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かってはライバル(2強)と呼ばれた名勝負の思い出は

そんなライバルの名勝負名場面を懐かしい思い出、エピソードと合わせて、お教え願えませんでしょうか? ex、 ◇VHS対ベーター ◇ス-パードライVS一番搾り ◇液晶VSプラズマ ◇信玄VS謙信 ◇大鵬VS柏戸

みんなの回答

  • Carbadoc
  • ベストアンサー率19% (144/750)
回答No.8

なんだろう。宜保愛子さんと大槻教授? どっちも、そう悪い人じゃなかったなあ。と。そんな印象がありました。 パソコン関連でいうと、NEC PC9801 vs EPSON互換機 でしょうか。 わずかな速度の向上で新機種発表。だったらこっちも、もうちょっと速度上げて新機種発表。とか。 僕は、フォントの形が良くてEPSONのほうが好きでした。僕的にはEPSONの勝ち、ですか。 パソコンでもひとつ、MSXで。SONYのHitBit vs 松下のFS-A1シリーズ。 松下さんのほうがしっかりしていて、モノは良かった。ただ、SONYさんのは、箱にでっかくガルフォースのラビィさんが描いてあってな。甲乙つけがたいものが。 結局、両方買ったのですが……いゃぁ、まあ、先に買ったSONYさんのほうが、例によって例のごとく早々と壊れてくれて、それで次は丈夫そうな(そして実際に丈夫だった)松下さんのにしたのですが。 Pasueスイッチとか、スピードコントローラとか、双方、妙な機能がちょこちょこついていて面白かったです。

lions-123
質問者

お礼

詳細な解説とご考察をお教え願い、誠にありがとうございます。 大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。 >宜保愛子さんと大槻教授? パソコン関連でいうと、NEC PC9801 vs EPSON互換機  パソコンでもひとつ、MSXで。SONYのHitBit vs 松下のFS-A1シリーズ そうですね・・・甲乙つけがたいとか、両雄並び立たず、岐路にたって逡巡⇒悩み⇒ジャッジメントその繰り返しが人生なのかも・・・

noname#180427
noname#180427
回答No.7

こんにちは。 面白い質問ですね。 私が浮かぶのは将棋の木村名人と髭の升田さん! この二人が面白くて・・・ 升田「名人などゴミみたいなものだ・・・」 木村「では、君は何だ!?」 升田「ゴミにたかる蝿だ・・・」 面白いですね(笑) 碁ではカミソリ坂田と秀行さん・・・。 秀行さんと言う人は盤外がとても魅力的な人でしたね。 呑む、打つ、買う・・・ 酔って卑猥な言葉を叫びながら町内を歩いたそうです(笑) 大鵬VS柏戸を挙げておられるので、 私は栃錦VS若乃花を、若乃花が何時も泣きそうな顔をして・・・。 まだ沢山あるのでしょうが、このへんで!

lions-123
質問者

お礼

詳細な解説とご考察をお教え願い、誠にありがとうございます。 大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。 >将棋の木村名人と髭の升田さん! 碁ではカミソリ坂田と秀行さん・・・。 栃錦VS若乃花 ご紹介、エピソードをお教え願ってありがとうございます。

noname#204360
noname#204360
回答No.6

M・シューマッハとM・ハッキネンですね 2000年ベルギーGPでR・ゾンタを、インとアウトで挟んで同時にオーバーテイクしたシーンが 未だに忘れられません

lions-123
質問者

お礼

詳細な解説とご考察をお教え願い、誠にありがとうございます。 大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。 >M・シューマッハとM・ハッキネンですね 2000年ベルギーGPでR・ゾンタを、インとアウトで挟んで同時にオーバーテイクしたシーンが 未だに忘れられません お名前だけしか存じずレース内容もご紹介頂いたシーンも、記憶にはありませんが、ド素人の私から想像してもスピードとスリルとコーナリングのテクニック等の迫力と見応えは十分だったのでしょうね・・・

