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つんぼ札

歌舞伎『牡若艶色紫』の冒頭場面では、雁哲は何のために「つんぼ」と書かれた札を襟にかけているのでしょうか。雁哲は聴覚障害者ではないことはその後の筋書きからも明白です。江戸時代、修業者(僧)は修業の一環として「つんぼ」と書かれた札を首にかけていたという話もあるそうですが、典拠をご存知の方はご教示のほどお願い申し上げます。 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/968079/236 (240/314コマより記載)

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回答No.3

盲人は、検校を最高位とする官位を取ることができ、幕府からさまざまな保護(主に金貸し業についての優遇)を受けていたことはご存知かと思いますが、 この官位を取りまとめていたひとを「総禄(そうろく)」といい、盲人は全てこの支配下に入るのが普通でした。 楽曲などの芸事や鍼灸の技術で、組織に属せずに自立する盲人もいたのですが、 これに対して総禄の支配下に入るようにというお触書が安永、文化のころに出ていたという資料があります。 にせ盲になるのが大変だというのは、 このように氏名ごと登録されないと盲人として暮らせないため、 一時的に盲人のフリをするのは難しいであろう、という意味です。 完全に盲人として生活する必要があります。 お芝居に出てくる例ですと、「あんま道玄」です。 「つんぼ」であれば、外からも見分けがつきにくいために 手軽にその場だけの「にせもの」を演じやすかったろうと思います。

その他の回答 (2)

回答No.2

当時、「にせめくら」は多かったのですが、 これも「にせつんぼ」ということでいいと思います。 雁哲は坊主といってもまともな寺僧ではないので、 つんぼを装って他者の合力を得やすくしていたのだと思います。 一緒に仕事をする「土手のお六」が、その名の通り土手に住む「小屋者(非人)」ですから、 雁哲もその仲間のように暮らしているということを表現しているのでしょう。 「めくら」は、盲人の組織があってそこに所属する必要がありました。「にせめくら」になるのはけっこう大変です。 「にせつんぼ」は、そういう点では簡単になったりやめたりできます。

oikairomeus
質問者

お礼

ご回答のほど恐悦至極に存じます。    >「めくら」は、盲人の組織があってそこに所属する必要がありました。    >「にせめくら」になるのはけっこう大変です。 日本で最初に設けられた座は琵琶法師の座であったという話は存じておりますが、琵琶法師、針・灸・按摩関連の盲人以外の方でも座に属する必要があったのでしょうか。 また「偽盲(にせめくら)になるのは結構大変」とのことだそうですが、具体的な内容をご教示頂ければ共存じます由ご高配のほどお願い申し上げます。

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回答No.1

違うかもしれないですが 意義素、類語でしょうか 集団から孤立させられること つんぼ桟敷 ・ 仲間はずれ ・ 仲間外れ ・ かやの外 ・ カヤの外 ・ 爪弾き ・爪はじき ・ 村八分など

oikairomeus
質問者

お礼

ご回答のほど恐悦至極に存じます。

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