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友達とはどのような人物なのか?
- 友達とはどのような人物なのか?わたしは、先生のような存在から過去のことを聞くことで歴史の研究をしています。
- 「友達」という人間関係は、信用や頼れる関係が重要な要素です。師弟関係や仕事の人間関係においても同様です。
- 「友達」とはどのように定義づけられるものなのか?あるいは、どのような人間関係をもって「友達」と言えるのでしょうか?
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私の思う友達の定義というか、基準は、自分から見た、心の距離感ですかね。近ければ近いほど親しみが強く「友達」という存在になります。その距離感って目に見えるものではないし、すごく主観的で、感覚的なものです。でも、感情とか親しみってそんなもんだと思ってます(理屈じゃなくて、感覚で捉える物)。ただ、主観的ではあっても、自分が友達だと思っている相手は、自分の事も友達だと思っていてくれる気がします。親密度って、どちらか一方だけが感じ取ってるものじゃなくて、お互いに感じているものだと思うので。 さらに、この定義だと、それはひどく曖昧なものでもあります。例えば「友達」と「知り合い」のボーダーラインは明確ではありません。そのグレーゾーンに位置する人もいます。ただ、そのボーダーラインをはっきりさせる必要性を感じた事がないんですよね。あなたは友達で、あなたは知り合いで…って仕分けすることはないし、それで支障が出た事もありません。 まあ、これをきちんと理屈で説明しようと思えば出来るかもしれません。日頃の交流の中で生まれる信頼度だとか、関わる(もしくは過去に関わった)頻度だとか、気安く関われるかどうかだとか、そういうものから距離が決定していくのかと思います。ただ、それは自分にとって、後付けの分析でしかないような気がします。
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- answerhelp
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私は相手に敬意を持つことが一番大事です。 共通点があったり、話して楽しくて、話しかけやすい雰囲気があっても、「自分をどこか見下してるな」「この人陰口多いから多分自分も言われてるだろうな」「他の人の分析が厳しいから自分のこともシビアに見てるだろうな」「友達って次元じゃないな」的な発言があれば切ります。(意思表示するときもありますが、大抵言っても伝わらないので、理由をつけて離れる・・)
お礼
回答ありがとうございます。 「親しき仲にも礼儀あり」という言葉がありますが,そのとおりだと思います。
- hohoho1234
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お互いに友達だと思っていれば、どんなに疎遠であっても仲悪くてもその人たちは友達ですよ。 その定義は個人個人、生きていく中で形成されるものであり1人1人違います。 むしろ、こうだって言う定義は必要ありません。 それを踏まえて私の中の定義は、自分が友達だと思ったら友達。 そこに論理的な答えは無く、そう思ったら友達です。 相手のことなんて全て分からないんですから、自分が思うくらいは好きにして良いと思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 「自分が友達だと思ったら友達」 そのようにコメントしてくださると,すこし,気が楽になったような気分になります。
辞書を引いてみました。 親友、心友、悪友、戦友、畏友、益友、良友、学友、級友、校友、会友、知友…… 色々ありますね。人の感じ方・考え方は様々でも、色んな関係の人を友と呼べるのかもしれません。 割と大切かなと思うものを挙げます。 ・障害があったり仲が悪くなったりしても修復できるような繋がりの強さ ・過去の親しくした思い出の大きさ ・これからも親しくしたいという気持ちの大きさ ・上下関係を感じない対等と感じる部分の大きさ ・個人的な意思・趣味等、公益・共益より私益から生じる繋がりの強さ 一言でなら、再現性、思い出、親しさ、対等、私益でしょうか。 僕の場合はいつでも互いに裏切りあうような可能性は考えてました。裏切りと思うような事はありませんでしたが。毎日のように顔を合わせつつも少しは距離感があった方が心地よかったかもしれません。 大きく変わりたい、制限されたくない、と思うなら、周囲とは浅い関係がいいのかなと思い始めてます。
