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長渕剛の曲で・・・

すこし気になった事がありまして ファンの皆様にお聞きします。 幸せは「なる」ものでしょうか? 「感じる」ものでしょうか? というのも 今でも流れる昔の超長い曲では 幸せは「なる」ものではなく「感じる」ものだ~♪ と歌っています。 しかし、紅白に出た時は 幸せになろうよ~♪ と歌っています。 心変わりしたのでしょうか? やはり「なる」ものなのでしょうか? けど、感じる方の歌は本人自身の魂を感じさせる凄い曲・・・ そこで、否定をしている・・・ どちらでしょう? ご見解お聞かせください。

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回答No.2

『感じる』とは、日常の些細な出来事の中からでも”幸せ”を感じとれるような人間になろうという事ではないでしょうか。 そうなるためには、人生経験も必要ですし、日々一生懸命生きていないとそうは思えないからです。 そういった”豊かな心を持てる人間になろう”という意味だと思います。 私は幸せは『感じるもの』だと思っています。 少しでもより多く幸せを見つけられれば、心豊かな人生が送れると思うからです。 ですが『なる』努力も絶対に必要だと思います。 そうやってひたむきに生きていれば、必ず『感じる』ようになれると思うからです。 どちらも大切なものだと思います。

  • kyan73
  • ベストアンサー率26% (12/46)
回答No.1

感じる=なる  でいいのでわないでしょうか? 幸せというものは人それぞれ基準が違うもので、 その人本人が「幸せだなぁ」と感じれば、「幸せになった」ということですし。 第三者からの発言では 「幸せになろうよ」と「幸せを感じようよ」ではちょっと意味が変わってくるかもしれませんが。 この歌詞を見ていると、「なるものじゃなくて感じるものだ」は本人の気持ちの考え方についてだと思います。 「幸せになろうよ」は幸せを感じれる&幸せだなぁと思える環境を作っていこうって感じだと思います。

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