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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:穏やかな日々の中でも変わることができますか?   )

穏やかな日々の中でも変わることができますか?

このQ&Aのポイント
  • 長い間苦しんだ後遺症から立ち直り、新しい友人と関係を修復できた女性ですが、自分自身を変えることに不安を抱いています。
  • 友人の自殺や他者からの酷い言葉に苦しんだ経験から、どん底で苦しんだり成し遂げることが自己変革の一部だと感じています。
  • 大人になってから性格を劇的に変えた経験を持つ方にアドバイスを求めています。どのようなきっかけや方法で自己変革を達成したのか知りたいと思っています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20256/40157)
回答No.6

貴方なら大丈夫。 自分でも書いている。 徐々にトンネルから抜けつつある、と。 本当にトンネルの渦中にいる「まま」では、 ただ暗さの濃淡に必死に目を慣らすだけで、 自分が前に進んでいるのか、 後ろに下がっているのかさえ分からない。 でも、 貴方には徐々に「明るさ」が見えてきた。 自分の前方に「光」を見い出せた貴方は、 丁寧にそこに向かっていけばいいんだ♪ 暗中模索の自分からは明確に脱し始めているんだよ。 一度は仲違いした友達とも、 再び交流を始める事が出来た。 まだまだ意識が過敏になってしまう自分もいる。 一時期は、 友人の自殺があった「から」、 だから私の人間関係は上手くいかないんだ。 自分で自分を隘路に閉じ込めていた貴方もいたんだよ。 でも、 貴方はそこから自力で脱する事が出来た人。 人生は平面じゃないんだ。 「多面」の中に人生があるんだ。 確かに向き合い難い「一面」を抱えてしまう事もある。 もしかしたら、 凄く凄く時間を掛けて向き合う経験だってある。 でも、 「だから」他面が蔑ろにされるのか? 一面の不具合が、多面の停滞の言い訳になるのか? 実際影響を与えてしまう事もあるんだよ。 それ位強い出来事だったり、経験だったりすれば。 でも、 ずっとずっとそのままであり続ける事は無い。 たとえ辛い経験、しんどい出来事であれ。 それ自体も、 いずれは「一つ分」の中で向き合って行けるようになる。 そういう整理整頓って「出来る」んだよ。 何より、 自分の人生(生活)にも多面があるんだ。 そういう目線で「今」の自分を見直してみる事で、 自らの囚われをより立体的に見つめる事が出来るんだよ。 それだけでも、 「今」に対する、 「自分」に対する「光」の当て方が変わってくるんだよ。 本当にびっくりする位。 貴方は既に、 その友達とのやり取りを通じてそれを経験「済み」なんだよ? あぁ私にも多面が必要だ。 多面体の自分として丁寧に日々に向き合っている姿を、 たまにやり取りをする友達に届けてみたら。 友達はそういう貴方を凄く「嬉しく」感じてくれたんだよ。 貴方もそういうリアクションを貰って「嬉しかった」でしょ? 人間関係に少し神経質。 「過剰」に気を遣ってしまう貴方がいる。 友達は、 貴方にもっと柔らかい部分を許しているんだよ。 確かに激しく衝突はしたけれど。 友達も貴方を「多面」体として捉えてくれているんだよ。 だからこそ、 貴方の日々の充実(風通し)が嬉しい。 ぶつかった部分「だけ」じゃないんだよ。 お互いに良い部分を持っている。 これからも、 緩~く繋がりながら、 お互いに適温の風を送っていけるような関係になりたい。 それは貴方も思っているし、友達も思っている。 何より、 そういう友達に対して心地が良い風を送って行く為には。 私自身「が」日々を心地良く過ごしていく事が大事じゃないか? 別に何か特別な事をする必要なんて無い。 目の前の一日一日を、 貴方のペースで丁寧に過ごしていく事。 それ自体が貴方の個性を表す営みなんだよ。 貴方は今、 「どういう風に」変わればいいか? そう考えているじゃない? でもね、 少しずつ変わっていきたい。 そう思って生活している事言自体が「変化」なんだよ。 そういう気持ちを丁寧に持ち「続け」ながら生活していく事が、 ここ数年の貴方とは劇的に「違う」姿なんだよ。 急いで何かを変える必要なんて無い。 それよりも、 今の私を少しでも良いなと思えるように。 その気持ちで日々に向き合う事で、 気が付いたら以前には無い事が沢山起きるんだよ。 今までの自分では感じられない事が沢山見つかるんだよ。 そういう自分を一日分ずつ感じながら、 貴方は貴方のペースで生活していけば良い、という事。 変えていく部分もあれば、 特別変える事無く、 これからも大切にし続けていける部分も沢山ある。 それが、 貴方の「多面性」なんだよ。 今こそ自分自身に優しい目を。 もっともっと深呼吸して良いんじゃないの? 自分に色々なものを課さない事。 むしろ貴方のテーマは「ほぐす」事なんだから。 改めて、 これからの貴方自身を大切にね☆

