※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:母と私と高校 鬱?)
母と私と高校 鬱?
このQ&Aのポイント
関東に住む高校2年生の私は、不登校になっています。幼い頃から母と父の喧嘩が絶えず、母は精神的に疲れ、家事も疎かになりました。父の怒りに怯えながら、私は自分を守るために強がっていました。小学生の頃から不登校になり、学校が楽しくなくなりました。中学生になっても同様で、吹奏楽部に入部しても楽しさを感じませんでした。現在も不登校で悩んでおり、何か大きな変化が必要だと感じています。
私は幼い頃から母と父の喧嘩が絶えない家庭で育ちました。父は母に強く当たり、母は家事が苦手で精神的に疲れていました。この状況が原因で、私は不登校になりました。小学生の頃から学校が楽しくなくなり、中学生になっても同様でした。現在も不登校で悩んでおり、何か大きな変化が必要だと感じています。
関東に住む高校2年生の私は不登校です。幼い頃から父と母の喧嘩が絶えず、母は精神的に疲れて家事も疎かになりました。父の怒りに怯えながら、私は強がっていました。その結果、小学生の頃から不登校になり、学校が楽しくなくなりました。中学生になっても同じ状況が続き、吹奏楽部に入部しても楽しさを感じませんでした。現在も不登校で悩んでおり、何か大きな変化が必要だと感じています。
こんにちは。
私は関東に住む高校2年生で、現在不登校です。
私の父は母にとても強く当たる上、母は家事が得意でないため、幼い頃から喧嘩が絶えませんでした。
母は精神的に疲れ、更に家事が疎かになり、そのことで更に父はよく怒鳴ったりするようになりました。
父は「こんな家出て行ってやる、離婚だ」と口癖のように言っていました。
週末は一切家に帰ってこない時期も、長くありました。
幼い兄はいつも怯えていたので、私は「あんなの放っておけばいいよ、平気だよ」と強がって慰めていました。
しかし私も、ほとんど怒らない母が、パニック障害持ちでたまに異常に喚いたりすることと、父が出て行ったら今のような生活が送れないこと、その2つがとても怖くて仕方がありませんでした。
いつも、怖がりで寂しがりやなのを隠し、冷めた性格を装っていました。
そうして自分を守っていたのだと思います。
小学校1年生の頃、仲の良い友人の転校と、友人だった人達による陰口で、自分の中の何かが壊れ、短期間不登校になりました。
なんとか復学したあとはすぐに陰口は収まり、仲の良い友人も出来、環境は元通りになりました。
しかし、心は元通りにはなりませんでした。
その時から、学校を月に何度か休むようになりました。
それまで、幼稚園や学校(陰口を言われる前)は、面倒だけど面白い場所だと、プラスに捉えていたというのに。
それから段々と「楽しい、嬉しい、好き、面白い」という良い感情ばかりが死んで行きました。
小学校を卒業する頃には、完全に駄目になっていました。
友人と騒いでいても、楽しくない。美味しいご飯を食べても、好きだったゲームやお絵描きをしても、面白いものを見ても、何も感じない。世の中すべてが無駄に思えて、生きているのも嫌で、でも死ぬのも怖くて。(死ぬのが怖くなければ、とっくに死んでいましたから、死ぬのが怖い本能が残っていたのだけは、良いことだったと思います。)
中学生になってからも、月に何度か休むのは相変わらずで、友人に流されて入った吹奏楽部も何が楽しいのかわからず苦痛でした。抜けることは許されないとても厳しい部でしたので、退部は出来ませんでした。
中学3年生のとき、遂に完全な不登校になりました。
中高一貫教育だったため、部活は継続だったのですが、それを理由に部活は辞めることが出来ました。
それでも、たまに学校に行くと吹奏楽部の同級生たちは私を歓迎してくれました。
居場所がまだあったという後押しもあって、高校1年生ではなんとか復学することが出来ました。
母は、「高校一年生の単位だけとって、それでも駄目だったら、通信制高校に移ったりすればいいよ」といってくれて、それを支えに、休みがちながらも通い、無事全単位取得。
しかし母は自分の言ったことを覚えていないのか、春休みになっても、学校をやめてよいなんて一度も言いませんでした。
そのまま高校2年生がスタートしました。
6月の終わりの文化祭までは、勉強に置いていかれるのが怖くて無欠席で通っていました。
家族は、私が頑張っている、成績も優秀だ、と喜んでいました。
しかし、私自身は、もう限界で、文化祭を境に不登校になりました。
私が高校をやめたら、父に家を追い出されるかもしれないと、母に泣かれました。
高校をやめてもいいと言ったが、やっぱり無理だ。この高校に(母が)思い入れが強く、どうしても辞めるのを許せない。ここで辞められたら一生恨むかもしれない。私(母)のためにこの高校を卒業してくれ。高校を卒業したあとは、どうなってもいいから。あと1年半だけじゃないか。とも言われました。
私にとっての高校での1分がどれほど長いのかも分からないのに。
どうなってもいいって、私がどうなろうとどうでもいいということじゃないのか。
「学校に通っている子ども」が大切で、私自身が愛されているわけではなかった。こんな感情も碌にない子供が愛されるわけないとは思ってはいたけれど。
現在は夏休みで、母は私が元気になるように色々なことを探しています。
しかし、10年もこの状態ですから、そう簡単にはいきません。
また、結局は「それで高校を卒業させる」に結びつきます。そうでなければ意味がなく、それしか頭にないようです。
よく母は、私のことを才能があって人生成功しているといいます。
学校に行かなければ家族に存在も認められなくて、昔から好きなことも楽しいことも無くて、毎日泣いてばかりで、何が成功なのか、訳がわかりません。
学校をやめてどうにかなる問題でもないという事を分かってはいます。
このままでは駄目だと、日々痛感しています。
こんな私はどうしたら変わることができるでしょうか。
今、どうするべきでしょうか。
何か大きなショックや転機なようなものが必要だと思うのですが…
ネットの鬱診断では、重度の鬱だとどの診断でも言われますが、
昔からの性格のようなものなのでこれが鬱といえるのか分かりません。
お礼
おいしい、きれいと感じられない。全くその通りです。 世間的にはきれいなんだろう、美味しいものなんだろう、とは思うのですが… 2冊とも読んでみようと思います。 ありがとうございました。