- 締切済み
パニック障害の分類について
厚生労働省のHP http://www.mhlw.go.jp/kokoro/speciality/detail_panic.html によりますと、まず、 「パニック障害」も「不安障害」も、近年よく用いられるようになった病名ですが、正確にいうと、両者は並列関係にあるものではなく、下図のように、「パニック障害」は「不安障害」の下位分類のひとつです。 とあって、そのあとに図で示されたあと、 ここに示した分類は、米国精神医学会のDSM-IV-TRによっています。もうひとつの臨床でよく使われる分類基準であるWHOのICD-10では、パニック障害と恐怖症の関係がやや異なることと、一般身体疾患や物質によるものは不安障害からのぞかれている点が異なっていますが、他はほぼ共通しています。 とあります。 この説明の中の、“もうひとつの臨床でよく使われる分類基準であるWHOのICD-10では、パニック障害と恐怖症の関係がやや異なること”についての説明がよく分かりません。 さらに、“ほぼ共通しています。”の部分の“ほぼ”は、言葉のアヤで特に意味はないのでしょうか?それとも、“ほぼ”に何か意味があるのでしょうか? 以上の2点について、どうか御教授よろしくお願いします。
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
みんなの回答
- tumaritouonuma
- ベストアンサー率35% (5/14)
不安と言うものが、何処から襲っているのかと、その人本人が持っている性格によって『同じ不安』でも、本人の受け取り方が違うように見えてしまう事が問題を分かり難くしています。 始めに人間の心に『不安』が湧き上るメカニズムを解説して置きます。 人間に命があるから『不安が押し寄せています。』ロボットには感情や考えが存在しない理由です。 人間は生まれた瞬間から『生命維持をする機能』が働いています。命の働きと言う意味です。 命の働きには大まかに分けるなら三つに分けることが出来ますが、飽くまでも大まかと言う意味は、重なって同時にとか単独で働くとかの違いがあると追う意味です。 (1)ー心臓や呼吸の仕方や腸での栄養の吸収の仕方を質問をする赤ん坊がいないことは誰でも知っている事実です。神経系統でも同じです。この働きをしている者が『命の働き』です。 (2)ー心に湧き上る感情や考えに疑問を差し挟む赤ん坊はいません。恐い事や安心する事や、恐怖する事は『生まれる前から熟知して』生まれています。この『沸き上がらせている機能が』=『命の働き』です。 (3)ー手や足や身体でも、如何動かすのか?と質問をする赤ん坊はいません、生まれる前から熟知して生まれてきたからです。身体の自在性は既に備わって生まれています。この自在性を働かせている機能が『命の働き』です。 こう云った『命を働かせている者』と赤ん坊の自我が一体になって働く様を『天国』と聖書には書いてあります。 見ている自分の心が一つの者として働いているからです。 成人の脳の機能が簡単に書いてある文献です。ウイキペデアらです。 『”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』 この中の右脳の人格が『命そのものを働かせている人格です。』 この者は、全ての生きとし生けるものが備えている働きです。桜ならその咲く時期でも、花の色でも匂いまでも知り尽くして働き始める働きを言います。 クモでもその種によってのクモの性質からクモの巣の作り方も含めて全て知り尽くして働き始める働きです。牛なら牛として、馬なら馬としてです。 人間にも当然備わっている『命の働き』です。仏教では仏性、キリスト教では『神』としている存在です。 脳卒中のために自分の内部から、左右の脳の機能を、実際に自分の体験を通じて確認出来た脳科学者が、語っている動画を紹介しますので、検索して見てください。ジル.ボルト.テーラー『脳卒中を語る』と言う文字で検索して下さい。 この中で語られている体験は禅で言う『見性体験』の近いものと思われます。或いはキリスト教で語られている『神との和解の最中』の体験と言う意味です。 感情や、考えを『湧き上がらせている者』が右脳の人格です。右脳には言葉が存在しません、従って脳梁伝えられる『右脳からの情報』を、自我意識という『心』がその情報をどう『読み解くのか?』で変わってきます。 その読み解き方が個性の違いになって現れています。 元は同じ情報としての『小さな不安』としても、命の働きの内の(1)と仲違いする場合では、心臓ならしんぞぷ神経症としてのパニック障害を意味しますし、腸などでは過敏性腸症候群となるし、神経系統なら、自律神経失調症となります。 元は同じ情報としての『小さな不安』としても、命の働きの内の(2)と仲違いする場合では、心に湧き上る感情を主に『症状』とする疾患、感情障害になります。湧き上る考えを主に主張する場合では、強迫観念や、誰かに見られているとしたり、誰かに聞かれているつまり自分が監視されていると言う主張になっていたり、自分の考えがまとまらなくなっている事、『心を病む』と言う現象になります。 元は同じ情報としての『小さな不安』としても、命の働きの内の(3)と仲違いする場合では、自分の行動の自在性が無くなる場合があります。人に会う事が出来なくなる現象を対人恐怖症と呼んでいます、その他にも字を書く事が出来なくなる場合、話が出来なくなる場合などがあります。 (1)も(2)も(3)も違うように見えますが、原因の元は同じです。自分の心の矛盾を悩んでいる事を意味します、その証拠が『生き難い想いや漠然とした不安や』等は共通しています。 自分自身の命の源と仲違いしている事が『生き難さ』となっています。『意識している事自体が苦しくて辛い』=『一切皆苦』と釈迦は表現しています。 医学的な脳や身体の検査では、健常者と同じです。唯一つの違いが『意識する事』です。無意識の自分=右脳の自分の力を借りたり、無意識の自分に成れなかったりしている事を意味しています。