saeaya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 家族に突発的な出来事があり、お礼が遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。 (どのような辛い出来事も)いつかは「1つ分の出来事」として整理整頓できる。 教えてくださって、ありがとうございます。 私は、A子との関係を修復しようと、まるで映画を観賞するときのように、目の前のスクリーンいっぱいに、A子との問題を広げて、どこかに「解決への道筋」が書かれていないかと目をこらして見つめていました。 もし見つからなければ、もっと、もっとスクリーンを広げよう。 そうすれば、いつか私も「解決への道筋」を見つけられるに違いない。 スクリーンを広げることが「解決への努力」だと思い、それが、「誠実さ」であると勘違いし、「丁寧さ」でもあると思い込んでいました。 A子から「saeaya(質問者)は、人間関係を努力でもって、自分の都合のよい方向にねじ込んでくる」と思われていることにも気づかずに。 私は、人生を「平面」でとらえ、しかも、その面を広げすぎていました。広げすぎた面は、ぼやけてしまって、何も見えませんでした。 逆に、問題を抱えたその面をダウンサイジングしすぎても、情報(解決への道筋)は、小さくなりすぎて、見えなくなってしまうのだと思います。 「適切な大きさ」に整理整頓してこそ、問題解決への道は見えてくる。(目の焦点が合う)。 blazinさんが書いてくださった「1つ分の大きさ」というのは、そのようなことではないかと考えました。 そして、「適切な大きさ」にするために大切なのが、「多面をもつこと」。 多面体は、各々の面の大きさが極端に違っていたら成り立たない。 blazinさんのご回答を読んで、そのことに気が付きました。 本当にありがとうございます。 人間関係に過敏で神経質な私は、バランスの悪い人間だ。 そのことに、なんとかたどりつけても、「その先」がわかりませんでした。 バランスのよい人間になるにはどうしたらよいのか。 それも、多面(他面)を大切にすることによって、バランスをとっていける。 そのことにblazinさんのご回答を読んで気が付けたことが大きかった。 A子とのことで言えば。 ほぼ同じ時期に、A子は村上春樹の「IQ84」を、私はジョージ・オーウェルの「1984年」を読んでいたことがありました。 二人の違いは顕著に表れていたのに、私は「なんとなく」二人は似ている(だからよい友達になれるだろう)と思い込んでしまった。 多面を充実させ、A子との問題を適正な(適切な)大きさにダウンサイジングできたら、まずは、A子との「違い」に光をあてて、丁寧に緩やかに柔らかく繋がっていきたいと思っています。 今度は私が村上春樹の「IQ84」を読みながら。 ありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.8