  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1825)
回答No.5

>かってはライバル(2強)と呼ばれた名勝負の思い出は ◇V9時代の 巨人VS阪神 ⇒結果的には巨人が9連覇を成し遂げましたが、阪神が優勝してもおかしくない年が2~3度あり、まさに伝統の一戦に相応しい好カード、特に村山VS長嶋・江夏VS王の対決は凄い迫力でした。 尚当時熱狂的巨人ファンであった私ですが、仮に史上最高のピッチャーを選ぶとしたら、個人的には断然江夏、恐らくあの当時はストレートとカーブしか無かったと記憶しておりますが、それでも当時最強の巨人打線ですら時には手も足も出なかったほど。 その後の阪神は会社の体質がそうさせたのか、生え抜きスターのトレードを繰り返し、長い低迷期に入ってしまいましたが・・。 ◇ミスターシービーVSシンボリルドルフ ⇒大学を卒業し社会人1年目の記念すべき年でした、ミスターシービーが19年振りの三冠を成し遂げたのは・・。 その翌年(私が勝手に思う)史上最強馬シンボリルドルフが三冠馬となり、長い間出現しなかった三冠馬が2年連続で現れたまさに歴史の皮肉、その後明暗のコントラストが鮮明な既述2頭ですが、世は史上初の三冠馬対決に盛り上がったものです。 最後の対決となったのが春の天皇賞、他馬には目もくれず先行策を取ったシービーが、最後の直線で一瞬ではありますがシンボリルドルフに並びかけたシーン(まさにほんの一瞬、後はズルズルと後退しました)は、シービーそして主戦ジョッキー吉永正人の意地を見た、当時シービーに対する思い入れはさほど無かったが、敗者の悲哀が胸に沁みた瞬間、今でも鮮明に記憶しております。

lions-123
質問者

お礼

詳細な解説とご考察をお教え願い、誠にありがとうございます。 大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。 懐かしき話題やシーンをお教え願い思い出し甦る感動・驚き・感涙です・・・ 私事ながら、江夏は印象深いです。 阪神へ入団前の高校生の頃から、そのスピードの速い投球は巷の評判を呼び、野球は天才だが、ワルさでもNO-1と私たちの部活動仲間(私は柔道部でしたが)でも怖れられる評判の怪童だった。 そして、江夏は噂に違わぬ野球でも私生活でも良くも悪くも型破りなスケールの大きな活躍&話題を提供し続けてくれました。

noname#183241
noname#183241
回答No.4

◇桑田投手VS清原選手です。 高校時代はPL学園で一年生から桑田投手はエース、清原選手は4番でした。 「運命のドラフト会議」でそれぞれの進む道が別れ、 元々のチームメイトがオールスターや日本シリーズでは敵味方としての再会になりました。 オールスターでは自分的には五分五分(様々な意見はあるでしょうが) 日本シリーズでも同じですが、清原選手が優勝が決まる目前で一塁の守備で泣きだしてしまった事が昨日の事のように思われます。それほどまでに、辛く悔しい気持ちがあったのだと、改めて思い知らされました。 後に清原選手も巨人入り、再びチームメートとなりました。 その後桑田投手が渡米、引退か否か悩んでいる時に、清原選手が 「お前の最後は俺が告げてやる」といったそうです。 そして両選手引退後、昨年末に清原選手が、息子さんにどうしても本物のHRを見せたい、と指名したのが桑田投手でした。 結果は(正規の勝負)は桑田投手が勝ったのですが、 「もう少しやるか?」 の桑田投手の一言で続行。 最終的には見事清原選手はHRを打ったのですが、清原選手曰く 「あそこしか打てない(HRにできない)コースに投げてくれた桑田はやっぱ凄い」 と言っています。 一時は大人や社会の為に、完全な敵になってしまった二人ですが、この二人こそ、自分は最高のライバルであり、最高の友だと思います。

lions-123
質問者

お礼

詳細な解説とご考察をお教え願い、誠にありがとうございます。 大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。 >桑田投手VS清原選手です。 高校時代はPL学園で一年生から桑田投手はエース、清原選手は4番でした。 「運命のドラフト会議」でそれぞれの進む道が別れ、 元々のチームメイトがオールスターや日本シリーズでは敵味方としての再会になりました。 オールスターでは自分的には五分五分(様々な意見はあるでしょうが) 日本シリーズでも同じですが、清原選手が優勝が決まる目前で一塁の守備で泣きだしてしまった事が昨日の事のように思われます。 そうですね、入団の経緯やその後に、江川の空白の1日にも酷似した巨人の横柄さ強引さを連想し、さらには投げる不動産屋とも呼ばれた桑田選手には、純粋な野球の面以外ですが、当時は余り良い印象を持っていなかったです。 三原監督・広岡監督・森監督はじめ、清原も含めて、因縁深い巨人には恨みやナニクソの怨念&闘志が漲利、打倒ジャイアンツの原動力にも成っていたように思います。 その後、色々な苦労と年月が随分と桑田選手と清原選手にもあり、好悪は別として最近の活躍には観方・評価を変えました。

