※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:父の大学観に怒りを感じます。)
父の大学観に怒りを感じます。
このQ&Aのポイント
大学生の私が父の大学観について感じる怒りとは何なのか、そして父の感情はどのような理由に基づくものなのかについて考えてみました。
私は父に対して感じる怒りの正当性について考えています。一方、父が高等教育に対して抱く感情は、彼の経験や宗教信仰によるものなのかもしれません。
私は自分の大学進学に不満を持っており、それを父への怒りとして表現しています。一方の父は、自身の経験と宗教信仰からくる高等教育への不信感を表明しているのかもしれません。
はじめまして。私は現在大学生の者です。少し長くなりますが、父に対する感情について相談させていただきます。
まず父について説明します。父親は中学時代、高校受験に失敗して遠方にある高校に通わざるを得なくなりました。そのため親元を離れて下宿していたのですが、一人暮らしの心細さや下宿先や高校での人間関係等が原因で腐ってしまったらしいのです。その後親の見栄の為に大学を受験させられ、あまり難易度の高くない私立大学に引っかかりそこに通うこととなりました(父は国公立受験の当日に体調を崩し、受験できなかったとも語っていました)。本人は大学に行きたくなかったらしく、入学後もバイトに励んでいました。そのため、大学に来ていないことを知らせる通知が実家に届いたこともあったそうです。そのような状況の中、父は大学を辞めたいと実家に相談したのですが認められませんでした。前述のように父の実家は田舎によくある世間体を気にする家で、父が大学を辞めることで見栄が悪いと感じたのだろうと思います。なんとか大学を卒業した父は地元の中小企業に就職しました。しかし、高卒で入社した優秀な社員もたびたび目にすることになり、自分の大学生活はなんだったのだろうかと失望したらしいのです。こんなことなら直ちに就職したかったと後悔したのだろうと思います。また、父はある宗教に入信したのですがその宗教が高等教育をあまり推奨していないことも相まり、高等教育に対する敵意?のようなものが芽生えたようです。私には時折「お前は優秀だから大学に行かなくても成功できる」とか「本当に優秀な人間は大学にいかなくてもよい」「高等教育なんて意味がない」「東大でもオウムみたいな連中もいる」「東大生等は丸暗記ばかりで応用力がない」等と言っていました。
次に私の話に移ります。私自身恥ずかしながら第一志望の大学に落ち、第二志望の大学に通っています。しかし、無性に腹が立ってくる自分がいるのです。自分も本意ではなかった大学に通っているのに腐らずに努力している。しかし父は自分の置かれた境遇の中で精一杯努力したのだろうか? 父の話では私にはそう見えませんでした。そのくせに高等教育なんて意味がない、とか偉そうなことを言っている父の考えに怒りを覚えるのです。私は父が留年や中退をせず卒業したことは立派だと考えていますし、父が高等教育に対してどのような思いを抱こうと勝手だとも思います。また、そこまで嫌っている高等教育の為の資金を出してくれていることにも感謝しています。しかし父が自分の経験則を私に語るのが我慢ならないのです。確かに父の境遇は同情できる面もあると思います。しかしどう言い訳をしようと、結果的に努力しなかった自分を棚に上げて偉そうなことをいうのはどうなのでしょうか。私には父が自己正当化に腐心しているように見えるのです。高卒社員の件にしても、自分が大学の4年間専門性を磨くことを怠った結果にしか思えません。どんな状況であれ精一杯努力したら自己の境遇に対して何らかの肯定的評価を与えるものだと思いますが父は否定的評価しか与えません。
その一方で私は父が自己正当化に腐心しているだけではないと考えます。前述したように父は宗教に熱心で、その教えに忠実なだけだとも感じるのです。その宗教では最近まで大学進学を無駄であるかのように教えており、代わりに実用的な技術を身につけることを勧めています。大学に進学するより、職業訓練校で実用的な技術を身につけた方が偉いという感覚です。私の高校進学の際も、父は普通科ではなく高専や商業科、工業科を受験するよう勧めました。そのようなことを考慮すると、父の東大云々の発言が学歴コンプレックス等によるものだということはあり得ないと感じます。
そこで質問ですが、
・私の父に対する感情は正当なものか。
・父の感情はどのような理由に基づくものか。
という点につきまして、どちらか一方でもご回答をいただければ幸いです。
お礼
親切な回答ありがとうございます。やはり私は十分に親離れが出来ていないませんね。私自身、父親の価値観に対する拒否感がまず強く出てしまっているようです。もう少し時間をかけて、父を見ていきたいと思います。ありがとうございました。