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登場人物を美形に設定する理由
いま大変人気のある作家さんの本を、さほど学のない私でも読みやすいので好んで読んでおりましたところ、ふと、どうしてこの作者は主人公を美形に設定するのだろうと、疑問に思いました。 彼の作品を全て読んだわけではありませんが、少なくとも10作品はそれでした。 また“ニキビ面の不潔そうな兄弟”という表現があり、その兄弟が悪人設定ならまだしも、名前すら出てこない無害な人物にその表現は必要だったのでしょうか 美形である表現をしなくとも、読みすすめるうちに異性にもてているな、美形さんの設定なのかな、と分かりますが。 どなたか、この著者さんの考えをどう推理しますか
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取り上げている作品が、漫画やアニメのようなイラストの多いライトノベルではないようですが、基本的に小説では文章だけで登場人物の外見や容姿を想像させるしかありません。 ノンフィクションでないかぎり、フィクションの作品を読む(読みたい)読者の意識には、虚構を虚構だから楽しみたい、現実ではないフィクションを楽しみたいという姿勢があるのではないかと思います。 そして、美形や美人といっても、人の好みはそれぞれで、ワイルドな逞しい男性が好ましい人もいれば、スマートで優男が美形だと思い描く人も居ます。 ヒロインでも同様ですね。清楚で可憐なお嬢様風なヒロインが美少女だと思う人もいれば、キリっと凛々しい大人の女性が美人だと感じる人も居ます。 登場人物に、そうした理想的な姿をしていて欲しい願望を、読者が感じるように著者は誘導できうる文章や表現を用いるのは、フィクションの中で活躍する人物に憧れや好感を持ってもらうためには必要な事ではないかと思います。 逆に考えてみてください、登場人物が不快な容姿をしているらしい作品で、良いイメージを感じられなかったら、その作品を読み続ける意欲が持続できるでしょうか? コメディとしてはある程度成立しそうですが、好感を感じられない主人公では、ストーリーの面白さを感じる以前に不快を感じてしまいそうです。 美形である表現がなくても、異性にモテているという事こそが、読者にとって理想的な容姿や好ましい人物であるという想像を生み易く、好感を与える表現なのではないかとも思えますが…。 キャラクターに特徴を持たせてそれをウリにしていない限り、読者が理想とする容姿や好ましく感じてもらうためには、具体的な表現を避ける方が、より多くの人が勝手に理想的な姿を思い描けるという効果があると思えます。 しかし、それでは主人公たちが理想的な姿なのか、美形なのかハッキリしません。そこで、無害な脇役でも、主人公やヒロインを具体的な表現せずに、美形として際立たせる為の対比表現になる意味合いで、不細工で合ったり不潔で合ったりする表現をとったのではないでしょうか? 主人公やヒロインの容姿の具体的な表現がなくても、不細工である脇役がいると意識させることで、自然に比較して、主人公やヒロインは悪い表現がされていない事で、良い容姿であると錯覚し易くなりますよね?
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- mm_myOK
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どの作家さんのことを言っておられるのかわからないので、 私の好きな人気作家、伊坂 幸太郎さんの「砂漠」を例にとってみると、東堂さんはどうしても美形でなくては話が展開しないと思いました。だからこそ、外見は少しもかっこよくないけれど、ユニークな西嶋とのからみが面白くなってくるので、主人公の一人である東堂さんはどうしても美形である必然性があると感じました。 全然違う作家さんのことで、伊坂さんの作品を読んだことがなかったら見当違いですみません。
お礼
ありがとうございます、美形でないと物語が進まないものもありますよね。 ちなみにその作者とは東野圭吾氏です 幻夜 などはまあ仕方ないかなとは思いますが もう東野さんのは一切読んでません 昔の松本清張さんとイメージが重なりますよね そういえば、松本清張も女性は美人の設定が殆どかも。 男は美人が好きなんですかね