#4です。お礼ありがとうございます。 お礼を見て、どうしても貴方に伝えたい、声を大にして言いたい事があって再び投稿させてもらいたい。 お礼を見て感動したよ。 貴方は完成している印象を受ける。 なんていうかな、正直僕は自分自身を恥ずかしく思ったんだ。貴方のお礼を見て、本当にそう思った。 僕などがしたり顔で云々教えるような、貴方がそんな人物ではない事を思い知った。 幸せな過去だった、どん底をどん底と感じない。そう言えるってのは本当に素晴らしいと思った。 それは強さだよ。僕なんかはその強さを持っていない。 貴方はね、自分自身で答を出していける人なんだ、きっと。 いや、自分一人でという意味じゃない。周りの人の言葉を素直に受け入れて、そうやって変わっていける人なんだ。それは流される事を意味しない。なんていうかな、適切に選択していける、そういう賢さや強さ、心の柔らかさ(しなやかさ)を持っているんだ。 確かに衝撃的な出来事だったんだと思う。それは貴方に大きな傷を与えた。 でも、貴方はしっかり悩んでここで相談し、そして変わりつつある。(きっとね) それは貴方の才能なんだと思う。 本当に驚いたんだ。本当にこんな人がいるんだ、と感動した。 上手く言葉に出来ない。でも、貴方は本当に素晴らしい人だと思う。 僕は貴方を見習おうと思う。それはとても難しい事だけれど、でも貴方のようになりたいと本当にそう思う。 それが伝えたかった。いや、貴方に伝えたいんじゃないな。なんていうか、言いたかったんだ。こう・・・宣言したくなったんだよ。

saeaya
質問者

お礼

メッセージをくださって、ありがとうございました。 家族のドタバタが続いていて、お返事が遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。 私には、もったいない言葉を書いてくださって・・。ありがとうございます。 私の方こそ、Tori_30さんの瑞々しくて率直で真摯な感受性のあり方に感動しました。こんな方がいらっしゃるのか、と。 どん底をどん底として感じないのは、大人になってから、軽度から中程度ではあるのですが、聴力に障碍を持つようになったからなのかもしれません。 たくさんの方に助けていただきながら、幸せな人生を送ってきました。(実はもう、いい歳なのです) Tori_30さんのような素晴らしい方は、今でもとても幸せな生活を送っていらっしゃると思いますが、これからも、より一層お幸せな生活を送られますよう、心からお祈り申し上げます。 ありがとうございました。

  • taka-aki
  • ベストアンサー率12% (748/6126)
回答No.7

性格っていうのは認知的な新しい発見と潜在意識の感情的しこりの 解消によって変わるのです。 日々新しい学びを続けることと、自分の感情的しこりに ほぐすワークをするべきでしょう。 ・心理学を学ぶ ・カウンセリングを受ける ・ヒュプノセラピーを受ける ・坐禅をやる とかいろいろあると思います。

saeaya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 家族の突発的な事情があり、お礼が遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。 教えてくださって、ありがとうございます。 日々新しい学びをえること・・これは、私の仕事とも大いに関係していることなので、今まで以上に楽しみながら学んでいきたいと思います。 潜在意識にある感情的なしこり・・これは、本当にその通りです。知人Bへのマイナス感情を手放したはずですが、潜在意識の中にはしこりがあります。それをほぐすのが私の課題なのですよね。 カウンセリングは1年半ほど受けまして、心理学はとても興味があります。そのほかに書いてくださったことも調べてみます。 ありがとうございました。

  • tomban
  • ベストアンサー率26% (2616/9771)
回答No.5

性格は意識的に変えられるものではありません。 「変わっていくもの」と思っておいたほうが良いでしょう。 大きな船みたいなものですから、性格というものは。 舵を切っても急に進路変更することは出来ないのです。 >こんな穏やかな日々の中で、変わっていくことができるのか。 そういう意味で「少しずつ変わっていきますよ」と言えます。 別に何かを強く心がけるとか、そういうことは要りません。 小さな積み重ねがたくさんあって、少しずつ変わっていくのです。 どん底からの変わっていくケースは「心の力」を相当使うものです。 それだけの爆発的エネルギーが自分にあって、初めてそれが可能になる。 人も選びますし、状況も選びます。 全てに当てはまるものではありません。 かく言う私ですが…もうすぐ50歳になりますけど、今になって痛感してることがあります。 それは「ガキの頃の自分と、今の自分の違い」なんですが…根本は何も変わってないんですよね。 男女で違うと思いますけど、男にはそういう人が多いと思いますね。 面白いものです…ガキの時にはただの「イタズラ心」みたいなものが、大人になるとそれは「くじけない心」になります。 元々は同じものだと思いますが…「グレードアップ」するのです。 それが「成長」というもののひとつの形とも思えます。 人は、成長する中でいろいろと捨てることをしますけど、でも実際には捨ててはいないのですよね。 ちゃんと残って、熟成されるのです。 あなたの中の悲しみは、熟成すれば「慈しみ」となりますよ。 それは私が保証できます。

