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日本人の議論不足とは?
- 日本人は議論しなくなりました。
- 家族や社会での議論が減っており、問題視されています。
- 過去には激しい議論が行われていた時代もありましたが、現代の日本では議論が少なくなっています。
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質問者が選んだベストアンサー
まずは事なかれ主義になってしまったこと。 他人ごとに無関心。 あとは確固とした自分ありのポリシーがない。 ポリシーを持っている人間は物事の真髄まで追求し、 きちんと理論立てて人に伝えることができるけれど、 最初からそのことを面倒くさいと感じる人間は理詰めで物事を考える ことすらできないでしょう。 あと思考力の低下。 電子書籍まで普及しており、ものすごく読書家のように見えるけれど、 それはただ単に流し読みしているだけで深く自分の中に浸透させていない。 だから若手の軽い感じの作家さんの作品がヒットしやすいっていうもの 一理あると思うんですね。 >何で議論しないのか?腹探っているのか?議論しないのがマナーという >わけのわからない文化が根付いたのか? これは年代にもよるのではないでしょうか? 高齢者だと何か人と口論になって揉めて逆恨みされるのが怖いから、とか、 若い人たちだと所詮、自分が何を言ったところでっていう諦めの境地に入っている。 しかし、中には政治犯のような活動を行い物議を醸しだす若い子もいますけどね。 結局は偏っていると。 でも、きちんと自分の意見を自分の言葉で人に伝えられるようになることは、 大切なことにはかわりありませんよね。
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1 多数決で決めるのが好きだから もともと議論はあまりしません。(根回し文化?派閥文化?) 2 たとえばめっちゃ議論してる番組があっても 東日本では(東京も含む)放送されなかったり(たかじんのどこまで言って委員会とか)そもそも過激な議論は 「あたりさわり」を気にするスポンサーつきの「テレビ番組のプロデューサー」が避けるからだと思います。 3 「仲良きことは美しきことかな」 的な仏教文化あり そもそも書かれておられるイギリス人気質は 「他人がどう言おうが」「それが便利で合理的であろうとも」とにかく 最後までブレないで自分の意見を主張し押し通すことが 「すばらしい」 ので 議論しているというよりは よくよく聞いてみると 人の言うことなんておかまいなしです。(島国根性と呼ばれてます) 私は純粋なイギリス人は2人しかあったことがありませんが職場で 「水」にこだわられたいへん苦労しました。水ごときで議論する羽目になりウンザリ。 4 災害が多いし もともと「稲作」文化なので 助け合い(つまり妥協しあい) 議論より「合意」が大事な国民性というのはあると思います。 最後に 本格的に議論し始めたらどうなるか?ですが まず災害時に逃げ遅れるでしょうね。集団で行動することで危険回避をする日本です。 いちいち自分の意見を言って 場の和を乱すことになると バラバラ行動になります。 頑固なイギリス人のように議論することが良いことだとは思いません。 適度に話し合って 適度なところで おとしどころを見つけて 妥協したほうが 国内では非常に効率的だと思います。 が、、対外国となると これはダメです。 おっしゃるとおり ディベートの能力は必要だと思います。 が、 テレビでバンバン言いたい放題ではなくて しっかりディベートとして教育を受けるべきかと思います。 幕末のことは、議論したからどうとかじゃなくて 日本全体の教育水準が非常に高かったから(末端まで)あれだけのことがスムースに改革ができたと思います。 正直 建前と本音の使い分けが大好きな日本人 いつの世でも今でも 陰ではたくさん議論が交わされてるのではないでしょうか(根回し的に) 裏の裏で・・・ひっそりとこっそりと
- guchiliy
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日本人は議論しなくなったのではなく、昔から議論しなかったのです。 民族性は、居住地の自然条件、地政学的条件等によって培われると言われています。 外敵の脅威にさらされ続ける半島で、政争を繰り返しながら培われた権謀術数詐術に長ける民族もあれば、 周囲を海で閉ざされた島の中で、外敵よりも自然の脅威に立ち向かうため「和をもって貴しとなす」信条をもつ民族もあります。 議論が無益な場合もあるということです。
- Masami_Fujii
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それは、質問者が理解できる周囲だけのお話です。理解できないレベルには 目がいかないでしょう。質問者がそうだからと言って、他人も同じと考える 事こそが、実は侮辱になるのだと考えましょう。それに論理性が欠片もないし。
- hekiyu
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議論というのは、本来は文殊の知恵、つまり各人の 知恵を集めて、より高い知恵を出すための技術です。 しかし現実はどうでしょう。 みな、自分の意見を声高に主張するだけで、最後は 人格攻撃に移り、終わりになるだけです。 幕末に志士達が議論して、それが何かの役に立った でしょうか。 結局は、武力で決まっただけではないですか。 例え議論がそうはならなくても、議論で出た結論が 正しいなどという保証は何処にもありません。 朝鮮戦争の時、マッカーサーが仁川作戦という奇襲を 提案しました。 マッカーサーの部下は全員が反対しました。 成功するはずが無い。 ところがマッカーサーは、実行しました。 「皆が反対するなら、この作戦は成功する」 言葉通りになり、北朝鮮軍は平壌まで追い込まれます。 議論をやって、それで通る意見は説得力がある意見です。 正しい意見ではありません。 マルクスの資本論があれほど広まったのは、彼の論に 説得力があったからです。 しかし、実際に社会主義で成功した国は一つもなく、 今日では、社会主義を信望する人は、一部の特殊な人 だけになりました。 議論など、時間の無駄、ということを日本人はよく 知っているのです。
こんにちは。 私も昔から議論の無さを問題視しています。 でも、”慣れ”というのは結構重要で、議論に慣れていないと責められているとか喧嘩売られている(喧嘩だって決定的な決別ではなく単なる喧嘩なんですが)とか受け止められ、議論どころではなくなる事があります。 狡猾な感じになってくると、自分の非を隠したい輩がそこをつつかれるのが嫌でわざと上記の様な受け取り方をして逆に相手を責めたりするなどのいざこざになる事も不思議な事ではありません。 残念ながら、こと”議論”というエリアに於いて日本人ほど稚拙な民族は私は見たことがありません。 そしてそれを稚拙だとは思っておらず”文化”だと思っているのでこの先も進歩する事は望み薄です。 自分の人生に関わる周囲の人達だけが議論できるみたいな状況ならそう難しくないかもしれませんが、民族全体となると至難の業かと(^^;) それに、議論するに際して、どうしてもゆずれないは有りでしょうが、ワガママ的に譲らないのはどうかと思いますし、切るのは論外です(笑) 常に建設的に良い結果を導くために行われるべきだと思っています。 もちろん、そこにたどり着く為にゆずらないとか、喧嘩になったりとか、時には警察沙汰、裁判沙汰になるのもありだと思います。 ただ、当事者が心から納得いく為に最大限譲歩し合い、納得いくまで主張し合い、どんなになっても最終的にはみんながハッピーになるために行われるべきだと思います。
- kanden
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確かに何時の間にか議論をぶつけあう事がダサイと言う様な風潮が支配しましたね。 反抗期の時は親に議論を持ち掛けたり、学校でも結構やった事もありました。 議論って頭を活性化させるんですよね。 結構的を得た問題提起であったと思います。 回答にはなっていないけど。
- hideka0404
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個人差あるので、一概には当て嵌まりません。