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諸葛孔明について
1、なぜ諸葛というのですか? 2、諸葛孔明について知ってることをいろいろ教えてください、お願します。 3、なぜ三国無双のゲームの中では諸葛亮となってるのでしょうか? 4、三国無双のゲームでは志半ばで五丈原で倒れると書いているのですが、どういう風にして生涯を閉じたとか教えてください。 5、諸葛孔明のローマ字を教えてください。
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1.中国では二字の姓(苗字)は珍しいですね.孔明の一族は,ずっと以前は「葛」という苗字だったようですが,同じ村に同族が増えたために「諸」という字を上につけて「諸葛」と名乗るようになった,という説が有力なようです. 2.孔明は戦略家として有名ですが,実際のところは何と言っても「名文家」だと思います.彼の書いた「出師の表(すいしのひょう)」は,文学作品としては,中国史上の最高傑作の一つと言えると思います. 5.中国語のローマ字表記は「諸葛亮孔明=Zhuge Liang Kongming」になると思います. 三国志の小説はたくさんありますが,吉川英治氏の三国志が一番面白いと思います.文庫本8巻で,孔明が登場するのは4巻以降ですが,読んでみてはいかがでしょうか.
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- hibarisan
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こんばんわ。 私の知ってる範囲を簡単に紹介します。 (1)名字が諸葛、名前は亮、字は孔明。 名字は、今も同じ感覚と思います。 名前は、身内しか使わないと思います。お兄さんは諸葛勤で、小説等では“勤 兄さん"っていってます。 字は現代の名前と同じ感覚です。 (2)諸葛亮は発明も好きで、地雷・一輪車・饅頭を発明しました。 (3)回答する必要なし。 (4)主君の劉備は義に重んじており、帝を蔑ろにした魏の曹操を倒す必要がありました。帝と劉備は血縁でもあります。劉備は曹操を倒す為に頑張りましたが、志半ばで亡くなり、孔明は、幼い劉備の子を守りながら国を守りました。その息子は甘やかされて育った為、大人になっても無知な帝でした。それを補佐しながら魏を倒す事を夢見て孔明は頑張りました。魏の1/10ぐらいしか兵力国力が無くても孔明は対等に戦いましたが、遂に七度目の魏討伐出陣中に五丈原の陣中で亡くなりました。 (5)しょかつりょうこうめい
- tkr1977
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こんばんは。 【1について】 既出ですので、補足程度に。 趙雲っていますよね。 趙雲の場合、姓は趙 名は雲 字が子竜 となります。参考までに。 【2について】 トリビアってネタではないのですが、兄は呉・弟は蜀をへて晋に仕えていますね。遠い親戚は魏に仕えていましたね。 孔明の能力に関して。 ホウ統が戦死せずに長生きしたり、徐庶がそのまま劉備に仕えていたりして、軍事を他人に任せられる状況下であったならば、孔明は政治に専念できたわけで、もっともっと蜀の内政を充実させれていただろうし、軍事と内政の両方に責任を持っていたために心労が重なり、過労状態になり亡くなったと評価されています。 軍事面では戦場の前線で指揮を振るうよりも、後方支援の方が才に見合っていたと評価されています。(慎重すぎる部分が、このような評価につながっているのだと思います。) 【3~4について】 既出ですので省略。 【5について】 日本語読みで、と言うことであれば「syokatsu(shokatsu) koumei(komei)」の4通りあるかとは思います。 中国語読みで、と言うことであれば・・・ちょっと分かりかねます。(スミマセン)
- ombre
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三国志 好きなので、つい続き。(^^; 孔明の死は、戦っての死ではなく、病死だったようです。 今で言う 過労死みたいなものだったようです。 『死せる孔明、生ける仲達を走らす』という有名な逸話がありますので、 検索してみられると、面白いですよ。
- ombre
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取り合えず、名前に関してだけですが。 中国の名前には、本名の他に 字(あざな)が付くそうです。 諸葛亮の場合は、諸葛が姓で 亮が名前。 孔明が 字になります。 字は元服の時に 父親や位の高い人等につけてもらうようです。 また、本名と字を続けて呼ぶのではなく、 『諸葛亮、字は孔明』というように 使います。 中国では、名を軽々しく口にする事をタブーとし、 字を使うようになったようです。