saeaya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 家族に突発的な出来事があり、お礼がこんなにも遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。 お礼が遅くなってしまったのは、もう一つ理由がありまして。 実は、今年の1月に、上記の質問内容の中の知人Bのことについて、質問を立てたことがありました。 Bから言われた暴言の内容を書いて、「Bは、(私とのトラブルとは関係のない)B自身の性格から、家族、友人、職場の全てを失ったから、Bに仕返しをしたいとは思わない。この経験をばねにして幸せになりたいと思うが、みなさんは幸せになるためにどのようなことが必要だと思うか」とお聞きしました。 tombanさんは素晴らしい回答を寄せてくださった。 「国ごとに電気コンセントの形状に違いがあるから、海外に引っ越すときは、日本の電気製品は持っていかない。それと同じように、過去の知人との記憶など、ごみのようなものだから、捨てないと他国では暮らせない(幸せにはなれない)。」と教えてくださった。 それなのに、8か月後に、また似たような質問をたて、同じ方に、また素晴らしいご回答をいただいて。 申し訳なくて、なんとお礼を書いたらよいのか、わかりませんでした。 再度のご回答、ありがとうございます。 前回、ご回答いただいた後、Bのことは忘れたかったのですが、「自殺する」と騒げば、私が(過去のトラウマから拒絶できず)いつでも相手をしてくれると学習してしまったBは、何度連絡してこないよう交渉しても、連絡してきて、そのたびにひどいことを言われました。 ですが、最終的にはもっとよいターゲットをみつけて、去って行ってくれました。 今度こそ、Bとの「ごみのような記憶」は忘れます。 私は、もうすでに舵をきっているのだと思います。 私の「悲しみ」がいつか「慈しみ」に変わると保証してくださると言ってくださって、嬉しかったです。 ありがとうございました。

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.4

貴方は変わろうとしている。だから、貴方は変わるんだよね、貴方が望もうが望むまいが。 その生活が穏やかなものかどうかは、実は判断など出来ない。それは主観的なものだからだ。 例えばこうやって第三者から見ると、貴方は未だ悩みの渦中にあり、穏やかな生活を送っているとは言い難い印象を受けるんだ。 外的な要因がどうであれ、貴方の内面は未だ悩みを抱えている。(いや、それは良い事なんだ、一応言わせてもらえば。最初にも言ったけど、貴方は変わろうとしている。それは悩んでいるからだ。そして、だから貴方はこれからも変わっていくんだ。) どん底についても、やはり判断など出来ないものだと思うんだ。 貴方の今の状況はどん底である、とすら見ることも出来る。 どん底は誰にでもあるし、いつでもあるものなんだ、きっと。 ただ一つだけ言えるのは結局、貴方はこれからも変わっていくという事。貴方が望もうが望むまいが、変わっていくという事。それだけがただ一つの確実な事柄なんだ。

saeaya
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 家族に突発的な出来事があり、お礼が遅くなってしまって、申し訳ありませんでした。 私が変わっていけるといってくださって、ありがとうございました。 柔らかな雰囲気の女性に変わっていく道を、すでに歩き始めているような気がしています。 第三者からみて、まだ悩みの渦中にいて、穏やかな日々を送っているとは言い難い印象を受ける。 鋭いご指摘、ありがとうございます。 確かにそうなのだと思います。そして、そのことを自分でしっかり自覚することがたいせつなのですよね。 新しい道は、まだ歩き出したばかりで、心には激しく衝突した出来事へのわだかまりや痛みを抱えています。 新しい日々の中で、少しずつ整理していけたらいいな。 私は今、まさにどん底にいるのかもしれません。 ですが、あまりにも幸せな子供時代を送ったためか、なかなか自分を不幸(どん底)だと思えない性格と、あまりにも未熟だったために、たとえどん底に落とされても、変わった方が自分のためだ、という気持ちがあって、自分を客観視できないようです。 もし、今、どん底にいるのなら、少しずつ上がっていきたいです。 温かいご回答、ありがとうございました。

