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大らかな性格になるための方法
- 大らかな性格になるためには、他人の行動や考え方に寛容になることが重要です。自身の価値観やルールに囚われず、相手の意見や感情を尊重する姿勢を持ちましょう。
- また、コミュニケーション能力を高めることも大切です。相手とのコミュニケーションを円滑に行うためには、相手の立場や感情に配慮しながら話を聞き、適切な言葉で意思を伝えることが必要です。
- さらに、自己肯定感を高めることも大らかな性格を築く上で重要です。自分の長所を認め、自信を持つことで、他人の評価や意見に左右されずに自分の道を進むことができます。
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価値をどこに置くかということだと思います。 あなたは、一番の価値をルールや規則、責任、日進月歩、切磋琢磨というところに置いているのだと思います。 でも、人の気持ち・優しさだったり、情報・知力・革新だったり、熱意・行動力・楽しみ とかを一番の価値と思っている人もいるわけです。 そして、一つ一つの価値観は、必ずしも共存が容易にできるわけではありません。 ルールに縛られていたら、苦しむ人を助けられないときもあるし、 革新は、古いものをぶち壊すもので、規則なんか気にしていたら乗り遅れます。 楽しむこと、ワクワクするようなことは、ルールや規制に制約されることになります。 だから、人にはプライオリティーがあって、 ルールや規則、責任、日進月歩、切磋琢磨といったものを常に一番としていない。 時にはそれの優先順位をさげて、他を優先させるのだと思います。 融通を利かす、空気を読む、軽い嘘、ハッタリの表現。 それを、下卑た行為行動、欲深くも貞操を演じ・・という解釈では周りが合わせにくいでしょうね。 人の気持ち・優しさだったり、情報・知力・革新だったり、熱意・行動力・楽しみ そういうものに対するプライオリティーが高い人からみたら、 あなたの評価というのは散々なものになると思います。 そして、周りの人を低く見る人は、周りから低く見られるものだとも思います。 年齢が高くなれば、ルールや規則を重視する人が多くなるから、あなたが受け入れられやすいのだと思います。 でも、世界を変えていくのは若い世代なので、年齢が低い人ほど、あなたを受け入れにくいでしょうね。 価値観の違いを理解することと、その違う価値観の中での自分の位置を知ることが、 他者を受け入れるヒントになる気がします。 どの軸から見ても100%なんて人間はいないのですから、 あなたはそのままでいいと思いますよ。無理に変わる必要はありません。 ただ、あなたの価値観と同じくらい太い価値観の軸が、あなたの見えないところにあるということです。 国家公務員というのは、律儀な仕事が重要だと思うので、あなたに向いていると思いますが、 それはあなたの性格を肯定することが多いと思うので、より考え方を狭める危険性があると思います。 また、公務員の中でも、立場が上流にいるということは、孤立しやすいことになります。 それは、国民の生活を変える判断を下す立場としては、あまりいい傾向ではないと思いますね。 格好だけのとろい仕事しかお役所はできないよね。と揶揄されないようにしてくださいということです。
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求める回答ではなくて申し訳ないのですが。 自分に厳しい人は、どうしても他人に対しても厳しくなる。自身の弱さも認める(それはそれで良しとする)人は、他者に対しても許容範囲が広い。これは仕方がないこと。 「おおらかさ」とは、許容範囲が広い事だと思うのですが、でもそんなにも許せないほど自己本位な人のことは、許さなくても別にいいんじゃないですか?よほど程度がひどい人の事は、周りの人も許しているわけではなく「諦めている」んでしょう、きっと。 >特にトラブルを起こさずに人間関係を築くには、どのようにしたら良いのでしょう? 結局のところ、最終的には、友人などの人間関係であれば自然淘汰されていくものです。 自分とは違った価値観、人生観、世界観を持った人と積極的に関わりたい!という人も世の中にはいるでしょうけど、大半の人は「類は友を呼ぶ」。付き合っていて楽な人とだけ、関わればいいんじゃないですかね。トラブルを起こすような人とは、環境が変わればいずれ離れていくでしょう。特にあなたはこれから社会人になるわけでしょう。学生時代の友達なんていうのは特に、限られた人としか付き合わなくなりますよ。付き合いが途絶えることは、ままありますよ。 そして、これから始まる仕事での付き合いは、割り切って付き合えばいい。許せなくてもいいから、表面上いちいち波風立てなければいいだけのこと(それすら出来ないのであれば、それはただ幼いだけ。心のおおらかさより、割り切った人付き合いの勉強や訓練が必要)。我慢できる範囲で我慢して、無理なら職場を変えるしかない。 程度の違いこそあれ、誰もがやってることです。
