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創価学会と宗教信仰の意義について考える
- 創価学会や宗教に頼ることには意味があるのか疑問が生じます。信じるだけ無駄ではないでしょうか。しかし、信じれば願いが叶うのではなく、自らの行動が重要だと考えます。
- 勤行すればいいことがあると言われますが、その根拠は何でしょうか。確かに運が良い経験もありますが、それは宗教のおかげではなく、自分自身の力や運の良さによるものかもしれません。
- 宗教は自己否定のように思えて信じることができません。私は幼い頃から宗教に入っているが、なぜ宗教を信じているのか個人的に納得できません。皆さんは宗教についてどのように思いますか?
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>みなさん宗教とか どう思いますか 心のよりどころとして、必要なようですね。 無宗教と言っている人も、いつかどこかで手を合わせて拝んで(?)いるとか。 例えば無宗教と言う人が富士山のご来光を見て手を合わせているとかです。 こういった行為も宗派(仏教・神教をとわず)を持たないだけで、その行為自体は信心なので無宗教とはいえないと言うことが書いてあったのを見たことが在ります。 まさにそのとおりだと思いますがねー。 そのうち、あなたの周りで(父母・兄弟など)お亡くなりになる方でも出ればお世話になると思いますが・・・。 ただそれでも機械的にお世話になっているだけで、信心なんてしていませんと言えば(思うなら)それでも良いでしょう。 昔のように集落で檀家として加入(参加)せざるを得なかった(それでも強制ではなかったはず)ような家なら、あなたに関係なくその宗派になっているはずです。 しかし神教の自由は保障されているので、あなたがそれを無視して他の宗教の信者になろうが、俗に言う無宗教になろうがあなたの勝手です。 タイトルの宗派は自分で調べてください。 ”Google”等で創価学会とは”と入力して検索をかければいっぱいhitするでしょう。 とうせんぼうです。
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- 177019
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昔から「鰯の頭も信心から」と言われています。「勤行すれば願いが叶うとか言っていますけど、そんな目に見えない物に自分の願いを託すのは?」、では貴方は勤行や題目をどれだけの時間上げた事がありますか?りんごはど れだけおいしいのか、見ただけでは分かりません。食べて見ないと、私は元学会員です。本来宗教と言うのは、世間が言う「癒し」とかでは無く、最後の最後まで「修行」なのです。柔道や剣道と同じく道場に来て、常に修行する。これが本来の姿で、特に学会は今は新興宗教なのですから、話にもなりません。
- lv4u
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私の入っている幸福の科学では、霊体験(霊界体験)をしている方が多いです。 残念ながら私は、先日の霊界体験研修ともいうべきもので、参加者の中でただ一人だけ、霊界旅行の体験ができなかったんですけどね、残念・・・。 まあ、私のことは置いといて、そういう「あの世」の世界を体験し、死んだ両親とか、過去の尊敬する偉人(龍馬さんとか)と会話した方にとっては、「この世界は、目に見える世界だけではない」ということが確信できます。 ですので、そういう「見えない世界」を体験した方からすれば、「目に見えない世界の偉大な存在に願いを託す」ということは、それはあって当然の話ですし、その願いが実現することは嬉しいとは思うでしょう。でも、その願いを阻止しようとする、抵抗勢力として、この世の人々もいますし、その抵抗勢力を支援する「あの世」の存在も、また存在するわけです。 ですから、当然ながら「信じて願ったけど、叶わない」ということもありえるでしょうし、例えば、信仰深い中年のそば屋のおじさんが「オリンピックの陸上100mに出場したい」とか願いをしても、それは神様がどう頑張っても無理でしょう。 まあ、いずれにしても、「信じれば何でもかなう」というわけではないことは、ちょっと常識のある方であれば、判ることだと思います。 また、「あの世」に存在する方は、やっぱり、信仰があって、しっかりと自分のできることを努力して続けている方と、信仰はあるけど、お願いするだけで、実務的な努力は一切やらない方がいれば、前者を応援したいと思うのが人情というか神情?でしょう。あるいは、努力はしているけど、「ゴルゴ13のように凄いスナイパーとなり、殺し屋で稼ぎたい」という願いであれば、神様はその願いは無視するでしょう。同様に、「お金が欲しい!」という願いも、その動機について、当然ながらチェックが入ると思います。 まあ、創価学会に関しては、その成立と拡大における争いなどの歴史を知れば、「何を根拠に言っているんですかね」と疑問に思うのは当然です。信じる根拠はないでしょう。 日本には宗教団体が18万くらい存在するといいます。実際には、休眠状態の団体が多いらしいですが、それだけあれば、オウムのような悪徳宗教もあるし、葬式仏教と揶揄されるような、神も霊界も信じていない宗教もあります。ですので、「正しい宗教」を見極めるのが大切ですけど、自分の信仰した宗教が正しいものかどうか、それは生きている間は分からず、一種の「賭け」みたいなものです。 まあ、臨死体験するとか、私の参加したような研修で、うまく霊界を体験できたら、それは確信になりますが、それができなければ、宗教に入っている意味が本当に分かるのは、死んだときかもしれませんし、その時のお楽しみってことだと思います。
- ポ ンプ(@8h6a3l2)
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納得なできないなら反発してみれば分かる
- yumi0215
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無宗教です 私から見て感じている信者の方々は心のよりどころとして信仰していらっしゃる方が多いように感じています。 自分の意志で信仰している方とそうでない方では大きな違いがあると思うので質問者さんのような疑問が出るのも仕方がないと思います。 ただ信仰の自由というものがあるように、世界各国信心して自分を高めたり心落ち着かせたり何かしらの導きを求めたりする方々がいるように不要なものとは思ったことはありません。 ただ自分がどこかしらに入信するかと言われれば自分自身はその気持ちは一切ありません。 人それぞれ必要とするものは違います。自分が必要と思うものを信じていくことは悪くないのではないでしょうか。 私は自分の持っていた運というのもあまり信じていないですね。運も実力の内と言いますが結局は努力をして積み重ねた結果が出ると思っています。運を天に任せと言いますよね。結局神頼みなのかなと。 人に迷惑をかけない宗教であればまた宗教活動であれば否定する気持ちはありません。ただ強引な勧誘をしてくる人に対しては容赦なく攻撃しますが。