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信じるってなんですか?
- 僕は本気で信じていた人に裏切られました。信じるって、一体なんなのでしょうか?僕は人との付き合い方がおかしいのでしょうか。
- 実は不倫していた事実が発覚した上司に対して、僕はひどく落胆しました。自分がこんな人間を信じていたことに愚かさを感じ、人間が信じられなくなりました。
- 人間不信から立ち直るためには、どうすべきなのでしょうか?他人との付き合い方がおかしいのか、自分を守るために距離を置くべきなのか悩んでいます。
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質問者が選んだベストアンサー
質問文を読んで思ったのは 質問主さんはどうやら信用にした他人が 頭のてっぺんからつま先まで「信用に値する人間」でないと許せないんだなと言うと事です。 気持ちはわかります。 仲いい友達や尊敬していた人間が不倫とか浮気とか人としてどうよ?っていう事をしてたら確かにガッカリします。 「う~わ~マジかよ~正直印象悪いわ~」って思って当たり前です。 しかしそこで「そんな人間を信用していた自分を卑下」したり 「他の人も同様に信用できなくなるとまで言われると正直「?」となります。 多分そう感じてしまうのは 質問主さんが「ただでさえ人間嫌い」という理由の中にあるんだと思います。 それを説明しなくても構いません。 以下は質問にたいする回答になります。 >人を信じるって、一体なんなのでしょうか? 個人的には「自分がよくも悪くも『甘えられる、頼れる、期待出来る』気持ちになれるって事だと思います。 例えば仕事に一つ任せるにしても、普段仕事できない人には任せません。 しかし仕事が出来る人に任せると「ほっ」とします。 この人なら大丈夫だ、と 普段仕事できなくても、自分の直感を頼りに「期待をこめて頼る」事もあります。 そしてその結果相手が理想通りの仕事をしてくれると「やっぱりこの人に頼ってよかった」という良い気持ちに慣れます。 私はこれが「信頼する」時の気持ちだと思うのです。 なので信頼関係も 「相手に同じ気持ちを味わってもらっている」という部分があるんだろうなと感じています。 >僕は人との付き合い方がおかしいのでしょうか しいていうなら「他人への依存度(理想?)が高い」のかなと思います。 おかしいっていうほどおかしいとも思いませんが 涙が出るぐらいショックってのは ちょっとびっくりします。 人間って本当いろんな人がいるので 「基本はクソ野郎だけど良いところもある」とか 「良い人だけど恋愛面での考え方はクズだ」って事もあるので 浮気相手でもない質問主さんが上司の不貞こういにそれだけ傷つくのは 「こうなりたい理想像」の人が自分の理解できない不貞行為をしている事で 自分のよりどころがなくなった気分になるのかな・・・と感じました。 悪いとは言いませんが、疲れそうな人付き合いですねって思います。 >こんな辛い思いをするのであれば、もっと表面的な付き合いにとどめるべきでしょうか? 失礼な言い方になりますが、 質問主さんそんな器用な人付き合いできるのでしょうか? ぶっちゃけ他人に一切期待しないってとっても楽です。 周囲みんな馬鹿だクソ野郎だと隔ててしまう事で 相手に対して募らせた思いを否定されずに済むので しかし人を信頼して良い気持ちになった経験があると なかなか「他人を一切否定する」のが難しくなります。 人を信ずる事がなんなのかは私もわかりません しかし質問主さんは人を信じたい人なんじゃないの?と文章を読んで率直に感じました。
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- okei49
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「信じる」とは、「人が言う」と書きます。私なりに解釈すると、色々なことを話せることが、信じていることなんだと思います。 自分の話をしたい相手を信用している。そうでない相手は信用していないということだと。 公私で信用は、私はおのずと分かれます。会社の人に自分の仕事の報告・連絡・相談はしますが、プライベートの話はほとんどしません。昔からの友達に話せば十分だから。 つまり、仕事の面においては信じているけど、会社という社会の中でのみんなの口の軽さやいい加減さには辟易してます。 まー言ったら、会社の人は嫌いなんですよ。私は。 会社の尊敬していた上司が不倫していたことはショックかもしれませんが、人は生きているだけで罪深い生き物ですから…。 他の生物を食らい、他の生物の生息地を奪い開拓し…。 