大らかな性格になるには、いろんな人と会い話し経験する事が必要だと思います。許し認める。自分の中の正しいと信じる事が曲げられないんですね。勿体ないと思います。あまりに自分の物差しが強すぎると、自分の観たい部分しかみえなくなり、視野が狭く多方面から物事を観れなくなると思います。思考の癖もついてしまう。年上の方々は度量が広いから合うのではなく、合わせてもらっている可能性もあると思います。友人におおらかな人がいますが、会う度に人間の器が大きいなと思わされます。
- kanakyu-
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再度、おじゃまします。 衝突って、どんなときですか? カチーン! と来るんですよね、わかります。 なかなか難しいけれど、 相手が自分に不本意な行為を強制したり、 自分に被害がないかぎりは、基本はほうっておけばいいですよ ^^ 被害が出ても、まっこうから対立すると、角がたつので、 あまり生真面目に抗議したりする前に、 半分冗談みたいに、笑いながら相手をさとしたり、 相手をそれなりに立てながら話すと、すんなり通ることが多いと思います。 悪人扱い・愚か者扱いされちゃうと、人は守りに入ってしまいますから、対立関係になります。 対立じゃなく協力関係のような感覚で、私はあなたの敵じゃないよって相手に感じてもらえるよう、 相手のことを追いつめずに、お互い多少なぁなぁな方向になれる逃げ道を用意してあげるというか。 昔のわたしは、ケンカすると相手を八方ふさがりにしてたので、そんな発想すらなかったですが・・ 相手にも相手なりのプライドがあるので、多少間違った行為をしていても、 相手のプライドを守ってやると、相手もたすかりますし、 こちらの言うことを聞き入れてくれやすいと感じます。 たとえば・・有名な子育ての本で読んだんですが、子供が何かしでかしたとき、 「なんでそんなことをするんだ!?」という責めかただと、子供は守りに入ってしまうけれど、 「あなたがそんなことをするなんて、何があったの?話してごらん」という言い方だと、 子供は心を開いてくれやすいそうです。 あとは、わたし自身がもともと神経質で困っていたんですが、 たぶん、脳内ホルモンのバランスが乱れていたんだと思います。 お聞きになったことあるかもしれませんが、 昨今キレやすい人がふえてる! というのは、ノルアドレナリンの多い人、とかね。 セロトニン(安らぎホルモン)の原料になる食品やサプリを摂取するようにしています。 マグネシウムが一番効いてる感じですが、ほかにビタミンB6、トリプトファンなど。
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
お気持ちはお察しします。 自分に厳しい人ほど、他人のルーズさや利己心に、腹が立つと思います。 わたしもそうでした。 今は、他人は他人の道を行くことに、背中を押して、合わない人は遠ざかっています。 他人を変えることはできないから、距離か、自分を変えるしかできませんから。 わたしも、人間はこうあるべきという考えを持っていました。 多くの人は、まるで動物みたいで、人間とは思えないとも。 いまは、人間は一人一人、まったく別の人生勉強をしているんだなぁとわかりました。 一人一人の人が、自分の人生の幸福を大事にして、自分の人生の道を進むことが大事なんだと思いました。 お互いの生き方の背中を押し合って応援し、できる範囲で適度な距離を保って、 少しずつの迷惑をかけあってお互い様っていう風に生きられるのが、 いちばん現実的な平和なんじゃないかと思うんです。 自分に厳しいことは、実は、けっして正義ではないんです。 むしろ、あなたが幸福になることが大事です。 頭ではなく、あなたの本心、 心にしたがって生きていってください。無理なら、せめて頭と心の中間を。 そうやって心を満たして生きていると、他人にも寛容になれるはずです。 もう染み付いてしまっていたら、頭と心の違いがわからなくなっているかもしれませんが、 心の声にちゃんと耳をかたむけていたら、だんだん聞こえるようになりますよ。
お礼
