人を愛するとは、まず自己愛が前提としてあって、その範囲をどの相手まで広げるかと言うことだと思います。
一言で言えば、相手との一体感です。
相手と自分を同一視すれば、相手を愛する事も、自分を愛する事も同じ事です。
例えば、母親が子供に対して深い愛を感じることができるのは、元々肉体的に一体だったので、子供との一体感を得ることが非常に容易だからです。
スピリチュアル系の考え方に、全ての生命の魂は、根源でつながっているという話があります。
木の枝の先だけを見ると、互いに別々の枝先に見えるが、元をたどれば、同じ一本の木の一部だと言うことです。
この仕組みを理屈でなく、魂の底から悟った人は、別に無理に他人を愛する必要などありません。
全ての人が自分であり、かつ自分が全ての人なので、自分を愛するのも他人を愛するのも全く同じ事だからです。
その場合、他人を愛するのは、内から自然とわき出てくる気持ちであり、そこに作為はありません。
そして、その愛の源泉は、相手との一体感です。
相手との一体感を感じずに施しをするのは、施しの代償として、相手からの感謝や愛を求めているに過ぎません。
これは愛では無く、単なる取引です。
取引を愛ゆえだと信じ込むと、偽善や独善に陥り、その行為は余計なお世話になってしまいます。
そして、代償が得られなければ当然不満を感じます。
人に何かをして「あげて」はいけないと思います。
「あげる」と、今度はお返しを「もらう」必要が出てくるからです。
単に、自分がしたいことをしましょう。
そうすれば、お返しを期待する必要も無いのです。
お礼
私もスピリチュアル的な本を読むのですが、イマイチ理解できない事もありましたが、回答様のお返事で、とてもよくわかりました。 自分と他人な元を辿れは同じで一体であるって事ですね。 そして自然な気持ちで行う、という事ですね。 人間生きていく上で“取り引き”も必要な時もありますが、取り引きと自然な気持ちからの行動を意識して分けようと思いました。 混合しているから、今回のような質問を投稿するに至ったのかもしれません。 深くて素晴らしいご回答ありがとうございました。