こうして何気無く生きていることも、罪だと、私は感じています。 自ら手を下さず、他者が手をかけてくれた命を食らって生きている。 誰もが罪を負い、その罪を精一杯生きることで償い、許し合いながら生きている。 家族を裏切る行為…不倫を肯定は出来ませんが、その方の事情を知らないまま、私はその方だけを責めることは出来ません。 その家庭は暖かいものなのか?そもそも結婚自体が望んだものだったのか?何も分からないから。 私には不倫に至った「経緯」も、信用を続けるかどうかの基準になりますが。 プライベートの問題が、質問者様にとって、「許し合える」問題でないのなら、それは残念だけれど、仕事だけの付き合いにすればいいだけでは? 心は個人の自由です。 信じたい人を信じて、信用に値しないと思う時が来たなら、心の中で降格させればいいだけ。 仕事でもそうです。その分野において、信用しているからその人に聞くし任せるし、相談する。 人は完璧ではないし万能ではないということの認識が、少し足りないのかな?と、私には思えました。 この分野が尊敬出来る、頼れる。それについての会話が出来る。それでいい。 私は今はそう思うから、生きるのが楽になりました。 仕事は仕事。 またがんばらなきゃ。食べて好きなことするために。社会的立場を得るために。 大丈夫です。 ちょっとだけ真面目に真剣に生きているだけです。 いつも真剣だと周りも、ご自身も疲れますよ? 真剣とは真実の剣(つるぎ)と書きます。近付き過ぎると切れてしまうから。 みんな距離を置いてしまう… ふざけたり、いい加減な方が人間味がある。そう解釈することも、時には必要かもしれません。 長くなりました。 参考になれば幸いです。
お礼
確かに、他人の家庭が上手くいっているか、滅茶苦茶になっているかはどうでもいいことかもしれません。しかし、僕はどんな事情があっても、家族を裏切るような行為を許すことはできません。ましてや、徹夜で仕事をするフリをして、不貞を働いていたのですから。 また、僕が知り得る上司は、言動に人徳を感じていました。だからこそ、絶望しているのです。いっそのこと、不倫を機にヘンな人になってしまって欲しかったです。
あなたはその上司に対して勝手な幻想を抱き、偶像化していただけだと思いますよ。 上司の方は生身の人間です。聖人君子ではありません。あなたが尊敬していたのはこの世に存在しない偶像だったんです。 好きなアイドルがいて、熱愛報道や不祥事が発覚したら、勝手にあのアイドルは裏切った!と怒るのと同じです。 アイドルを日本語に訳すと「偶像」です。 「清濁併せ飲む」本当に尊敬するなら、全てを受け入れて下さい。
お礼
貴方や他の回答者の方々の意見を汲む限り、僕がしていたのは「信じる」ではなかったのだとわかりました。また、「裏切られた」とも違うと思いました。仰せの通り、善悪全てを受け入れることが「信じる」ことなのかもしれません。そうであれば、僕は上司を信じていなかった・・・。「信じる」とは、容易いことではないですね。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
信じるって、裏を返せば、相手の裏切りのリスクを、自分が負うことのように思います。 「この人にならば裏切られてもいい」と思わない限り、心の底から信じる必要はない、 なんでも話半分に聞いておけばいいと思います。 逆に、その裏切りのリスクを、心の中で相手本人に負わせていたら、 あなたの心の中で、お2人の関係が対等にならないと思います。 親ではないし、あなたも大人ですから、基本的に関係は相手がどんなに年上でも全部対等です。 「信じる」にあたり、0か100では、いつか必ずダメになると思います。 人間関係はもっとその中間です。 ごく表面的なつきあいもアリだし、もっと深い付き合いもありだけど、 完全なつきあいというのは、人間同士にはそもそも不可能だと思います。 100%じゃなく、7割8割ならば十分よい付き合いという感じに持っていけませんか。 不倫をしているのは困った上司ですね。表裏が激しいと言うことですか。 実はすごく利己的な人というのが本当のところなのじゃないでしょうか。 でもそういう人に限って、表面的にはやたらよい人だったり、誰からも好かれてたりします。 だから、あんまり表面の良い人というのは、かえって怪しいんです。 そういう風に「操作して」いるんですよ。 あと、人を見習う時は、その「部分」を見習うだけでも十分です。 まるごと見習うとかは、その人じゃないんだし、無理だと思います。 親のような存在を他人に求めつづけると、人間不信は深まってしまうと思います。誰もそんなに責任負えません。 善人であれば、5割の人に好かれ、5割の人に嫌われるものだそうですよ。 イエスキリストでさえ死刑にされているくらいですから。