確かに。。。ちょっとした事ですが例えば昼時。 早く行けば空いてる内に食べれますが、中頃に行くと混み混みです。 だから私は早く行って、さっさと食べて混みあいを避けています。 集団ですと、中々動こうとしない。あーだこーだとダラダラして、誰しも主体性が見られないんですね。 で。やっと行く頃には混み混みといった具合でして。。。 当初はやはり苛立ちを感じていました。 しかしながらそんな感情も、私自身の彼らに対する自己顕示欲に他ならなく、見方次第では相手に強要してるとも取れます。 言っても無駄でしたので、遂には見切りを付けました。 見切りを付けて良かったと思っています。そんな彼らに費やしてた精神エネルギーを損なう事も無くなり、随分と気が楽になりました。 言っても無駄と言うのもありますし、相手にしない。と言うカタチで接して来ました。 ただどうしても。人間社会に生きる以上、対人関係にぶつかります。 故に、精神力を損なわないよう、大らかな性格になれたら。と思った次第。 ご回答頂き、ありがとうございました。
- eroero1919
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そりゃね、自衛隊の教育を受けてればそうなりますよ。自衛隊ってつまるところ軍隊なわけでして、軍隊では「あの丘を占領しろ」といわれたら「いや軍事的に見てちょっとそれは意味があるとは思えません」なんてのは許されない。「突撃」といわれたら、突撃せにゃならんのです。だから権威とか命令とかルールとかには絶対に抗わないように教育するのです。 だから、年上にウケがいいのも当然です。だって反抗しないもの。上司で融通が利かないのは困るけど、部下で融通が利かないのはあまり困りません。むしろ勝手に融通を利かせられてしまうほうが困ります。 まー22歳だからなあ。私も貴君と同じくらいの年齢のときは似たようなことを考えていましたよ。自分の考えが正しいと確信していて、周りがバカに見えたものです。特に俗っぽい奴に対しては「浅ましく、くだらない奴だ」とね。 だけどね、人生いろいろあると、そんな内心バカにしている奴にいろんな意味で負けたりしてね。まあ鼻っ柱を折られたわけです。で、失敗を繰り返すうちに「どうもバカなのは世間じゃなくて、俺のほうだった」と気づくことになりまして、30歳くらいの頃に自分をフルモデルチェンジさせました。 だけど、あのときの人生観のまま人生が上手くいっていたら、今の年齢になっていても「俗物な奴らはくだらない」と思っていたでしょう。 そのうちね、一見浅ましいように見える連中が実は二手三手先を考えて発言していたり行動していたりすることを知ります。そうすればまた人生観も変わってゆきますよ。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
何度も読み返しました。 文章が散文的で分りませんでした。 アスペルガー症候群の姪が書く文章と同じです。 正直過ぎる、融通が利かない、額面通りにしか受け取れないなどの理由で円滑な対人関係が築けないのなら、何らかの発達障害を抱えている可能性が高いです。 ご期待に添えない回答ですが、もしそうなら機能的な障害ですから大らかな性格は難しいと思います。
- Arlequinaru
- ベストアンサー率23% (11/46)
「7つの習慣」という本を読んでみることをオススメします 特に第1章の主体性を発揮する、という項の影響の輪と関心の輪という部分が参考になるかと 世の中結果が全てです ルールを破って問題を起こす人間も迷惑です 人間関係のトラブルを起こす人間も迷惑です 特定の人間としか正常な付き合いの出来ない人間も迷惑です 他人から見れば、あなたが見下してる人間とあなたの間に差はありません あなたは自分の頭がいいと思っているようですが 私は左脳的な思考に偏った人間だという印象しか受けませんでした 頭の良い人間とは左脳的な思考と右脳的な思考をバランスよく使い分け、結果の出す人間です それにルールや規則なんて絶対のものではありません それらは望む結果を出す方法の1つにすぎません 多少破ったって構わないんです 完璧な結果ではなくある程度の結果さえ出せれば 大抵のルールはあること自体に意味があるんです それをただ機械のように守ればいいなんてのはただの思考停止です 普通の人は勘でそういうことを感じ取るものですが、あなたはそれが出来てないようです
- vonvori
- ベストアンサー率41% (14/34)
こんばんは。質問を読ませていただきました。 正直に言いますと、性格はそう簡単には変わりません。しかもそれが大らかな人間へ、となりますとなおさらです。 逆ならばある程度はあります。つまり大らかな人間性から厳格な人間性へです。これは、大らかであるが故に失敗した出来事を教訓に徐々に厳格化していく事です。 これは大らかな人間はたいてい経験します。なぜなら厳格化させていかなければのっぴきならない状況に陥る可能性があると学ぶからです。こういった人間は上手く飴とムチを手にできる可能性があります。 質問者様は始めが厳格ですから少し難度が高いかと・・・。 厳格な人間性をお持ちの方はまず、自身の厳格な基準で他人と接するために、その基準に大らかな部分を仮に意識して設けられたとしても必ず綻びが出ます。