現在の日本で、「鯨は文化」は、まやかしではないか?
先日、地元のNHKで、瀬戸内の小学生が船を漕いで、港近くの小島まで行く。という内容の番組を放送していました。
これを企画したのは小学校の校長先生で、現在では「村上水軍の子孫が船にも乗れない。」と事実を嘆いてのことだったようです・・・。
現代の日本は、便利な世の中になり伝統の継承が難しく、文化の衰退も激しいのではないでしょうか?
その点を考えれば、鯨漁も同じだと思います。
映画、「THE COVE」の舞台になった和歌山県太地町の鯨漁でもエンジンのついた現代の船で漁に出て、鯨を追い込み、仕留めた鯨にはワイヤーをかけ、ウィンチで引き上げます。
これは完全に伝統漁ではありません。
伝統漁をしていた昔は、手漕ぎの船で漁に出て、仕留めた鯨は、人力で船に引き上げてたはずです。
「このような機械化された漁を日本古来からの伝統文化と呼ぶことはできません。」
なぜ、日本人は鯨を食べる時だけ「文化」を主張するのでしょうか?
その理由は「鯨は美味しいから?」、「「食べる事自体は楽だから?」、「伝統漁は肉体的にキツイからなくなってもいい!?」なのでしょうか?
本来なら、昔ながらの船で漁に出て、人力で鯨を捕獲し、解体し、料理して食べる。
この流れを通して、初めて「鯨は文化」だと主張できるはずです。
昔は確かに鯨漁と鯨料理は「文化」だったと言えたでしょう。
しかし、現代の日本で鯨を「文化」だと主張することは出来るのでしょうか?