お礼
結局、自分が弱い人間で、他人に依存していたからこういうことになってしまったのだと思います。率直に、上司が力になってくれたことは嬉しかったです。しかし、その裏にはリスクが潜んでいたのですね。 自我がある程度確立されていれば、乱暴な表現かもしれませんが他人を一種のツールとして位置付けることができるのでしょう。そうすれば、良い部分だけ吸収し、悪い部分は切り捨てることができる。今の僕にはそれができないだけのことです。
- あああああああああ(@rise_sa1212)
- ベストアンサー率22% (2/9)
逆にお聞きします。 貴方にとって信じるとは何ですか? どういうことがあったにしても、信じる心がブれた時点で信じていないのと同じ。 信じていた時間も信じていなかった時間と何ら変わらなくなってしまいます。 貴方がもし心から信用していたのであればそういった部分を反面教師に、また昔から尊敬できる部分は変わらず尊敬、信じることができるはず。 簡単に人間不信などという言葉で逃げないように。他人と置くべきかどうかは自分自身で決めなさい。 ただ、貴方がもし落ち込んでいるのなら信じる気持ちを持ち続けてあげるべきだと思います。
お礼
この一件で、多くの方に意見をいただき学ばせてもらいました。僕は「信じる」ことをしていなかったと思います。「もっと表面的な付き合いをすべき?」と質問させてもらいましたが、むしろ今の僕は表面的だと思います。他人のことを深く知ろうともせず、ただ依存しているだけなのです。 「信じる」とは、容易いことではありませんね。今の僕に、信じられるものは無いと思います。
- bking
- ベストアンサー率11% (129/1123)
世の中、何もかも清廉潔癖な聖人君子なんていませんよ。 あなたが勝手にその上司を偶像化していただけの事です。 あなたの信じるは、崇拝と同じです。 他人を神格化してしまう、あなたの心は非常に幼稚です。 確かに不倫は道徳に反する事ですから、悪い事に間違いありません。 しかし、仮にも数年間お世話になった相手に対して、感謝の気持ちを全て失ってしまうあなたの心根も愚かです。 清濁両立しているのが人間社会です。 大人になりなさい。
お礼
いい歳した社会人が、他人のことでボロボロ泣いている段階で幼稚ですね。他人との関わりについて、考え方を変えていかなければならないと思います。 ちなみに、感謝の気持ちを全て失ったわけではありません。ただし、上司が罪人扱いされている今、そのことを周囲の人に語ることは、もうできないでしょう。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
>人を信じるって、一体なんなのでしょうか? 自分の知識や経験、感性などに基づき、自己責任において、個々の事情ごとに、疑うことを放棄することです。 >僕は人との付き合い方がおかしいのでしょうか。 はい。 まさに「木を見て森を見ず」で、信じれるところだけ信じるべきで、一つを信じたら全部信じるのはおかしいですね。 >もっと表面的な付き合いに留めるべきなのでしょうか? いいえ。 人間性を信じたいのなら、その人の人間性をしっかり見極めるべきです。 ぶっちゃけ、その上司の人間像も質問者さまが勝手に仕立て上げた偶像ですよね。 裏切られて当然です。 質問者さまがやったのは「信じる」ではなく、単なる「妄信」です。 個々の事情を見極める能力がなく、自己責任で割り切れないうちは、信じるなんてことをしてはいけません。
お礼
確かに「この人は尊敬できる人で、ましてや非人道的なことなどあうるはずがない」という偶像を作り上げていたのですね。だから勝手に「裏切られた」と受け止めてしまったのでしょう。 他人を疑ってかかるのとも違うのでしょうが、「信じる」ためにはまず「知る」ことが大事であって、そのためには「疑い」も必要なのかもしれません。 あまりにも幼稚な僕には、しばらく時間がかかると思います。
- fuukakou
- ベストアンサー率22% (200/870)
とりあえず一言:完璧な人などいません どうも上司の方の事を見ると、あなたは人を0か1ででしか見ていませんか? 1=完璧で信頼できる人 0=ダメで信頼できない人 1だと思ってたのに0だったんだ!裏切られた!!といった風に 人はグレーゾーンが凄く広いものなんですよ 1or0ではなく 100000~0ぐらいに思ってみては? はじめは難しいかと思いますが・・・・ 例えば、 100000だと思ってたのに不倫!マイナス1000。 しかも社員と!マイナス10000。 で、仕事がごたごたマイナス10000。 自分への直接的な被害 良く考えたら 0 トータル 79000 あれ?中央値5000以上だ あ~、女性関係には問題のある人だったんだけど仕事上は良い人なんだな。とかね。 上の値をもっと大きい数値でとれるようになると楽になりますよ。 慣れてくればもっと上限値をおおきく、プラナイの数値を小さく、といったふうに なんかゲーム的で悪いんですが
