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宇多田ヒカルはなぜ母のことを彼女と言うのか?
宇多田ヒカルさんは今回のお母さんの不幸のことで 彼女に出会えて幸せでしたみたいな コメントしていましたが、宇多田さんは 何で母親のことをお母さんと言わないで 彼女と言うのでしょうか? 普通にお母さんに出会えて・・・で、良いと思いますが。
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お亡くなりになった肩を悪く言うのは本意ではありませんが、藤圭子は子供の頃十分な教育を受けずに社会に出るとこのような結果になります。でも藤圭子は無教育もありますが頭が悪い様です。これは和田アキ子と似た共通の事です。宇多田ヒカルはバカな母親に愛想をつかしただけです。
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- nekoneko2002
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複雑な心境だからではないでしょうか? 宇多田ヒカルさんは、海外の生活が長いので、母の事を”she=彼女”という表現を使っているのかもしれないですが、日本での生活も長いと思いますし、それに両親も日本人なので、普通に”母”と言ってもいいのでは?と思いました。 幼少の頃から、母である藤圭子さんに翻弄され続けていたようで、そのため、藤さんに対して愛情があるけれども、憎しみみたいなものもあり、最近では客観的に、また一歩引いて藤さんに接していたために、素直に”母”とは言えない心境なのかもしれません。 とにかく、普通の親子関係ではなかったと思うので、宇多田さんの心境は計り知れません。
お礼
ありがとうございました。
- issaku
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全文を読みましたが、ネットで言及されているような違和感を全く覚えませんでした。 要するに、三人称表現で構成された文章であることが主な理由です。 基本的にこの文章は、故人に捧げる追悼文ではなく、一般に公開する為のものです。 また、知名人としての故人と宇多田さんは、親子としての故人と宇多田さんとはやや異なる立場であり、それゆえに今回のようなコメントを出す必要があったという状況があります。 そういったことから、この文章においては「読み手」の存在を前提にした「説明文」としての体裁を整えるために、二人称として使われることが多い「お母さん」ではなく、三人称である「母」を使うことに十分な妥当性があると思われます。 この文章の中では「私の母」と最初に表され、それを受けて「彼女」と続き、その後も「母」と「彼女」が繰り返し使われていて、非常にプライベートな内容が、抑制された表現で客観的に説明されています。 また、この文には、「母(彼女)」が主語である箇所と、「母の病気」「母を思うとき」「母の娘」のように修飾語として用いられる箇所がありますが、これら全てを「母」に統一すると文章として不自然になってしまいます。 同語の多用を避けて修辞を整えると、自ずとこのような文章になるのではないでしょうか。 じっさい、実に平易で読みやすく、感情が素直に伝わる良い文章だと私は思いますよ。 つまり、「彼女」という用語が内心的な距離感ないし隔意を表しているのでは、などという推察を否定するものではありませんが、文章の性質からして自然な語法だろうというのが私の考えです。 それと、これは単なる推測ですが、英文においても「she」は一般名詞にたいする愛称としても用いられることもある代名詞ですから、中・高等教育を米国で受けた宇多田さんにとっては、我々が「彼女」という言葉から感じる場合とは主観的な距離感が異なるのではないかとも思います。
お礼
ありがとうございました。
- E-1077
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別に変だとは思わない一人です。 母親であると同時に、女であり歌手として芸能界での先輩であり、一個人であるという理念があるのでしょう。 私も、実母を「彼女は」と使います。 息子娘の話をするときにも「彼は」とか「彼女は」と使ったりします。 意図的というよりも、一個人だからです。 また、心のどこかで「母親と認めていない」感もあるのではないかと推測します。 それが虐待なのかどうかはわかりません。 むしろ虐待されている子供の方が母親が好きだと言ったりするし、お母さんという呼び方を無理にしたりしますね。 よって、宇多田ヒカルは解決したのでしょう。だから「彼女」と言えるのかもしれません。 お母さんというのはある意味ではかなりおおざっぱで個人として認められていないという感性もあってしかるべきだと思います。 夫婦でトーちゃんカーちゃんと呼び合うのとはわけが違う。 「私はお前を産んだ覚えはないが?」と返す。 必要な時には「母が」と使うことは日本語として当然のことで、それを「お母さん」と使ったら、知能と良識を疑います。
