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製品への思いとは?
- 仕事で手がけた製品や職場の機材に対して抱く気持ちについて考えます。
- 製品や機材は手塩にかけた子供のような存在であり、製造業に携わる人々にとっては大切な存在です。
- 製品を納品する際の感情や、製品を街中で見かけた時の懐かしさについても考えます。
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ありますよー! 私の場合、製品、機材などと大層なものではないですが、先日、10年近く前に私が作った作業用のあるシートが今でも現場で使われているのを見て、おっしゃる通り古い友人に再会した時の感動で、とても嬉しかったですよ。「おおー!今でも頑張っているんだね」と。 たかが一枚のシートですが、何にでも応用が効くようにと苦心して作成しました。産んだ時の苦労が報われました(笑)
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自動化制御の仕事してきました。 自動化によって人が要らなくなり.コストも下がりますがそれに伴い人のする仕事が無くなっていくのに複雑な思いがします。 良く職場では【昭和40年代】我々の孫たちの頃は仕事が無くなるのではと言っていましたがそいう時代になりました。 1秒の時間短縮に2時間の会議とかやっていました。 この製品開発したら職場から人が居なくなるのかと毎日考えながら設計していました。 退職した現在工場に自動化ライン見に行きます子供に会う気持ちです。
お礼
まんがサイエンスという科学まんがでロボットについて扱ったとき、人間が要らなくなってしまうという危惧が描かれていました。 繰り返しの作業はロボットに任せて、人間は開発や設計、そしてセールスなど、人間にしかできない発展型の仕事に専念すればいいという結論が出されていましたが…。 では、その発展型の仕事に適性のない人はどうなるのか? 学研の科学に連載されてた作品ですが、なかなかに深い内容でした。 設計者にとって機械は子供や親身に指導した部下や後輩に対して抱く気持ちに近いかもしれませんが、現場の人にとってかけがえのない相棒とは限らず、居場所を奪う敵である場合もあり、これは悲しい側面ですね。 回答ありがとうございました。
- KoalaGold
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雑誌や新聞で自分の関わった作品名が出てくると評価が良くても悪くても自分の子供のように感じます。嬉し恥ずかしだったり、がっかりしたり、一喜一憂です。
お礼
作品も、工業製品とはまた違うところも同じところもありますね。 私の場合は趣味ですが小説書いて発表したりしてるんで、回答者様の気持ちの片鱗はわかります。 意外なところで拙作の読者と接したりして、作者である私ではなく私が創造したキャラの生き様がもたらしたものに感慨抱くこともありますね。 回答ありがとうございました。
>また、試作段階から深く関わっていた製品を街中で見かけたときは古い友人と再会したように懐かしく温かい気持ちになりました なんか、その気持ちよく判ります ある日、手持ちのお金が足りず、何時も行く銀行とは違う支店の銀行にお金を下ろした時の事 入り口にあった、電力量計が入った引込盤が、なんかやたらと気になりました その時は気付かなかったのですが、後日それは自分が設計した盤だと言う事が判りました 自分が設計した盤が、ちゃんと機能して働いて(?)いるんだと思った時は 何故か、ホっとした様な嬉しい気分になりましたね
お礼
自分が作ったものがちゃんと動くか、動き続けるか? そして使い続けてもらえるか? そのつど不安になり、叶ったときの喜びもひとしおですね。 回答ありがとうございました。
お礼
お客様のところに届けられるものではなくとも、使ってくれている喜びはありますね。 生産現場にいた頃に「後工程はお客様」と叩き込まれたので、私の場合は社内も社外もあまり区別してません。 私もそういう作業で用いる治具を設計したりかなり古いものを修理したりしたことがあります。 枯れた技術なのでこれからも長く使ってもらえると思います。 マニュアルも、かつての自分の苦労を思い出しつつ、これを見る後輩の気持ちも考え作りました。 私も、回答者様のような感動を味わえる日を夢見て頑張っていこうと思います。 古い友人であり、苦戦したライバルであり、手塩にかけた子供でもあります。 回答ありがとうございました。