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男性恐怖症の私が…
私は小さい時にお父さんに虐待を受けてて男性の事が怖くなりましたその時は男性と話しする程度なら大丈夫だったのですが中学、高校の時にエッチをされかけてそれから男性を見ると震えが止まらなくなったりします。 けどそんな私を全て受け入れてくれる人が現れて… 私はその人の事が好き??なのかもしれないです。 恋愛をした事なく好きとかの感情があまりわからないのですが… 男性恐怖症でも恋愛をしてもいいですか?? 男性は重たいって思わないですか?? 手を繋ぐ事さえ出来ないし話もまともに出来ません… そんな私でも大丈夫ですか??
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- まさしろ(@masasiro)
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ご質問者様こんばんは。 ご質問者様はこれから恋愛と言う未知の領域に向かって挑戦なさろうとしている!これは本当に素晴らしいことです!なぜなら、ご質問者様は過去の悲しい出来事に囚われもせず、現在の状況にも押し潰されず、未来に対して恐れを抱くどころか希望すらお持ちになった!これは、辛い過去の経験を受けても、ご質問者様は決して不幸なんかでは無く、むしろ幸福であった証なのです。ご質問者様の生命は価値を失うどころか輝きを増したのです! ご質問者様は人間不信をご自身の逃げ場所、つまり安全地帯としていらした。安全地帯であるからには安心であり安楽がそこにはあるのですが、安心や安楽がもたらす幸福に、人間の人生と呼べるようなものはありません。生涯続くような安心や安楽、そして幸福こそ、人間にとっての本当の地獄となるでしょう。 ご質問者様が人間不信をこれからも貫き通せば、他人とは一切の関わりを絶って人生を送ることになると思います。それは、他人から煩わしさや、裏切りや、傷付けられることの無い安楽なものかもしれませんが、孤独のまま終わりを迎える人生は、やはり地獄そのものであると思います。 人間の生命、本能は「孤独を克服する」ことを望んでいるのです。ですから、その場に留まり続けるのでは無く、孤独を克服することに挑戦し続けなければならないのです。そうやって生きたときにだけ人間は、自分の本当の人生を生きることが出来るのですね。 過去の出来事は、より高みを目指す為の土台としての経験です。不幸は必ず自分の足の下の土台として、そして自分はより高い位置に置かなければなりません。不幸を上にして崇めたり、手に持って同調したり、依存したりしてはならないのです。不幸は常に足元の下。そして私は常にその上に立ち続けなければならないのです。不幸を持つ人間は、そうやって幸せに近づくのです。 挑戦とは未知の領域に足を踏み込むことでもあります。 起きてしまった出来事には良いも悪いも無く、あるのはそれに対する考え方だけです。「考え方」が起きてしまった出来事を良くも悪くもするのです。そのことが理解出来ると、物事の本質を私たちは見間違えているかもしれないという疑いが生まれて来るようになります。 例えば、ご質問者様に起こってしまった出来事は、ある一時期までご質問者様を苦しめるものになってしまったかもしれない。もちろん、今後もことあるごとに頭を出す苦しみの記憶かもしれません。 しかし、それが不幸なことであっても、今のご質問者様はその不幸を土台に持ちながらも、誰かから愛されることが出来たのです!そして、その愛を出来れば受け入れたい、そして、私もその人を愛してみたいと願われたのです! 沢山の疑問を持つことが、受け身だった自分を変えて行く力になります。 受け身だった自分とは、まだ何も知らない自分です。知らないものは怖く恐ろしいものです。そして怖いもの、恐ろしいものを人間は嫌いになってしまいます。つまり、無知な自分とは、嫌いなものが沢山ある自分でもあるのです。 物事の本質に迫ったときの発見や感動が、嫌いだったものを変えて行く唯一の力になるのだと思います。受け身である事が、この世界を見る目を曇らせ、自分自身を歪めてしまいます。