お礼
ありがとうございました。
- bossnass
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母親を「彼女」と呼ぶ人たちの主たる理由は 1、母親から幼少期から虐待・育児放棄・無関心・拒絶などの扱いを受けた。 2、母親から「捨てられた」という思い、またはそれに近い経験がある。 3、母親から自分の恋愛・仕事・学歴・容姿などで否定的な言動を受けた。 4、母親から自分の身内(父親・祖父母・親戚)や知人・世間への批判、拒絶、悪態 を日常的に聞かされていた。 5、母親の生活態度(浪費・酒タバコへの依存・節度ない恋愛など)への批判。 だいたいこんなところですが、 1~3の場合は「彼女」とは呼ばず、「あいつ」「あの女」とか呼ぶことが多いので、「彼女」と呼ぶ主因は4~5のケースでしょうね。 藤圭子さんが本当に自殺だったのなら、なんらかの「精神疾患(人格障害、統合失調症を起因としたうつ病等)」があったと推察できます。 そうした親に対して、距離を置こうとする子も「彼女、彼」という表現を使う場合がありますが。 でも、 宇多田ヒカルさんの場合、母親を「彼女」と呼ぶ一番の理由は、その死因である自殺でしょう。 親の自殺、特に母親の場合は「裏切られた」「捨てられた」に近い感情を子供に与えます。 また、 たとえ成人になり、中高年になっても子供は、その時の親の「生き方」を参考にします。 良い親でも悪い親でも、子供にとって親は「自分の前を歩いている人」なのです。 その参考見本である親が「自殺」だった場合、子供は将来への「絶望」や「悲観」といった思考を持ってしまいます。 そうした事への「怒り」と、生んでもらった・愛情を持って育ててくれた・音楽を教えてくれた「感謝」の気持ちが入り混じり >母親のことをお母さんと言わないで彼女・・・ ということになったのでしょう。
お礼
ありがとうございました。
- nishikasai
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英語圏ではありませんが、横文字の国に長年住み現在も通訳をして暮らしている者です。 西洋ではお母さんのことをSheとかHerとか普通に言います。 日本語で彼女と言うとSheとは別のニュアンスがあります。まるで誤訳をしたみたいなリアクションを受けることがあります。私なりに理由を考えてみましたところ四つの理由が浮かびました。 1.日本語では彼、彼女という呼び方が市民権をまだ得ていない。英語のHeとSheを無理矢理日本語に訳したという感じですね。 2.日本語では、たとえば面と向かって貴方と言えばなんだか失礼に聞えます。なるべく名前で呼ぶのが礼儀です。「貴方のお考えはどうなんですか?」と言うより「佐藤さんのお考えはどうなんですか?」と言う方が自然です。「貴方」なら名前を知らなくても呼べますが、名前で言われるほうが相手が喜びます。従って日本人は人称代名詞を避け相手の名前を呼びます。 3.日本は儒教の強い影響を受けた国で父母の重みが西洋と違います。たとえば裁判で親が出廷して「これから娘が非行に走らないようしっかり指導監督します」と言えば少年院送りになるべきケースが保護観察処分で済んだりします。西洋が愛情の絆だけであるのに対し日本では指導責任者みたいな役割が課せられています。そんな偉い人をSheで十把一絡げにするのはおかしいのでしょう。 4.彼と彼女が馴染まないもう一つの大きな理由があります。 日本では彼と彼女は恋人の意味で使われているからです。恋人と神聖な母親を混同するなんて! というところなんでしょう。
お礼
ありがとうございました。
- goodn1ght
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アメリカ育ちだからそのような表現になった。
お礼
ありがとうございました。
- toshipee
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たまに第三者的に妄想して書かないと、自分が哀しすぎて壊れそうだから。
お礼
ありがとうございました。
- 150715
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彼女(藤圭子)が、自分の『母親』である前に、歌手であることを表したのでしょう。 自分だけの存在の母親ではなく、みんなの藤圭子として。。。 それが『彼女』という表現になったのでは?
お礼
ありがとうございました。
- RosaCanina
- ベストアンサー率48% (5532/11451)
当たり前になってしまいますが、真実は、ご本人に尋ねるしか誰にも分かりません。 それはそれとして、それほどに深い理由はなく、 ヒカルさんは、幼少より英語圏での生活が長いので、 単純に、女性代名詞の「her(彼女)」を用いているだけと思います。 直接的ではなくて、代名詞を用いて表現することは普通の会話ですから…。
お礼
ありがとうございました。
お礼
ありがとうございました。