本来の仏教、キリスト教においては、お墓はこうしなければならない、というような規定や教義上の根拠は何もありません。インドの仏陀や、ユダヤのキリストの活躍した時代から2000年、文明の変遷と国際的伝播ともにそれぞれの葬式のやり方も時代あるいは土地に合わせて変化して来ています。火葬が一般的に行われるようになったの宗教の歴史からみたら最近のことです。
そういった中で、日本の仏教は葬式仏教として発達してきたため、宗派によって、いろいろとルールを定めています。
法的には、墓地であるところに火葬して埋めれば、どんな宗教でやろうが、いっしょに埋めようが別々に埋めようが何の問題もないし、最近では散骨や自然葬も認められています。
つまり、法律にのっとってさえすれば、宗教には関係なく、どんな墓でもいいし、分祀、合祀どちらでも、他人から文句をいわれる筋合いはないのです。
ただ、現実には現在の日本の文化と常識では「イエ」の問題と墓は、不可分なものであり、さらに本来は個人的な信仰であるはずの宗教が、「イエ」のものとして絡んでくるので、こうした問題がでてくるのです。
そこが、個の信仰を重視するキリスト教と、家族や家を重視する大乗仏教の違いでもあります。
一番の問題は、親戚一同の理解が得られるか、ということと、得られなかった場合、あなたあるいはご主人にそれを押してまで、墓あるいは信仰にこだわる意思があるかということじゃないでしょうか。
あなた、およびご主人が信仰を変えないということ、そして一緒に葬られたいということを前提にしたら、
1 同一敷地内、あるいは隣接地に別の墓を造る。
2 先祖代々の墓ではなく、二人だけの独立した宗教性のない墓を造る。
3 先祖代々の墓に、異教徒のまま入る事を親戚一同と坊さんに容認してもらう(これは宗派の考えにもよると思いますし、 墓標にキリスト教の洗礼名がのるかは微妙)
お礼
詳しい回答ありがとうございました。よく話し合いしてみたいと思います。