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「ミックス」であることを報じる必要性
数年前に、有名な歌舞伎俳優が暴行を受けるという事件がありました。このときの犯人は、外国に「つながり」をもつ日本人であることが報じられました。 そして、先日のことですが、ある高校生が殺害された事件においても、被疑者が外国に「つながり」をもつ日本人であることが報じられました。 このような事件は、過去に何回か発生していますが、そのたびに、被疑者の外国との「つながり」が報じられました。日本社会において、外国に「つながり」をもつ人々の「出自」を報じる必要は、あるのでしょうか? 「出自」を報じることによって、いわれのない差別、偏見、イジメが発生する恐れは、日本社会では考慮されないのでしょうか?
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- D-Carnegie
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「視聴率に踊らされるマスコミの姿」というのはありますね。 彼らも視聴率は欲しいと思うので気持ちはわかります。でも、事実と違う報道や偏った報道は許されることではないと思います。 >事件の当事者は、非常に辛い思いをしたとおもいますが、それを、わたしたちは理解できますか? 理解できると言いたいところですが、間違いなく当事者が「どれくらい」辛かったのかはわからないと思います。僕の想像以上に苦しいんだろうと思います。 >あなた自身としては、マスコミの「立場」を擁護したいのでしょう。 僕はマスコミを擁護したいとは思っていませんよ。むしろ僕はマスコミ嫌いです。 もし、そう感じられたのなら誤解です。話し方が下手だったのかもしれません。すみません。 質問者さんもマスコミ嫌いなら同じということです。 ただ、今回は中立で公平な見地から意見・回答しているつもりです。 「報道の重要性は認める。しかし、偏向報道は許されない」と強く思っています。 このバランスをとる必要がありますので、この点について話しているつもりです。 >あなたは「マスコミが萎縮するかもしれない」という考えをもっていますが、そのようなことはないと思います。 そうですかね…。 質問者さんが挙げた例で萎縮しなかったのは、責任を負わされなかったからでしょう?と思います。 僕が言っているのは、「真実じゃないということだけをもって責任を負わせるなら、マスコミは萎縮してしまう」ということです。 責任を負わされてない事例が僕の主張に合致しないのは当然です。 実際の現実社会では、真実じゃないということだけをもって責任(無過失責任という意味)を負わされていません。 だから萎縮しないのです。 もう一度言いますが、「無過失責任(「事実と違う」という結果がすべて)を負わせるなら萎縮する」と思います。 こんな責任負わされたらマスコミもたまったものじゃないですよ。 報道なんて怖くてできません。お金がいくらあっても足りません。マスコミ自身も報道内容が真実だと確信できないからです。 >日本のような、「右にならえ」的な社会では~ ちょっと前々から思っていたのですが、 これは日本に限ったことではありませんよ? もしかすると日本は他国よりそういう面が多少強いのかもわかりませんが、基本的に人間とはそういうものです。 たとえば、ある国では、事実と違う、もしくは偏った教育が施されています。 すると、それが真実と思いこんでしまうのです。これは当然のことです。自分の知ってる世の中の人すべてがそう言うんですから、それを信じても仕方ないです。 問題は国家ですね。 これもテレビ(報道)と同じです。 国家や報道機関など、情報を提供する側が責任をもってきちんと正しい事実を提供しなければならないと思っています。 あと、最後に、 今回の質問は「犯罪者の出身国を報道する必要があるのか?」という質問だったと思いますが、 この点は解決しましたでしょうか? 僕の回答としては「報道すべき」になります。 理由は既に書いてますが、「民主制を支えるための、マスコミの重要な任務だから」になります。
- D-Carnegie
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>風評被害にたいする責任を、マスコミがとらないことが問題視されています。この点を、日本人はどのように受けとめていますか? ⇒僕は、風評被害というのは、報道内容が事実であれば当然のことと思ってます(やむを得ないということ)。 たとえば、毎日のように日本でアメリカ人による殺人事件が報道されたとしましょう。すると、多くの人間は「アメリカ人は野蛮だ。アメリカ人は嫌いだ」となるわけです。 同じように、毎日のようにある国での内戦について報道されたとしましょう。すると、多くの人間は「あの国は危険だから行かない方がいい。」と思うわけです。 これは当然の結果ですよね。事実に基づく印象です。悪いことではありません。 よって、風評被害があったとしても報道内容が事実である限り、それはやむを得ないことと思っています。 むしろ、このように事実を通して国民の意思形成に資することこそマスコミ・メディアの役目だと思ってますので、これを報道するマスコミにも責任はないと思っています。 ただし、報道内容が事実ではなかったり、謝りがあったりした場合は問題ですね。 被害者たちからすればたまったものではありません。 事実でない報道によって風評被害を受けた者たちを救済する必要があります。 しかし、報道内容に謝りがあったすべての場合にマスコミが責任を負うというのもやりすぎだと思います。 なぜなら、マスコミには力があると言っても、必ずしも真実を追求できる権限はないからです(強制的な取材などができない)。 にもかかわらず、真実じゃないということだけをもって責任を負わせるなら、マスコミはほとんどのことを報道できなくなります。萎縮してしまうからです。 これでは本末転倒です。 マスコミが責任を負うのは、マスコミが真実じゃないとわかって報道した場合や、悪意があった場合、または客観的に見て真実と考えるだけの資料がないのに報道してしまった場合に限られるべきだと思います。 >「分別のあるオーディエンス」は、日本社会にはいますか? ⇒これは僕も質問者さんと同じで、あまりそうは思っていません。 報道内容を鵜呑みする人がほとんどのように感じます。 僕も報道機関の報道内容に怒りを覚えたことがあるので、報道機関にはもっとちゃんとやってほしい。事実を偏りなく報道してほしいと思っています。
