※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:主人が私に他の男性に抱かれている所を見たいと)
主人が私に他の男性に抱かれている所を見たいと
このQ&Aのポイント
夫婦関係において、主人が他の男性に私が愛撫を受け感じている所を見たがっています。
私は過去に複数の男性との関係を持ち、それについて反省し、健全なお付き合いをすることを誓っていました。
しかし、主人が友人と共に私を無理やり愛撫する状況になり、私はその行為に心を荒んでしまいました。私は本当に愛されているのでしょうか?
いくつか同じような質問はあったのですが、どうしても意見を聞きたいので質問します。
主人は付き合っているころから私に他の男性に私が愛撫を受け感じている所を見たいと
言っていました。本当に愛していて、信頼関係があるからこそ見て見たいと言うのです。
私は主人と出会う前、初めてセックスをした彼氏が今ひとつ満足できず、もっと他の男性
とセックスを試してみたくなり、別れました。ですが、色々とあったので、結局その彼をキープ
した状態(私は他の人とも付き合ってみたいということは伝えてありました)で複数の男性と関係を持つということを数年繰り返しました。(複数プレイではありません)
しかし、結局キープしている彼がいることで、罪悪感もあり、自分が狂ってしまうようなセックスは
経験できませんでした。その後キープしていた彼と寄りを戻し、婚約までしましたがその彼は
私の複数の男性関係を結局許せていなかったらしく、破局しました。
婚約解消劇が壮絶で、私は完全に精神的にやられてしまうほどでした。
ですが、そのおかげで今まで自分のしてきたこと(過去の男性関係を罪だと考えていた)を心から
反省し、自分は複数の男性に抱かれたい願望がある人間だと思っていたので、それを封印して
健全なお付き合いができるようにしようと心に誓っていました。
そんな時今の主人と出会いました。
簡単にセックスはしないと決めていたのに、出会ったその日に彼といることがあまりに楽しく
惹かれてしまった私は、結局ホテルで2時間愛撫を受け続けた後、体を許してしまいました。
前置きが長くなりましたが、はじめて情熱的なセックスを体験し、逝くとか逝かないかではなく
心満たされるセックスを経験できましたし、常にセックスについて話をしてくる彼とは恥ずかしい
ことではなくオープンに楽しむことができました。
そんなある日、質問の題にした「他の男性に舐められて感じているところを見たい」と打ち明け
られました。私になら受け入れてもらえるのではないかと考えたようです。
私は付き合っている状態でそれを受け入れると、遊びの女というレッテルをはられるのではないか
という不安と、そもそも憑き物が取れたかのように主人にしか興味が湧かなくなっていたので、
「結婚したらいいよ」とかわしてきました。
実際結婚してから、自分の友人たちに「うちの嫁はこんなで、すごいんだ」という夫婦のセックスの
具体的な話を言いふらすようになりました。「うちの嫁をいやらしい目で見てくれ」と冗談半分で
話していますが、中には食いついてくる男性もいます。
私はやはり他の男性に体を許す気になれず、どうしても他の男性にというなら
「身近な人は嫌だ(どこで話が漏れるかわかりませんし、身近な男性に軽い女だと思われたくないという強い思いがあります。)」
「セックスだけを楽しむという気になれないので、できればマッサージができる人」
「独身であること(嫁に悲しい思いはしてほしくない)」
を条件に挙げました。
すると、掲示板などで探したようですが、主人は主人で、自分が信用できるやつでないと嫌だと
か、掲示板の単独男性はがっついたやつばかりで見つからないと言いだしました。
結局いつも仲良くしている夫婦の嫁が外泊している時に、三人で飲むことになり、そのまま友人は
内に泊まることになり、私がお風呂に入っている時にその友人が無理やり乱入してきて、
そのあと主人に羽交い絞めにされ二人から愛撫されるという状況になりました。
主人の作ったルールで挿入はなしということだったので、友人に挿入されることはありませんでした。
その後、その奥さんの方と接する機会が増え、以前以上に親密になりました。
私は常に罪悪感に苛まれ、二度とその友人とは同じことをしたくないと思っていました。
主人にも嫁と友達なんだから、もう嫌だということは伝えましたし、その後1年間何もなく過ぎたので
すこし警戒心も薄れていました。
そんなとき、また同じ状況になりました。また同じ夫婦の嫁が外泊することになり、3人で飲みに行くことになりました。手は絶対出さないという約束で自宅で飲みなおすことになりました。
また同じ状況になりました。興奮する主人のためと思い、行為の最中はあれこれ考えるのをやめ
あきらめて身をゆだねましたが、心は荒んでいくようでした。
翌日主人が早朝の仕事だったので、先に出勤しその友人と二人になりました。
その途端後ろから抱きついてきて、また私をまさぐりはじめたのです。
ひどく心が荒んで「そりゃそうなるよね。」って思いながら抵抗していました。
友人は挿入を許されていないので、主人がいない間に入れてやろうと思っていたようです。
「先っぽだけでいいから入れさせて!」「いやだ」という中学生のようなやりとりを繰り返し、
友人がでかける時間まで私はなんとか拒否し続けました。
なぜ私が必死で拒否しないといけない状況にあるの?
