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失言の後悔と自己変革の物語
- 20歳の時、口をついて友人に失言してしまいました。その後の反省と自己変革について考えています。
- 友人との再会で老けた印象を受け、つい失言してしまいました。自分の言葉の力を痛感し、後悔と反省の日々を送っています。
- 失言の結果、友人との関係が険悪になり、音信不通となりました。自分の軽はずみな行動に反省し、もう一度友人との関係を修復したいと思っています。
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質問者が選んだベストアンサー
今回の件は、「口は災い」というよりも、バランスの問題じゃないでしょうか。 まず、質問者殿の経験を整理しますと、 ・質問者殿は、20歳のときに、ちょっとした発言ミスで友人を失った。 ・それ以降、質問者殿は、発言にはすごく気をつけるようになった。 ・ところが、逆に、現状を、友人から、「本音を言わない」と否定的に評価された。 ということですよね。 まず、 ・質問者殿は、20歳のときに、ちょっとした発言ミスで友人を失った。 ですが、 これは、実は「口は災いのもと」ではなく、運が悪かったのだと思いますよ。 不可抗力、思わぬ災難、と言ってもいいでしょう。 なぜなら、相手に、「老けたよ」と言った場合の99%は、相手と絶縁するまでには至らない。 絶対に言ってはいけない言葉、というわけではないのではないでしょうか。 ところが、あなたの場合、絶縁に至った。 というのは、1%未満の不運なくじをひいてしまったということですよ。 次に、 ・それ以降、質問者殿は、発言にはすごく気をつけるようになった。 ですが、 これは、友達と絶縁されたということを、あまりにも質問者殿が深刻にとらえたということですね。 思わぬ災難にあって、それトラウマになって、質問者殿は、反対に臆病になりすぎた。 ことわざの、「あつものにこりてなますをふく」みたいなものですね。 20歳のときの質問者殿の体験は、あなたが悪いわけでも相手が悪いわけでもなく、運が悪かった。 でも、質問者殿は、自分が悪いものと思って、行動を変えてしまった。 本来なら、発言を変える必要があったのかどうかはわかりませんよ。 そして、この変化は、若干極端であったかもしれません。 バランスを崩すほどのいきすぎたものなら、ちょっと問題かもしないですが、 これも同じく、運が悪かった、ということですね。 ここまでは、一応、仮に、でもいいので、私の解釈に納得してください。 で、現在の問題ですね。 ・ところが、逆に、現状を、友人から、「本音を言わない」と否定的に評価された。 ということんですが、 私は、この友人さんの評価を、実際に否定的にとらえる必要があるかどうか、ということを考えてみる必要があると思うのです。 その友人の発言は、質問者殿の現状を比較的適格にとらえていると仮定します。 仮にそうであってもね、「だからあなたの現状がいけない」、ということにはならないと私は思うんですよ。 というのは、たしかに、あなたの現在の「発言を控える」という行動は、多少極端ではあるとは思うけれど、案外、今まで役にたったともいえるのではないでしょうか。 発言を控えることで ・20歳と同じような不運を、知らず知らず回避してきたかもしれないし、 ・そこまでいかない、小さなトラブルも、口を控えたことで未然に回避できていたかもしれない。 ・発言を控えないときよりも、人間関係をよりうまくやれたかもしれない。 これらは、「20歳のときの経験をしなくて、発言を控えなかったあなた」というのが存在しないから、比較検証はできないですが。 残念ながら、今、あなたの友人から、あなたを否定的にみる意見も聞かれますが。 すべてを適切に、というわけにもいかないでしょう。 バランスがとれているのが一番いいですが、 人間、ひとそれぞれ個性があって、ある人はストレートだし、ある人は控えめ。 そして、それぞれが、いつもいいわけでもないしいつも悪いわけでもない。いいときと悪いときとケースバイケースということだと思います。 バランスは必要だけれど、万能ではないですよ。 