する事になった支店の 先輩方がとにかく良い人ばかりだったので直ぐに馴染むことが出来、辞めた会社が 良かった時に貰っていた給料よりも良い待遇で働くことが出来ました。 「このまま店長とかになるのかなぁ~」と思っていた時に、糖尿病を患っていた 私の父が合併症の腎不全となり、透析を受けなければならなくなってしまいました。 当初は自分で車を運転して透析を受けていた父でしたが数年後、自力での通院が 困難となり、家族で父以外運転免許を持っていた私が父を病院に通院させることとなり 不動産会社も辞めざるを得なくなってしまいました。何度か役所に通いケースワーカーを 紹介され、父が通院介護を受けられるようになった時、私はすでに40歳になっていました。 ハローワークに足しげく通い、ネットでも仕事を探したのですが40過ぎの私を 正社員として雇ってくれる企業はありませんでした。結局派遣でしか働き口は見つからず 現在に至っています。父は5年前に他界しました。幸い土地と家だけは 私のものとなってはいますが、年老いた母と二人暮らしになった今この先どうなってしまうんだろう? と、何となくではなく今になって真剣に悩んでいます。「馬鹿なヤツ」である事は よく分かってはいるのですが・・・・・・・
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- sirokuroinochi
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肉食って、走って、筋トレ。 気分転換になるし、元気も出る。 肉食獣が気力十分なのは、肉食ってるから。 、 無理のない程度からでも、続けると、腹筋百回くらいは楽勝になる。 それくらいになると、気力もついてきて、何か見えるようになるかも。
長文にも関わらず、スラスラっと 質問文を読ませていただきました。 質問者様は、かなり賢い人ですね。 そう感じるだけかもしれませんが、 たいした努力もなくこれだけの人生を歩めるのは 元々の素質が優れているからだと思います。 何か起業してみたらどうでしょうか?
お礼
続編にも書きましたが 起業と言いますか 事実上、雇われる身分ではなく お金を貰っていたことはありますが まともな商売で成功する難しさは 渡り歩いた数々の会社を見て 骨身に沁みてわかっているつもりです。 ですので、自分で事業を起こす事は おそらく無いでしょう。 お付き合いいただいてありがとうございます。
お礼
肉は好きです。 昔から、サシの入った 高級肉より、赤見の多い肉が好きでした。 あまり元気の源とはなりませんが 食べ続けたいと思います。 筋トレとか走るのは嫌いですので できません。 お付き合いいただいてありがとうございます。