お礼
回答ありがとうございます。 あなた自身の「事情」にあわせて,それなりの人間関係を構築する。 そのような「あり方」も,良いとおもいました。
ぼくが思う 友だち=親友とは・・・。 本音で話せる。(言い合う時は、言い合う) 一切の隠し事はない。(恋とか、デリケートなことも相談できる) 相手が犯罪者になっても、自分だけは味方。 です。 ぼくは「友だち」をもったことはないみたいです。(笑) みんな「知人」っていう感覚ですね。 一生にひとりできれば、いいですね。
お礼
回答ありがとうございます。 「おひとりさま」の人生,そのようなオプションもありだと思います。(わたし自身,そのような方向に進んでいるような気がします。) ただ,「おひとりさま」であることは,何かと「リスク」のある人生であると,そのように主張する人々が多くいますけど,それなりの「戦略」があれば,十分に楽しむことができると思います。
- qwe2010
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お互いが時々求め合い、なにもしないでも合っているだけで、話をしているだけで心が安らぐ人です。
お礼
回答ありがとうございます。 「話をしているだけで心が安らぐ人」 そういう人に出会ってみたいな,と思いました。
- troml
- ベストアンサー率17% (561/3166)
友達は、自分自身が「好き」だと思う人であり、ずっと親しく付き合っていきたいと思っている人ですね。 信用できるかどうかとか、頼れるかどうかとか、自分にとって都合のいい相手を友達と呼んでいる人が少なくありませんが、期待して、期待を裏切られたら悪口を言って、もう友達じゃないとか、そんな考え方じゃ、結局は誰もいないってことになっちゃいますよね。 友達は、自分のためにいろいろ都合よくやってくれる人を言うんじゃなくて、その人のためなら自分が何でもしてあげたいと思う人のことだと私は思います。
お礼
回答ありがとうございます。 「その人のためなら自分が何でもしてあげたいと思う人」 この点は,素晴らしいと思います。そのような人間関係の「大切さ」が,最近の日本社会のなかでは,さけばれるようになったと思います。
- sayone1966
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素晴らしい橋渡しをされてらっしゃる御様子。可愛がられることは尚ステキなことです♪ 友達という定義は良くわかりません。辞書に任せることにします。 ■仲間>ともだち 「よい仲間をもっていなさい」 という著名な小林正観さんの言葉は大好きです。 お仲間があるだけで、人生の幅が広がります。それは例えば(たとえが悪い様ですが)慶事より弔事で 弔いに行く方の多さで“交友関係”が図られると思われるのです。 年齢と性別、学歴や職歴などに関係なくお互いを尊重しあえる中であって、 陰口・悪口・ひがみ・ねたみ・嫉みを言わずに建設的な話しが出来るのを“仲間”と呼び (普段から飯を一緒に食べるワケでもないが)お祝い事は素直に祝福し、 悲しいことは一緒に居て差し上げられるような関係をワタシ個人は“仲間”と呼びます。 旅をするのも何(食事など)をするのも、誰と行くか?に因ると思うのです。 その誰に選ばれる要素をもった人間で在りたい・・・そう思っています。応えになっていなくてスミマセン(笑)歴史の研究がますます進み、喜ばれますよう陰ながら応援しております♪ ~ あなたに全ての理解を超える程の平穏が訪れ、あらゆる良き事が雪崩の如く起きます ~
お礼
回答ありがとうございます。 「頼れる人」 「頼ることのできる人」 これらはほんとうに大切だと思います。 そして,あなたが指摘した,「仲間」という概念についても,ほんとうに理解のできるものですし,共感もできます。 ひとりでも多くの「仲間」を持つこと,それは,すべての人々にとって,「やらねばならないこと」であると,そのように思います。
お礼
回答ありがとうございます。 「自分から見た、心の距離感」 わかりやすい考え方だと思います。 また, 「ボーダーラインをはっきりさせる必要性」 この点についても,共感できるものがあります。あまり,「線引き」にこだわらないことも,人間関係における「あり方」のひとつであると,思います。 「日頃の交流の中で生まれる信頼度」 これも,大切であると思います。人間関係を構築するためには,「日頃の交流」が,その重要な要素のひとつになるからです。