主人は自分がいない間に抱かれてもいいと思っていたの?
そもそもこんな雑な扱いで私は本当に愛されているの?
という思いが膨らみ、とても悲しい気持ちになりました。
テンションの低い態度を察知したからかも知れませんが、帰宅してからの主人は1度目の時ほど私に愛のある言葉をかけることもなく、「俺が清めてあげるからな」と言いながらセックスをしてきました。
前日のこと、翌朝のことは一切聞いてきません。
私は色々な思いに押しつぶされそうになり、今情緒不安定です。
深く考える必要はないのかも知れません。
でも、自分が好きでもなく、嫁がいて、私を本気で好きでもない男性に身をゆだねることにとても
抵抗を感じます。
私が元気がないので、喧嘩した時同様主人はわたしを「そっと」しています。
今日思い切って聞いてみました。
「あの朝、私は友達に挿れられてもいいと思って出かけたの?」と。
すると、「そういうわけじゃないよ。あいつはそんなことようせんと思ったから」
と言いました。
私の知ってる男性という生き物は、前日あそこまで体を許しているのだから、ちょっと頼めば
させてくれるかも。と思うのが当たり前だと思っています。
それをさせないように主人がしっかり言って聞かせるか、その状況を作り出さないのが
せめてもの思いやりであり、私を差し出した後のケアではないかと思うのです。
それを、自分で一生懸命断らなければならなかった事実がみじめでなりません。
最終的には「あいつがルールをちゃんと理解していなかったんやな。触ってきたんか?あいつには
注意しとくわ」とか「じゃあ、自分で相手探してな、俺の選んだ相手じゃあかんのやから」との返答。
自分が悪かったとか、嫌な思いさせてごめんとかいう言葉は出てきませんでした。
挙句の果てに自分で探せって。。。
売り言葉に買い言葉といったレベルの話ですか?
主人に出会う前の満たされない自分に戻り、自分が無性にみじめになり、自分を傷つけたい衝動
に駆られました。
しばらく主人の前でうずくまり、悲しみを表現しましたが、声すらかけてもらえず、とりあえず家を出ました。
主人は私が機嫌が悪かったりすると絶対に声をかけてこないような不器用な人です。
感受性の強い私の感覚はほとんど分かってもらえません。
ですが、上記の主人の性癖に対する一連の行動。
私は本当にちゃんと愛されていますか?
問題が発生していない時は愛を感じます。でも、こと喧嘩をしたり、私が少しでも機嫌を損ねると私はいなかのように行動します。全く私を見てくれません。
愛していてもうまく表現できず取ってしまうことのある態度でしょうか?
男性の方の意見を聞きたいです。
長々とすみませんでした。
よろしくお願いします。
お礼
主人の性癖を理解した上で私に愛情があるのかどうか、客観的に知りたかったので、とてもありがたい回答でした。日常的にはとても愛情を感じます。でも喧嘩したり、このような場面に直面すると、日常の愛情を疑いたくなってしまいます。私は私で、主人をとても大切に思い、愛しているので、異常だと分かりながら合わせようとしすぎていたところがありました。 ここに寄せられた回答を見て愕然としながらも、やはり話し合いが必要だと思い、主人に自分の気持ちをぶつけました。 初めはバツが悪そうにしていましたが、自分に非があったことを認め、二度としないと言ってくれました。そこまで嫌がっていることを知らなかった、ごめん。ということです。 私が泣いている間、本当にごめんと抱きしめてくれていました。 二度としないという言葉に安心する反面、自分の性癖を押し殺し、他に発散されるのではないかという不安があります。もし他へいくのであれば、それはそれでそこまでの愛情だと思います。離婚しかないと。でも、せっかく好き合って結婚し、日常はとても幸せに暮らしているので、これを壊したくないという思いがあります。どうしても性癖がおさえられなくなってきたら、その時はとりあえず相談してほしい。とは伝えましたが、shunchinさんの「他の方法」がとても気になってしまう次第です。 是非教えてください。 最後のアドバイスについてですが、その通りだと思います。主人はセキュリティ面を優先した結果身近な相手を選出したのだと思います。相手の男性にもお灸を据えたようで、反省しているとのことです。 同じ立場の人からの御意見がいただけ少し救われました。ありがとうございました。