その友人の意見が、必ずしもどの場合でも正しい意見であるとは言えません。 なので、私は、今の質問者さんの態度を改めて変えることもないと思います。10年もの間身に染みたついたことだから、簡単に変わらないでしょう。 もちろん、変えたら悪い、とは申しません。バランスよくすることが悪いことではない。 でも、過去の発言を控えてきたというあなたを、否定する必要はないと思います。 バランスとく微修正すればいいのではないでしょうか。 まとめます。 ・20歳のときの質問者さんの体験は、本来は「不運な事故」であって、「口は災いのもと」ではなかった。 ・でも、質問者殿は、「口は災いのもと」と考えて、発言を控える、という行動の変化をした。それは不要なことだったかもしれないが、してしまったことはしかたない。 ・もしかしたら、行動の変化のおかげで、利益があったかもしれない。(実際に利益があったかどうかは、誰にもわかる手段はないが) ・さらに、10年もそうしてきて、特に困ったこともなかったのだから、いまさら変える必要があるとも思えない。 ・ただ、現状は、すこし極端でバランスが悪い可能性は高い。 ・なので、今回、友人の意見に従い、微修正を試みるのも悪くはない。 ・ただし、だからといって、この10年のことや、現状(=発言を控えていること)を全部否定する必要もない。それはそれでよかった、と思えばいい。 ・いずれにせよ。20歳のときの事件は「口は災い」とは違うし、今回の件も本質は別のところにある。 ・20歳のときは、「思わぬ災難」。今回の件は、「バランスの問題」だと思われる。 以上
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- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
>いつも当たり障りない遠まわしな言い方するよね。顔色ばかり見てるし。本音も言わないし。本当はもっとストレートな性格でしょ? これは言い得て妙な言葉です。 ある意味、彼女の発言は「あなたの潜在能力」みたいなものをキャッチしてるように思えます。 私が思うに、あなたは「抑制」することをメインにして、会話を構築している。 これはつまり「言いたいことをスポイルしている」わけです。 安全策ではあるけど、それと同時に「自分の意思」というものも伝わりづらくなっています。 「メッセージ性にかける会話」になりやすく、物事の要点もボケてしまいがちです。 考えてみてください。 彼女は例えばこの場合「グズグズ話すのは嫌なのよ!」と言うことも出来たはず。 短い言葉でも済んだのに、なぜ、こうまで長い言葉…いや「メッセージ」をあなたに送ったのでしょうか?。 …それはあなたに対し「もっと自分を出せばずっといいのに!」と言いたかったのかもしれませんよ?。 会話は「足し引き」です。 口をついて自分の考えがダイレクトに出ていくことは、会話とは言いません。 それは叫びに等しいものであり、赤ん坊の泣き声と変わりありません。 大人は聞き、見て、感じ、考え、予測し、口にすることが出来ます。 高度に発達した会話が出来るのです。 そしてそれは、あなたにも十二分に可能だというのが、私の感じたところです。 一度の失敗で、自分を決めないでね。 失敗を繰り返していく中で、酷い言葉は消えていき、豊かな情感ある言葉が話せるようになるものです。 機会があれば、彼女とも長く話せるといいね?。 多分、それは君にとって有意義な経験になっていくと思うからね。
お礼
>それはあなたに対し「もっと自分を出せばずっといいのに!」と言いたかったのかもしれませんよ?。 きっとそうですよね。 友人はサバサバしてるので、気を使わない関係が好きなのだと思います。 >大人は聞き、見て、感じ、考え、予測し、口にすることが出来ます。 これができれば、友人も私といる時間の居心地が良くなるかもしれないですね。 整理がつきそうです。ありがとうございます。
気にしてません。 ぼくの場合、言い方が露骨すぎて、「そんな言い方は」 って言われます。 でも、ストレートに言わないと伝わらないし、 オブラートにってのが嫌いなんです。 だから、ズバッと言われるのがイヤな人とはそもそも関わりません。 本音で話せないで仲良くなれるわけないからです。 本音で生きてたほうが、感性が合う人とすぐ仲良くなれます。 感性が合わない人はすぐ離れていきます。 一石二鳥です。
