• 締切済み

大学での研究内容に悩んでいます。

大学で何を専攻研究、卒論とすればよいかわからず悩んでいます。 閲覧ありがとうございます。現在大学三年生です。 自分の学部は国際的な分野を学ぶ自由な学科ですが、今のところ西洋(主にイギリス)の文学と日本の文学、あるいは西洋文学作品とその派生作品などを比較研究するのがメインのゼミに入っています。 ですが、自分は被災地出身ということもあり、被災地や災害のこと、あるいは復興や街づくりについても研究したい…というのが最近少し自分の中に浮かんできました。そういう授業もとっていましたが、先生があまり好きではなかったことも選ばなかった一つの要因ではあります。 もともと「シャーロックホームズ」シリーズやH・Gウェルズなど、ただ単に「好き」なだけでこの分野、ゼミを選んでしまい、何となく後悔しています。9月からはずっと行ってみたかったイギリスへ短期ですが語学留学もさせてもらいます。 今まではイギリスのヴィクトリア朝の文学作品をできればいいな、と思っていたのですが、果たして今そんなことをしていていいのか?という思いが出てきて、悶々としています。 文学の卒論は何を書いたらいいのか未だよくわかりませんが、文学と被災地や災害を結びつけるテーマは存在するのでしょうか? 留年してでもゼミを変えるべきなのでしょうか?それとも気にしすぎなのでしょうか…?

みんなの回答

noname#181951
noname#181951
回答No.6

追記  いいアイディアが思いつきました。ウェルズを取り上げて、科学に対する十九世紀の人々の盲信を分析する、ってのはどうでしょう。ぱっと、工業汚染と言ったけれど、ウェルズにそんな小説あったかなあと考えると、あまり見つからない。それよりはウェルズの小説の中には、科学を礼賛する傾向がある。これはこの時代の傾向と言ってよいものです。  しかし原子力発電所のメルトスルーで科学に対する信頼が失墜した昨今の読者にとってみると、ウェルズを無批判には読めなくなってしまった。被災者ならではの観点で、「科学の盲信」というヴィクトリア調の傾向を分析してみたらどうですか。もっとも指導教官がグダグダ言い出せば、この程度の着眼点は容易に覆されます。万が一にも気に入ってくれたら、自分で着眼点をさらに進めてみてください。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#181951
noname#181951
回答No.5

 一応、ブンガク研究者です。私も似たようなことを考えました。震災以降、私も困り果てました。私は何をやっているのだろうと思いました。しかし被災と文学という取り合わせで研究するのは、あまりよい戦略ではないという結論に達しました。文学ができることは限られています。単なる娯楽とは思いませんが、社会的な価値はない。ずっとそれをやってきた私の考えでは、あいにくとそれは糞の役にも立ちません。そういう性質の学問なのです。  さて、いろいろと震災の問題に応用できないかと私も考えましたが、下手に他分野に手を出しても、結局、学術的には何の貢献もないことをしたという結果になりかねないという結論に達しました。あなたの場合で言えば、学術的に何にもならない=大学で何も学ばなかった、というようなことになります。これはよくない。それよりは一つ、きちんとホームズやウェルズを学んでみてはどうですか。そしてそれを被災地で子供に聞かせるようなボランティアをしてみたらどうですか。  もちろん他の方が言うように、ソシオ・クリティックなる研究手法はあります。文学作品を読みながら、当時の社会を考察するというタイプの研究です。文学+社会学、あるいは文学+経済学と言った方が分かりやすいかもしれない。ディケンズの描く社会に見られる貧困などは経済学でも注目される資料です。  しかし・・・それは経済学に興味が無い人の関心を引くのが関の山です。それに経済学の基礎をきちんと学ばないと、軽薄な議論になるでしょう。さらに災害や復興のこととは、残念ながら、何の関係もありません。あともっと言えば、同じことはホームズを読んでもやれることでしょう。ホームズにでてくる犯罪者-下級階層はどんなだったかを解き明かしてみれば、社会学との間の子になります。  ホームズ、ウェルズ、娯楽小説、結構じゃないですか。被災しても若者が自分の好きなことをやっているというだけでも、何かしらの希望になるかもしれませんよ。もちろん羨む人もいるでしょう。でも悪いことばかりに目を向けてもしょうがない。結局、被災のこと以外にも、世界中に厄災は溢れているのです。人が死ぬのを横目に、自らの楽しみを探求する。人間とは因果なものですよ。  以上は私の考えです。ご参考までに。 追記)  ウェルズの小説を取り上げて、工業汚染の問題とかを取り上げれば、原子力汚染の問題を考えるきっかけにはなるかもしれませんね。とは言え、学術的に手堅い議論ではないから、苦労するはずです。あとは指導する先生の腕次第でしょうか。そうそう、先生に聞いてみましょうよ。何かよいアイディアを出してもらえるかもしれない。文学という学問は非常に曖昧で、教員が勉強不足なら、外野がいくらよいアイディアを出しても、水泡に帰します。A教員なら指導できることが、B教員には全く見当もつかないというような体系だっていない学問です。今後、このまま続くとは私は思いませんが。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