つまり地が出るんです。 ある人と意識して大らかに接したとして、その人が質問者様の大らかな部分を飛び越えた場合に、次に待つのは地の部分です。ここに達すると質問者様はおそらく次からその人と大らかな人間として接する事ができるか疑問になります。 大らかな人間へなるためには、常識の範囲内で許す行為が必要になります。人の愚痴を聴くのも一つです。まずは他の人に対しての印象を変えるために頑張って見ては如何ですか? もちろん常識の範囲内は人それぞれです。ただし厳格な人の常識はやはり厳格なため、この部分は注意が必要です。自分の常識が世間の常識とイコールな事は少ないので・・・。これは許すべきか許さざるべきか、は慎重に判断を・・・。 いろいろと書かせていただきましたが、根本的な解決方法ではなくあくまで個人的な意見です。一個人の一考と捉えてください。
お礼
私も当初はあまり厳格で無く、適当な屁理屈や感情論を誇示してた部類です。 ただ、それでもトラブルはありました。 彼らはいつでも徹底しておらず芯も細く、大きな流れに踏襲してました。 また、己が保身?プライドかな? 衝突は確実に起きます。その時にはいつも、相手を否定する事から入り、己を肯定する事に帰結します。 例え自身が過ちを冒したとしても、謝罪は最終手段として、ギリギリまで尊厳を維持する事に努める。。。 また、謝罪にしても軽い物で、「謝ってやったぞ」「お前が求めるから謝罪した」と言ったように、「自分は納得してはいない」という自意識は必ず残します。 嘘を付き、適当な前口上を用い、相手を陥れる。一言に浅い。。。 例え、そんな彼らを見下した意見だと思われようと、私はそんな彼らを尊敬出来ませんでした。 私がルールや規則を順守するようになったのも、責任意識や、 そんな彼らが誇示する安い良識を、大きく上回る為に踏襲してるだけなのでしょうね。 ただ、それに踏襲してから、折られる事もあまり無くなりました。寧ろ、相手が屁理屈や感情論に走るようになった。 今でも彼らを一歩引いて見てますが、自分のそれを見てはいませんでした。 だから、自分を懐柔させれずにいたのかもしれません。 自身のキャパを狭めないよう、少々引いて自分を客観的に見てみようと思います。 ご回答頂き、ありがとうございました。
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
>どのようにしたら、彼らを許容出来るだけの大らかな性格になれるでしょうか? ご質問の答えになりませんが、そんな輩を許容する必要はありません。 多分、お付き合いの集団のレベルが低すぎるから問題が起きるのでしょう。 もっとまともな日本人は幾らもいます。 あなたは、ただ付き合う人間集団を選べばよいだけです。 今、お付き合いの集団のレベルが低すぎます。 人間の屑のような集団とは接触を断ちましょう。 >誰とでも仲良く。とまで行かなくとも、特にトラブルを起こさずに人間関係を築くには、どのようにしたら良いのでしょう? 相手の発言や、相手の行動を自分の思い通りに制御しよう、などと思わぬことです。 自分が攻撃された時以外に、一切反応しない訓練をすればトラブルは激減します。 もっとも、レベルの低い人間集団から距離を置くことで、トラブルの可能性も激減します。 >やはりと言いますか特にと言いますか、件の浅ましい人間とは、どのように接したら良いのでしょう? 付き合わない、取り合わない、会話をしないことです。
お礼
ご回答頂き、ありがとうございます。 仰るような回答内容が、今の私です。 合わない人は合わないし、どうしても否定してくる人もいるでしょう。 それに逐一理解を求めようとするのも無駄ですし、それは私の自己顕示欲に他なりません。 だからプライベートでも線引きをしていました。 いろいろ言われますが、正面切って来ない限り、私も正面から取り合う事もしませんでした。 ただ何と言いますか。。。それで私が良しとしても、他の方に迷惑が及ぶ事を望むものではありません。 私が大切にしたい人間関係にまで被害を及ぼしたく無いといった具合です。 他回答において、見下してるとか言われたりしますが、それでもやはり彼らは尊敬出来ません。 一言に「浅い」に付きます。 ただ言ってしまえば、その考え方も単なる私の偏見と主観なのでしょうが。。。 故に、彼らとも特にトラブルを起こさずに接する事の出来る大らかな性格に憧れました。 ご回答頂き、ありがとうございます。
お礼
傷み入ります。 ただ何と言いますか・・・どうしても自己本位な人を許容するのが面倒に感じています。 私もそうなのでしょうが、相手に自身のそれを強要し、他人を受け入れるキャパシティに乏しい。 だから面倒になっています。私が究極的に知りたい所は、そんな自己本位な人との接し方でしょう。。。 ご回答頂き、ありがとうございました。