お礼
>ズバッと言われるのがイヤな人とはそもそも関わりません。 そういう人付き合いの方法もあるんですね。 私にもそっちの方があっていたのかもしれません。 本音を隠しすぎて、自分の考えも感性も分からなくなりそうです。 色々な視点で考える事ができそうです。ありがとうございます。
- glitter12
- ベストアンサー率35% (344/982)
自分の発言に気をつけるようになったのはいいことだと思いますよ。 ただ、いい大人が未だに他人の顔色を伺うというのはどうかなと。 いい加減、この人にはストレートに発言しても受け止めてもらえるとか、 こういう場合はどういう言い回しが適切とか、ある程度は読めると思うんですけどね。 誰に関しても当たり障りなく会話するのではなく、臨機応変にできればより良いかと思いますが。 私はサバサバした性格で、割と思っていることはストレートに言うタイプですが、 ストレートに言われるとすぐ傷ついてしまうようなナイーブな友人や 人の気持ちを常に考えてビクビクしながら会話している友人、 それから当たり前ですが初対面の方や知人レベルの方には 自分の発言には気をつけるようにし、何事もオブラートに包みながら話すようにしています。 誰に関しても顔色を伺うのではなく、その人その人の性格や言動を見極めて臨機応変にしたらいいのに、と 質問者さんに意見した友人は仰っているのかなと思います。
お礼
相手を良く見ないといけないですね。 いまだに人付き合いが苦手です。 友人はそんな私をみかねて言ってくれたのでしょうね。 参考になりました。ありがとうございます。
- takakubo
- ベストアンサー率31% (284/894)
二十歳のときのご友人とは今更難しいかもしれませんが、あなたにいい教訓を与えてくれたんだと思いますよ。 今の自分を可愛がってあげなくては。と思いますから、親しいご友人がせっかく投げてくれたあなたの本当の姿を出せるチャンス、「実は昔、こういう失敗をしてしまってね・・・」と話してみたらいいと思いますよ。 誰でも「老けたね」という言葉はうれしいものではないです。ただ、明るく冗談だとわかるように楽しげに言うのか、問い詰め口調でいったのか、いやみのように聞こえたのか・・・などなど状況がわかりませんが、そういう小さいことの失敗を積み重ねて大人になるんじゃないかと思います。 その分、他の人の気持ちがわかるだろうし、やさしい言葉をかける人というのもわかりませんか? 私も同じようなことがあったので、以来誰かに言われてうれしかった言葉だとか、本を読んできれいないい言葉だな、とかドラマを見ていても「こういう言い方っていいな」と思ったときは自分も使えるようになりたいな、と意識しています。(別にメモしたりはしてませんが) ちょっとした意識をもてるかどうか、だと思いますよ。 同じ失敗を二度はしない、でいいじゃないですか。
お礼
そうですよね。 どんな言い方をしたかは覚えていないのですが、童顔で~って言ってるのに、老けたなんて反対の事言われたら余計に感じ悪いですよね。 ちょっとした意識の持ち方でもかわる事ですよね。 参考になりました。ありがとうございます。
お礼
分かりやすく分析してもらって、ありがとうございます。 事故だった、、、そう思えたらいいのですが、、、。 確かに、“老けた”という発言だけで、縁が切れるほどはおかしい気がします。 なにか積み重なったものがあったのかもしれませんね。 私も、それまで無理して友人関係を続けてきたように思います。 縁が切れるきっかけになってしまったと考えれば、事故だったと思えれるかもしれません。 バランスというのは納得できます。 親しい友人ですが、昔の縁が切れた友人と性格が似ています。 そのため、気に障るような事は言ってはダメ、、、と妙に構えてしまいます。 たぶん、バランスがとれていなかったのでしょうね。 <バランスとく微修正すればいいのではないでしょうか そうですね。少し変えるだけで、たぶんもっと楽な関係になれますよね。 参考になりました。ありがとうございます。