補足
・マスコミによる報道で、何かしらの影響がでることは、やむをえない。 これは、その通りですし、そのようにしか答えることができないでしょう。 「事実でない報道によって風評被害を受けた者たちを救済する必要があります。」 これが問題です。今まで、マスコミによる風評被害において、マスコミは風評被害が発生したときに、そのための対策や補償を、十分におこなってきましたか? マスコミは、「報道することの正義」が第一であると強調することが少なくありません。しかし、その一方で、あるHBOのつくった映画では、「視聴率に踊らされるマスコミ」の姿も、あるのです。 マスコミによる問題といえば、あるテレビ局の、関東地方のある地域で生産された野菜に、基準値よりもはるかに多い量の毒物が検出されたという報道については、ようやく、近年になって、関係者どうしが和解したとのこと。和解までに、どのくらいの時間を要しましたか? 事件の当事者は、非常に辛い思いをしたとおもいますが、それを、わたしたちは理解できますか? あなた自身としては、マスコミの「立場」を擁護したいのでしょう。それは、理解の出来ることですが、それと同時に、企業の社会的責任にも関連しますが、「報道の責任」についても考える必要があります。 また、あなたは「マスコミが萎縮するかもしれない」という考えをもっていますが、そのようなことはないと思います。マスコミというものは、基本的には、非常にアグレッシブな存在です。台湾のそれ、あるいは、いわゆるパパラッチをみれば、非常にわかりやすいと思います。ひとつやふたつのスキャンダルで、マスコミが「萎縮」することは、基本的にはありません。 「報道内容を鵜呑みする人がほとんどのように感じます。」 日本のような、「右にならえ」的な社会では、これは、あたかも、宿命のようなものかもしれません。言葉は悪いのですが、その点においては、日本人は、非常に愚かだと思います。ほかの点については、非常にスマートなのですけれども。これは、文化的な、社会的な面がありますし、このようなことを克服するためには、何かしらの「ショック療法」が必要なのかもしれません。そういうことを考えると、「日本批判」、「日本非難」は、非常に良いものだと、思います。あくまでも、わたし自身の考えですが。
- D-Carnegie
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そんなこと言ったら極端な話、加害者の職業や性別、名前、犯罪地も非公開ということになりませんか? ただの情報です。 いつ、どこで、どんな名前で、どんな男で、どこの国の人で、どんな仕事をしている人なのか。といった具合です。 差別・偏見の虞はあります。 この名前は危ないとか、この国は危ないとか、この県は野蛮とか、この場所はやばいとか、この仕事は変態とか。 でも、事実を伝えるべきです。それが報道です。 報道は民主制を支える重要なものです。 差別などより利益が大きいのです。 だから報道します。 ちなみに「日本社会では考慮されないのでしょうか? 」とありますが、 犯罪者の国籍を公表しない国ってあるんですか(勉強不足です。すみません)?
補足
報道の自由を保障することは当然のことですが、日本社会の場合は、いわゆる風評被害にたいする責任を、マスコミがとらないことが問題視されています。この点を、日本人はどのように受けとめていますか? また、犯罪者の「出自」を報じる国や地域は多いのですが、「一個人の起こした事件」という受けとめかたがされることが多いことを挙げておきます。たとえば、アメリカ東海岸で発生した、ある銃乱射事件では、「一個人による事件」として扱われたことは、多くの日本人にとっては、非常に印象的なものであったと思います。 あの事件の犯人は、●●の出自です。 このような報道をしてもよいのですが、それにたいする「責任」を、マスコミはとっていますか? さらには、そのような報道にたいする、「分別のあるオーディエンス」は、日本社会にはいますか? 「大樹」にすがるような日本人のことですから、日本人にとっては、このことは難しいことであると思います。良識のある、教養のある、ほんの、ひとにぎりの日本人だけが、出来ることなのかもしれません。悲しいことに。
補足
報道する側としては、ただ単に、視聴者の「知りたい欲」を満たすために、当事者の「出自」を報道しているというのが、わたしの考えです。もちろん、報道する側にとっては、社会正義という感覚があるとは思いますが、では、現実はというと、報道する側が、視聴者の「欲」を満たすために<報道>をやっているのだと、わたしは考えます。 社会正義のための報道ということであれば、それは理解の出来るものではありますが、現在の日本社会において、報道というものは、真実を伝えるためのものなのでしょうか、理解してほしいことを伝えるためのものなのでしょうか? わたし自身の考えですが、受け手の欲を満たすことが、伝える側である、報道の問題点だ、ということです。