  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.3

私は、プロレスのアントニオ猪木と、ボクシングのモハメッド・アリの試合ですね。 確か、格闘技世界一決定戦とかでした。 すごく注目して見ましたが、猪木は序盤からリングに寝転がって動き回り、アリのパンチの範囲には絶対に入ってこようとはしませんでした。 アリも寝転がっている猪木に対しては攻撃もできず、かえって猪木から足蹴りを受けることとなりましたが、結局は引き分けだったように思います。 内情的には猪木に不利な変なルール変更があって、猪木はそのために寝転がって攻撃せざるを得なかったらしいですが、見ている側としては大いに期待はずれでした。

lions-123
質問者

お礼

詳細な解説とご考察をお教え願い、誠にありがとうございます。 大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。 >私は、プロレスのアントニオ猪木と、ボクシングのモハメッド・アリの試合ですね。 確か、格闘技世界一決定戦とかでした。 確か、異種格闘技世界一決定戦とかの大仰な前宣伝と期待を集めての試合だったが、ご両人は真剣だったと思うが観ている方には物足りない睨み合い・じゃれ合い・守勢一方の気の抜けたサイダーのような試合でした。 <それだけ、実力者である相手の技や得意攻撃を受ければ、ダメージが大きく致命的となる本気&真剣勝負ゆえの展開だったのかも・・・>

回答No.2

こんばんは。 『野茂VS清原』 中々テレビ中継が無かったのですが、 プロ野球ニュースで対決を観て凄いな~と思いました。

lions-123
質問者

お礼

詳細な解説とご考察をお教え願い、誠にありがとうございます。 大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。 ライオンズのファンですが、1994年の※「野茂VS清原」の対決は印象に強く残っています。 近鉄はパーリーグのお荷物球団と言われていたパールズ時代や雄々しくとバッファローズと改名し変わっても長い低迷期があり、その万年Bクラスを抜け上位進出してきた勢いが有りましたね。 その原動力として、当時の近鉄には野茂さん、阿波野さん、吉井さん、佐野さんが居て、ライオンズ応援サイドから観ても手ごわかったですね。 ※伝説の「野茂VS清原の対決」 http://news.livedoor.com/article/detail/7132614/

回答No.1

こんにちは^^ 2006年(第88回大会)、夏の甲子園決勝(再試合も含む) 早稲田実業(斎藤佑樹)VS駒大苫小牧(田中将大)の手に汗握る投手戦ですね。 2試合共、テレビに噛り付いて見てました。 両校優勝にしてもいいぐらいの両校の死闘でしたね。 勝敗が決した時は、涙が止め処なく溢れてきました。 あと、今日TVで「決定版! 昭和の大横綱 大鵬のすべて」を見ました。 優勝回数だけなら、大鵬さん32回、柏戸さん5回なのに、何故「柏鵬時代」と思いましたが、 今日、その理由が分かりました。 「柏戸がいて、大鵬がある」 この大鵬さんの言葉がすべてですね! 「ライバルがいて、いいものが出来上がる」 お互い競い合って、磨き合ってこそ名勝負が生まれるのだと思いました。

lions-123
質問者

お礼

詳細な解説とご考察をお教え願い、誠にありがとうございます。 大変、参考に成り、心より感謝とお礼を申し上げます。 >2006年(第88回大会)、夏の甲子園決勝(再試合も含む) 早稲田実業(斎藤佑樹)VS駒大苫小牧(田中将大)の手に汗握る投手戦ですね。 そうですね・・・、「人間万事塞翁が馬」とも先人は訓えていますが、甲子園での勝敗、プロ野球への入団の経緯、プロでの活躍、私生活でのスキャンダルも含め、両雄の歩む道や評価は変化し異なるが、これからも良い意味でプロ野球における高いレベルでのライバルであってほしい<ハンカチ王子の奮起を願う>と思います。

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