※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:穏やかな日々の中でも変わることができますか? )
穏やかな日々の中でも変わることができますか?
このQ&Aのポイント
長い間苦しんだ後遺症から立ち直り、新しい友人と関係を修復できた女性ですが、自分自身を変えることに不安を抱いています。
友人の自殺や他者からの酷い言葉に苦しんだ経験から、どん底で苦しんだり成し遂げることが自己変革の一部だと感じています。
大人になってから性格を劇的に変えた経験を持つ方にアドバイスを求めています。どのようなきっかけや方法で自己変革を達成したのか知りたいと思っています。
こんにちは。
社会人の女性です。
長文になるかと思いますが、よろしくお願いします。
長い間、友人の一人が自殺したこと、
また、そのことによる後遺症のようなもの
(「死に対して過敏」「人間関係(友達関係)に過敏など」)に
苦しんできましたが、ようやくトンネルの終わりが見えてきました。
その間、新しく深く付き合える友達(A子)もでき、
一時は私の上記の性格(後遺症)から激しく衝突したものの、
その後、謝罪、和解し、今はメールのみの付き合いながら、
なんとか交流していけそうです。嬉しいです。
(このサイトで、A子とのメールのやり取りの仕方について質問し、
温かいアドバイスをいただいたのです!)
また、私は、A子との関係修復に心を尽くしている時期と重なって、
知人Bに悩まされ続けました。
(以下、身近な人が自殺した人は、どうか読まないでください)
ある出来事によって、私の友人が自殺したことを知った知人Bは、
「そういう死に方をした人は、死んだ後に苦しむ」という内容を、
ずっとずっと酷い言葉で言ってきたり、面と向かって、
「どんな死に方したの?飛び降り自殺?」と聞いたり、
その他にも、ここには書けないような酷い言葉を投げつけて
きました。顔色一つ変わらず、世間話のような口調で。
私は立ち直るまで、2年近くかかり、立ち直った後も、知人Bに
対するマイナス感情を手放すことができずに苦しみました。
(知人Bのことも、このサイトで相談にのっていただきました。
その節はありがとうございました)
ですが、つい最近、知人Bは、脳の一部に先天的な器質障碍が
あると精神科で診断を受けていたことを知りました。その障碍が
あるために、他者の気持ちがわかりにくいらしいです。
私は知人Bに対するマイナス感情を手放すことができました。
今まで自分をとらえていた2つの大きな悩みがなくなって、
今はとても穏やかな気持ちで過ごしています。
ですが、友人A子とのトラブルも、知人Bが私の友達が自殺した
ことを知ることとなった経緯も、もとはと言えば、
私の人間関係への過敏さが原因です。
だから、これからは、もっと柔らかな気持ちで生きてけるよう、
自分を変えていきたいと思っています。
どのように自分を変えていったらよいのか、その方向性は
わかるのですが、不安です。
こんな穏やかな日々の中で、変わっていくことができるのか。
なんというか、こう、自分を変えるっていうのは、
もっとどん底に落とされて、そのどん底で苦しみながら
成し遂げることではないのか。
もし、皆さんの中で、大人になってから劇的に性格が変わった、
という方がいらしたら、よかったらご教示ください。
どのようなきっかけで、どのようにして性格を変えたのか。
よろしくお願いします。
お礼
ご回答ありがとうございました。 家族に突発的な出来事があり、お礼が遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。 (どのような辛い出来事も)いつかは「1つ分の出来事」として整理整頓できる。 教えてくださって、ありがとうございます。 私は、A子との関係を修復しようと、まるで映画を観賞するときのように、目の前のスクリーンいっぱいに、A子との問題を広げて、どこかに「解決への道筋」が書かれていないかと目をこらして見つめていました。 もし見つからなければ、もっと、もっとスクリーンを広げよう。 そうすれば、いつか私も「解決への道筋」を見つけられるに違いない。 スクリーンを広げることが「解決への努力」だと思い、それが、「誠実さ」であると勘違いし、「丁寧さ」でもあると思い込んでいました。 A子から「saeaya(質問者)は、人間関係を努力でもって、自分の都合のよい方向にねじ込んでくる」と思われていることにも気づかずに。 私は、人生を「平面」でとらえ、しかも、その面を広げすぎていました。広げすぎた面は、ぼやけてしまって、何も見えませんでした。 逆に、問題を抱えたその面をダウンサイジングしすぎても、情報(解決への道筋)は、小さくなりすぎて、見えなくなってしまうのだと思います。 「適切な大きさ」に整理整頓してこそ、問題解決への道は見えてくる。(目の焦点が合う)。 blazinさんが書いてくださった「1つ分の大きさ」というのは、そのようなことではないかと考えました。 そして、「適切な大きさ」にするために大切なのが、「多面をもつこと」。 多面体は、各々の面の大きさが極端に違っていたら成り立たない。 blazinさんのご回答を読んで、そのことに気が付きました。 本当にありがとうございます。 人間関係に過敏で神経質な私は、バランスの悪い人間だ。 そのことに、なんとかたどりつけても、「その先」がわかりませんでした。 バランスのよい人間になるにはどうしたらよいのか。 それも、多面(他面)を大切にすることによって、バランスをとっていける。 そのことにblazinさんのご回答を読んで気が付けたことが大きかった。 A子とのことで言えば。 ほぼ同じ時期に、A子は村上春樹の「IQ84」を、私はジョージ・オーウェルの「1984年」を読んでいたことがありました。 二人の違いは顕著に表れていたのに、私は「なんとなく」二人は似ている(だからよい友達になれるだろう)と思い込んでしまった。 多面を充実させ、A子との問題を適正な(適切な)大きさにダウンサイジングできたら、まずは、A子との「違い」に光をあてて、丁寧に緩やかに柔らかく繋がっていきたいと思っています。 今度は私が村上春樹の「IQ84」を読みながら。 ありがとうございました。