ビクトリア朝のころの特徴は 「社会の発見」じゃないのかな。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%8D%94%E4%BC%9A だから、ウェルズはフェビアン協会の一員だったり、スターリンと共著を出していたりする。 他の方も指摘しているが、個人ベースの課題を個人ベースで救済することでは不可能じゃないの?という認識があったから、社会主義の発想や「科学」という原理で社会全体が改善されるという SFが生まれる。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kifimi
  • ベストアンサー率72% (425/586)
回答No.3

私は阪神・淡路大震災のときに、大学生でした。 当時、関西の被災地周辺にいた多くの大学生が(私自身も含めて)、今のあなたと同じように「いま、好きな学問をやっていていいのか」「被災地のために何かしなくていいのか」と葛藤しました。定期試験の時期だったのですが、それよりも被災地支援を!ボランティアを!という風潮さえ(一部には)あったのを思い出します。 あなたが「何か被災地や復興のことを研究したい」という思いの中に、少しでも「その研究が好き」という部分はあるでしょうか。 義務感だけでなく、そこに好奇心や興味が付随していれば良いのですが、ただ「自分はこんなことをしていていいのか、こうするべきではないのか」という、強迫観念のような義務感から学問を志しても、途中で簡単に心が折れてしまいがちです。 「被災地出身だから、これをやりたい」ならばいいのですが、「被災地出身だから、これをやらないといけない気がする」というのは、赤の他人である私から見て、幸せな状態とは思えません。 せっかく、短い時間ながらも、好きなことに没頭できる貴重な時間を与えられたのです。 精一杯、力一杯、好きなことに没頭してはどうですか。 被災地への貢献については、あなたがきっちりと(好きな)学問に取り組んで、豊かな見識と心を持った社会人になることも、復興につながることだとは考えられませんか。 被災地出身の若者が、好きなことを見つけて、それに全力で取り組むという経験を経て、一人前の社会人になる。 これも、とても大事なことだと私は思います。 ぶっちゃけ、いち学部生が卒論程度で取り組んだテーマなど、直接には社会の役に立ちません。 あなた個人にとっては何か意味があるかもしれませんが、それも義務感や焦燥感から取り組んだものでは、本当の意味であなたのためになるかどうか……。 震災や復興のことが気になるなら、卒論とは別に、独学したっていいのです。 必ずしも「学問」という枠の中で、被災地のことを考える必要はありませんしね。 文学にしても、ものは考えようです。 あなたの好きなイギリス文学の中に、災害と直接結びつくものはなかったとしても、そこには「人間の営み」が描かれています。 天災・人災ではなくても、人生には時にとんでもない災厄が降りかかり、人はそれに悩み苦しみます。娯楽系の探偵小説であるホームス・シリーズにさえも、犯罪に巻き込まれて悲しむ人々が登場します。 そういった、「文学に描かれた、運命や人生に苦しむ人間の姿」は、間接的に、災害に直面した人間の心のありかたとつながってはきませんか?

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

やはり#1のお答え通りヴィクトリア朝の産業革命辺りにおける貧民層の生活が描かれている文学が多量に有り適しているのではないでしょうか。 デヴィッド・カッパーフィルドなどを書いたディッケンズは悲惨な少年労働者の暮らしを出来るだけ明るく書いていますし。 また後の作品も同時期を背景にして、例えばメリー・ポピンズに現れる煙突掃除に少年達が使役され、タール成分による皮膚癌で成人前に死亡する者が非常に多かった事などの社会現象には、被災者のあなた様にとって天災・人災の違いはあるもののインスピレーションを与えるのではないでしょうか。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • CC_T
  • ベストアンサー率47% (1038/2202)
回答No.1

今できる事のうちで、自分が面白いと感じる事を研究テーマにすればいい。壮大なテーマを振りかざしても、モチベーションが付いて来なければ中途半端な仕上がりが関の山。大学生の頃のエネルギーと時間ってのは社会に出た後まで持続させるのが困難ですから、心残りをしてしまっては勿体無いです。卒論というのは、将来的に自分の中で一つの芯になりうるものなんですから、今は自分の興味が向くままを優先されるがよろしいかと思います。 ~~~ 一応、文学と被災地や災害を結びつけるテーマも考えてみましょうか・・・。 イギリスのヴィクトリア朝の文学作品ってことは、小説なら「嵐が丘」や「アリス」のころですか。世の中が産業革命に浮かれるなかで、男女の対等性や子供の権利といったものが注目されてきた時代。民衆もそれまで縁のなかった文化に触れる機会が増えて、文化レベルが急速に発展していた頃ですね。 震災・津波の被災地の今と共通点を見出すとしても、かなり苦しいかな。 例えば、経済的な復興に浮かれて豊かな心を見失いはしないかという危惧。 こんなのは卒論の最後の5行分にしかならないネタですし、それなら東北の文学にこそ注目すべきですよね。 う~ん、難しいですね。 キリスト教ならともかく、東北関連でイギリス文学に大きな影響を受けた作家というのも心当たりがないですし、私の貧弱な知識じゃ、歴史的な成立要因から見ても経済的な面から見ても、イギリスと被災地の相関点は見いだせなかったです。唯一、気候的な面で多少の類似があるかな・・・って程度でした。

参考URL:
http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20130618m
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A