  • aymhfgy
  • ベストアンサー率43% (1472/3372)
回答No.3

穏やかな日々のなかでこそ、だんだん、自分のものの見方を冷静にして考え方を変えていけば自分を変えることが出来るのではないかと思えます。 >もっとどん底に落とされて、そのどん底で苦しみながら 成し遂げることではないのか。 それは違うと思います。そんなことをしたら益々、過敏になり、より苦しくなるだろうと思われます。 誰でも性格そのものは変えられないと思います。私の場合は何でも一生懸命なたちでしたが、猪突猛進では 結局、得るものは少ないと気付いてから、好い加減というのではなく、自分を自分でくくるということは減って来たように思えます。 要は、ご自分の長所と欠点を冷静に分析し、何事にも理解力を深めていくようにすると自由な気持ちになれて来るものではないかなと思うのです。焦ったり急に変えようと思うことから離れるようにされると良いのではと思えます。 質問者さまも最初の心の痛みから時間を経て悲しみが薄らぎ、親しくメール出来る友人にも巡り合われたので良かったと思います。 次には暴言を吐かれたような人が実は病の為にそうなっていた、その人だけの責任ではなかったと気付かれたことが大きなお気持ちの変化につながったのでしょう。その(気付く)ということが大きかったのだと私は思うのです。人間関係に過敏すぎたと反省しておられますが、そのような感受性があったからこそ気付けるということもあろうかと思います。 質問者さまは今のご自分を劇的に変えなくても、今回のようにゆっくり事実を理解されれば穏やかなままでご自分をより穏やかに変えていけるのではないかと思えますが、如何でしょうか。

saeaya
質問者

お礼

ご回答くださって、ありがとうございました。 家族に突発的な出来事があり、お礼が遅くなってしまって、もうしわけありませんでした。 猪突猛進では結局、得るものが少ないと気付いた。 私自身も「猪突猛進型」で、人間関係以外の例えば仕事などでは、それなりに成功したり、評価を得ることができることもあるのですが、周囲からは、「<凄い>じゃなくて<コワイ>」と思われていると思います。 少し肩の力を抜き、柔らかに、そして穏やかに生きていくことを心掛けた方がよいのかもしれない。 aymhfgyさんのご回答を読んで、そう気づきました。 どん底でこそ変れるのではないか。 その考え方こそが、柔らかくなかった。 自分の感受性については、もてあますような気持ちになることが多かったのですが、そのことについても温かな言葉をかけてくださって、ありがとうございました。 ゆっくり、穏やかに、柔らかく生きていきたいと思います。