- d194456
- ベストアンサー率27% (423/1524)
信じるとは、何でしょかね。 あなたの「信じていた」は、上司に対して、あなたの想像を壊さない行動を要求することであって、 上司の人間すべてを信じたことではないですよね。 よく、神様に裏切られた、とか、こんな悲惨なことが起きるなんて、仏も神も信じられない、と言いますね。 その言葉も同じで、神や仏を自分の思い通りに動かそうとするエゴの塊です。 上司が不倫をした裏にはどのような事情があったのか、その想像力を働かせて、信じ続けることは出来ませんでしたか。出来ないなら、同じです。 あなたに都合の良い行動をしてくれる人間でいることを要求しているだけです。 あなたが信じていた人が、ビルの屋上から飛び降りろと言ったら、飛び降りることが出来ますか。 飛び降りることが出来たなら、人を信じていたと言えるでしょう。 上司の姿を見て、人間不信に成ったと言うなら、まだまだ、人生経験が足りないし、清濁併せ呑むの心も持っていない人ですね。 人を、皆あなたに都合の良い人だと考える人でしかすぎません。 本気も安っぽいものに成りましたね。
お礼
確かに、僕は単に「自分にとって都合の良い人間」を求めているだけなのかもしれません。逆に、そうであるからこそ僕自身が「都合の良い人間」になってしまうのかもしれません。 僕が上司に対していたのは、「信じていた」というよりも、限りなく「頼っていた」に近い「信頼」だったのでしょう。もし本気で「信じていた」のなら、なぜこんなことをしたのか、問いただすことができたでしょう。それもせずに、事実上の離別を迎えてしまいました。 自分の中の高い理想と、あまりにも乖離した安っぽい思想が、自分を愚かな人間と感じさせるのでしょうね。
信じるは、信頼とは違い、信頼は裏切られてもいいのだけれど 信じるっていうのは裏切られたら信じられなくなりますね。
上記のような辛い体験をした場合、なるだけ人と距離をおきましょう。 どんな相手でも、深く関わらないことです。 傷が言えないのに、塩を塗ってはいけません。 現状はいっそのこと、信じない方が良いでしょう。 個人的な見解ですが >>人を信じる…私は信じるというより様子をみるようにしています。 いつどんな事が人間関係でおこるか予想できません。心の動きをいつでも把握できないのが普通です。 相手の考えさえ分からないのに「信じましょう」とは言えません。 心の動きは毎日同じでないように、よく人を観察する必要があります。 慣れた相手だと「きっと~だろうな」とそれだけで終わるかもしれませんが、人は幾重にも想像を働かせています。 成長したり、落ちぶれたり… 普通は分からないのですから、信じるという言葉を使わないようにしましょう。 良い回答とは言えませんが、少しでも参考になれば幸いです。 そして、大きな傷は数年かけてのカウンセリングが必要です。 この傷が癒えなければ、誰かを傷つけたくなります。 何度も繰り返し誰かに聞いてもらう、又はその傷が癒えるだけの幸福を感じる必要があります。 自分にとっての幸せを考えつつ、カウンセリングをしてみてはどうでしょうか?
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お礼
・人間嫌いについて:未だに原因がわからないのですが、昔何かあったのだと思います。ある時から今に至るまで、「他人と一緒に行動するのが辛い」と考えるようになりました。そして、一人で何でもやっていると、「強い人間」という誤った認識をされ、自分自身負の成功体験となってしまいました。一人でいるのは、強さではなく弱さから来る表現です。でも、僕の人間嫌いを少しでもまともにしてくれたのが上司でした。 ・「信じる」について:自分なりに分析してみたのですが、貴方の仰せと同様、僕は他人への依存度が高いのだとわかりました。すなわち、僕の「信じる」は単なる「依存」「甘え」なのだと思います。結局、自分が弱いから、強い人を神様みたいに位置付け、ただ依存してきたのです。その点については、今まで生きてきた環境の中で、心当たりがあります。 ・他人との付き合い方について:前述の通り、根本的に人間嫌いであるので、自然にしていれば誰とも関わらなくなると思います。今回の件で、安易に「信じる」という言葉は使えなくなりましたが、それでも他人の思想や仕事振りを参考にしたり、尊敬したい想いはあります。