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いじめっ子と攻撃型行為障害
いじめっ子には「攻撃型行為障害」…他人の苦しみを見ると喜びを感じる脳を持った人が多い様ですね。 いじめられっ子に多いアスペルガー症候群など、コミュニケーション能力の欠如や協調運動の障害は「発達障害」に含まれているのに、 「攻撃型行為障害」のいじめっ子は、タイプは違えども(社会に及ぼす有害度から見ればこちらの方が重篤!?)コミュニケーション能力に問題があって スポーツ好きでも「下手の横好き」な運動音痴な人が目立ちます。 学校の体育の授業などで、課題が達成できずに居残りさせられているのは、 いじめられっ子・いじめっ子双方によく見受けられた記憶があります。 何故、程度の酷いいじめをする様なタイプの人は「行為障害」とは呼ばれても「発達障害」とは呼ばれないのでしょうか!? どちらも脳の障害なのに不公平に思えますが…
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- sakudrada31
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不公平に思える原理は恐らく、 虐めの加害者側は被害者ではないからこそ、集団生活の悩みが発生しくいからで、 悩みが無ければ障害者診断の機関に行く理由も必要性も無いから、いじめ者は障害的な問題にされにくい。 発達障害の定義が当人に及ぼす心理的ダメージは強いものらしい。 なぜなら、社会に適応しようと散々努力した後になってから、「大人の発達障害」として判明する事がしばしばであるから。 例えば当人が虐めに耐えながらも、良いトコロの大学まで行ってたりして親に相当の投資をさせてる場合、親の期待に答えられない事への虚しさを受け入れなければいけない。 当人が人並み以上の夢を持っていたら、夢見た明るい世界観を諦め、人生に妥協しなければならなくなるかもしれない。 人よりも多く頑張って来た為に、妥協を受け入れるのは尋常でない程の労力が必要になる。 という感じで、発達障害認定と虐め被害経験が、人生でもれなくセットでついてくる確率の高さを、 ”いじめの加害者の人生”と比較した場合に、 「不公平、不平等」に見えてしまうという事だろうか? そうであれば不公平と言わざる負えないですね。
- Xiong Qing Ying(@xiongqin)
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私は子供が大好きですが、日本ではやたらに子供達に声を掛けられないのが、非常に残念と思っています。 > 他人の苦しみを見ると喜びを感じる脳を持った人が多い様ですね。 これは、現在の報道者の全てが、当て嵌まるように思えてなりません。 子供達だけの問題ではなく、日本全体の社会性のような気がします。 > 「攻撃型行為障害」、アスペルガー症候群、「発達障害」、 これらは昔無かった表現です。発達障害は有ったかな。 脳の障害ではなく、育成の問題ではないですか? 脳の問題で済ませるのであれば、これらを解決する方法は、全く無いといえるのではないでしょうか。 孤立社会の産物と思われ、大人の孤立化が進んで子供に伝播していると考えます。 国家政策に、子供の育成について取り入れた方が良いと思います。