  • dremp
  • ベストアンサー率47% (128/272)
回答No.2

回答になってないかもしれないですが、 性格は、変えようと思って変わるものではないというのが、私の持論です。 ただ、性格は変わらないけれど、その性格を自分で受け入れて、うまく付き合っていくことはできると思います。つまり、 (1)まずは、自分の性格を変えられないものとして受け入れることを納得する。 (2)その性格を持ちながら、社会でうまく生きていくすべを習得する。 そういうものだと信じています。 私は、23歳のときに、性格が変わりました。というか、変わったように思っていました。 それまでは、極度のKYでした。ある人から、「自己満足の〇〇(私の名)」とまで言われてました。 相手の気持ちというのを考えることなどまったくありませんでした。 なので、結構自分勝手なことをたくさんしていました。わがままでしたし。 もともと、強烈な性格ではなかったので、それで大きなトラブルもなかったけれど、陰ではいろいろ言われていて、うまくいかないこともあったでしょう。私のことを嫌なヤツと思っていた人も多かったと思います。 ところが23歳のとき、それではいけないと思ったのか、何がきっかけかは忘れましたが、相手の気持ちを考えるようになりました。それまでとまるで性格が変わったようでした。いいほうに変わったかどうかはわからないけれど、おそらく、他人から見ても、少しはましになったと思います。劇的に変わったと言ってもいいかもしれません。 でも、今思うと、そのとき、性格が変わったのではない。単に、「他人の気持ちを考える行為というものが世の中に存在する」ということに気が付いて、それを実践し始めた、というだけで、性格が変わったのではないように思えます。 おそらく、何か他人から傷つけられたことがあって、傷ついて、傷つかないためにはどうすればいいか、と悩んで、それに気が付いたのだと思います。それで、自分が変わった。 でも、おそらく、性格は何も変わりません。わがままな自分は何も変わってません。表にあまり出さなくはなりましたが。むしろ、私は、子供っぽいところがあって、いまだに何もかわらず、子供のころの性格をほとんど引きずっているように思います。 つまりは、23歳のとき、私は、性格は変わらなかった。でも、自分を変えることができた。自分の行動が変わったということです。そういうことじゃないでしょうか。 ということを書いても、参考にはならないかもしれませんが、私は、生まれてこのかた、性格が変わったことはなかったと思います。でも、自分を変えることはできたと思っています。社会、周囲との付き合いをうまくできるようになることで。そして、ほとんどの場合、どんなに付き合いにくい性格を自分が持っていても、周囲とうまくやっていくすべはあるものだと思っています。

saeaya
質問者

お礼

ご体験を寄せてくださって、ありがとうございました。 性格を変えることはできないが、自分を変えることはできる。 (行動を変えることはできる) どんなに付き合いにくい性格を持っていても、周囲とうまくやっていくすべはある。 教えてくださって、ありがとうございます。 私の人間関係に過敏であるところは、直らないそうです。 身近な人が自殺した人専門のカウンセリングを1年半ほど受けたのですが、そこでカウンセラーさんに言われました。 潜在意識をも変えるような強烈な体験をしたのだから、友達が自殺する前の自分にはもう、戻れない、と。 drempさんのおっしゃるように、私の性格(人間関係に過敏)は直らない。でも行動は変えていける。自分を変えることはできる。 私はこれからも、他者の言動に過敏に反応してしまうと思います。でも、その「反応」を心の中だけにとどめて、行動は過敏にならない。 そのことに気づかせてくださって、ありがとうございました。 (昨日、家族に突発的な出来事があったため、お礼が遅くなってしまい、申し訳ありませんでした)

回答No.1

ある意味 限界を知って 諦める 捨てる ということの重要性に気がつくことです。 30代中盤までは会社も仕事も順調で、俺がなんとかする という意識で頑張っていまして『頑張れば何とでもなる」でした。 お酒タバコ接待ガンガンで体重も90KG越えてメタボ 血糖値も脂肪肝も最悪でした。 会社がこけて、医者から最悪の診断をもらい、お酒 タバコ 止めて就活10ヶ月。体重20KGへって 肥大した自我(エゴ)もおさまったようです。人と比較しない。身の丈に有った生活、で収入は半分以下になリしたが健康に成り 無駄使いもなくなり、余命が伸びたと思います。 使わない家具 備品 体脂肪 無駄なエゴ 酒タバコへの依存 これらが無くなると本当に楽です。

saeaya
質問者

お礼

ご体験を寄せてくださって、ありがとうございました。 俺がなんとかするという意識で頑張っていて、頑張ればなんとでもなった。 サラッと書いていらっしゃいますが、凄いです。 会社などで「俺に任せろ」とおっしゃる方はたまにいますが、 お任せしてなんとかしてくださる方は、めったにいらっしゃらない。 お酒、煙草もやめることができて、体重も20キロ減。 凄いです。 限界を知って、あきらめること。 教えてくださって、ありがとうございます。 確かにそうですよね。人間関係は特にそうだと思います。 A子との人間関係も、修復しようと努力していて、あるとき「もう、最善を尽くしたのだから、それでもだめなら駄目で仕方がない」と思ったときから、風向きが変わってきたような気がします。 私自身の体脂肪もぜひ捨てたいです。 ありがとうございました。

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