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他人の<まなざし>を気にするニッポンジン
あなたは,他人の<まなざし>が,気になりますか? あるいは, あなたは,「空気」を読むことは,重要だと考えていますか? あなたにとって,「世間」を気にすることは,重要なことですか? 個人の尊重がさけばれている現代の日本社会においては,近年になって,「世間」や「空気」が<強調>される傾向にあります。「世間」や「空気」とは,これからの日本社会にとって,社会を形成するうえで必要な要素になりうるのでしょうか? また,「世間」や「空気」を<強調>することで,ある種の「魔女裁判的」な社会をつくることや,異質な他者にたいする「社会的排除」の傾向にもつながりかねません。 外国に「つながり」をもつ<日本人>という立場から,わたしは,多くの日本人が他人の<まなざし>を気にしながら(あるいは,注意をはらいながら)社会生活を営んでいることを,つねに批判的に受けとめています。それと同時に,他人の<まなざし>を気にしてしまう日本人にたいしては,「あわれみ」の気持ちをかくせないときもあります。 「あなただって,ほんとうのあなたでいたいはずなのに…」 外国に「つながり」をもつ<日本人>だからこそ,このような<意見>をつくることができるのかもしれません。 言葉は悪いのですが,「半分だけ/半分しか日本人」だからこそ,他人の<まなざし>という「呪縛のようなもの」からある程度解放されたと同時に,このことは,わたし自身にとっては幸いなことに,「さまざまな視点」から日本人のことについて向きあうことのできる「大きなチャンス」でもあります。 多くの日本人は,「世間」だとか「空気」などといった「しがらみ」から解放され,「ありのままの自分」でいることを理想としていることでしょう。 しかしながら,「空気」や「世間」といった,現代日本的な<社会のあり方>の影響などにより,多くの日本人が「つくった自分自身」をまとい,そして,「仮面をかぶりながら活きている」のが「現状」でしょう。 自分自身でもなんでもない,「得体の知れないもの」を「演じる」ことが,現代日本社会における「病巣的存在」なのかもしれません。
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そうですね。 とくに日本は。 ぼくはかなり自由人ですが、世間をまったく気にしない域まで達していません。 人って、群れる習性があるから、ある種まわりを気にするという心理は 必然かもしれません。 それを自覚しつつ、嫌われることを恐れない精神力を養っていきたいですね。^^
- hekiyu
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”「世間」や「空気」とは,これからの日本社会にとって, 社会を形成するうえで必要な要素になりうるのでしょうか?” ↑ ハイ、必要な要素であったし、これからも必要だと思います。 欧米のキリスト教文化圏では、個人は神と直接対峙し、 神と約束します。 神との約束さえ守っていれば、他人にどう思われようと 関係ありません。 欧米には、このようにキリスト教という道徳、倫理の 軸があります。 だから、個人主義でもよいのです。 世間や空気などきにしなくても社会が保てるのです。 しかし、日本にはそんな神様はいません。 神様の代わりにあるのが、世間なのです。 日本から、この世間を取り去ったら、それは道徳、倫理の 軸が無い純粋な個人主義の社会にになってしまいます。 つまり、自己中です。 ”「世間」や「空気」を<強調>することで,ある種の「魔女裁判的」な社会を つくることや,異質な他者にたいする「社会的排除」の傾向にもつながりかねません。” ↑ これを実際にやったのは、一神教である欧米の キリスト教文化圏です。 日本にもありますが、欧米ほどひどくはありませんでした。 ”多くの日本人は,「世間」だとか「空気」などといった「しがらみ」から解放され, 「ありのままの自分」でいることを理想としていることでしょう。” ↑ 欧米人も神などから解放され、ありのままの自分でいる ことを理想としているのでしょうか。 ”「空気」や「世間」といった,現代日本的な<社会のあり方>の影響などにより, 多くの日本人が「つくった自分自身」をまとい,そして,「仮面をかぶりながら活きている」 のが「現状」でしょう。” ↑ 欧米人も、神といった架空の存在の影響により、 勝手に造った自分自身を身にまとい、仮面をかぶり ながら生きているのですよ。
お礼
コメントありがとうございます。 「嫌われる」ということを,あなたは指摘されましたが,良い指摘だとおもいます。 何が,どのようなことが「嫌われる」原因になるのでしょうか? 「嫌われない」ために,無理に,他人と歩調を合わせる必要があるのでしょうか? あなたは,「自由人」であることを指摘されましたが,「自由人」であることを貫くことで,何かしらの「可能性」をみいだすことができると思います。これからの日本社会における,新しい「人生のあり方」に,一石を投じることができるのではと,わたしは思います。 「嫌われる」ということは,「嫌う人間」の側の問題でしょう。「嫌われる側」に問題があると,日本人はよく指摘しますし,日本社会では,そのことばかりが指摘されますが,「嫌う側」の問題についても,向きあうべきです。