新しい領域に自ら踏み込むことで、そしてそこから新しい発見や感動を体験することでしか、人間は救われ無いのだと思います。 彼の視点から見れば、今までの経験を経られたご質問者様だから「輝いて」見えたのです。これはご質問者様が他の誰とも違う人生を勇気を持って歩まれたから輝いて見えるのです。であるからこそ、今のご質問者様が「愛される」ことが出来たのだと思います。全ての出来事は点で区切られているのでは無く、不思議と線となって繋がっているのですね。 人間の存在や人生は、誰かを愛さなくても、誰かに「愛される」と言うことだけで十分に満たされるものです。どんな困難があっても「愛された」ことが一度でもあれば、人生は十分に価値のあるものになるのです。 しかし、この世界に永遠に続くものはありません。誰かを愛することもそれは例外では無いのです。それを承知で人間はその領域に自ら踏み込まなければならないのです。 ご質問者様は彼に愛されるかもしれない。ご質問者様も彼を愛するかもしれない。しかし、愛情と言った感情に未来の約束は出来ません。1年後、10年後、100年後の愛情の約束は出来ないのです。 愛は今、ここだけにある感情であり活動です。ご質問者様はそのことだけをしっかりと意識され、時間をかけてゆっくりとご自身に対する愛情と、彼に対する愛情を育んで下さい。 人間は、自分自身を傷付けた傷と他人を傷付けた傷は、どんなに時間が経っても絶対に癒えないものです。それは壊死のように自らの精神を殺してしまいます。 壊死の最良の治療は切断することです。自らの生命やその価値を傷付けるような気持ちをお持ちなら、即刻切り捨てなければなりませんね。 ご質問者様は愛された。それだけの価値は十分にあるのです。これからは、ご自身を愛し、労うことを忘れないで下さいね(^-^) ご参考になれたら幸いです。
- kotetudesu
- ベストアンサー率22% (2/9)
男性恐怖症で恋愛をしていけないなんて誰が決めました? 男性恐怖症でも恋愛はしても良いんですよ? まずは、その彼にあなたが男性恐怖症という事を話した方が良いと思います。 きっとその方も分かってくれると思います。 お付き合いはしていないんですよね?その方と あなたがその方とのお付き合いを望むのであれば、 まずは付き合う前に自分の事をしっかり話して理解してもらう事からです。 それから、まずは 相手の目を見つめて話す事から初めましょう。 慣れてきたら、少しずつ近づいて目を見つめながら話します。 そして、相手に触れる 手をつなぐ、キス と、こういった風に ゆっくりと順番に慣れていきましょう。 もし、その彼とお付き合いして いきなりエッチをされるということはないと思います。 彼はきっと理解して、 あなたを大切にしてくれると思います。 しかし、一番大切なのは 相手がどれだけあなたの事を愛しているかです。 あなたの事を本当に愛していて、本当に大切に思うのなら いくら男でもキスやエッチはあなたが「嫌だ」というなら待ってくれると思います。 せっかくあなたが 「好きかもしれない」という男性が現れたんだから 頑張って下さい。 あなたの事を理解してくれたら「重い」なんて普通に思いませんよ。
- kmd5965
- ベストアンサー率36% (145/402)
どんな方にでも人を好きになる権利はあるし誰にも止める権利はありません。 状況は違いますが私も過去のトラウマを持っていた1人です。 今はそれに影響される事は殆んど無くなりましたが、人に対して心を開きにくい部分が残っている様ですし、必要以上に自分を偽る所があるみたいです。 あなたを理解してくれて本当に受け入れてくれる方なら過去に受けた心の傷を包み隠さずに話されてはいかがですか? 冷たい言い方になりますが、その話をして重たいと思われたり、引く様な態度を見せたなら所詮はその程度の人と思わないと仕方がありませんね。 過去の事を嘘にする事は出来ないのですし、だからと言って気持ちを隠して辛い思いや我慢をする事ももうしないで良いですよね。 どうかこの先にあなたを本当に理解してくれて全てを包み守ってくれる、そんな素敵な方にめぐり会えると共に穏やかな人生を送れる様にお祈りしております。 最後には笑えると良いですよね、前を向いてしっかり歩いて行って下さいね。
- ikuchan250
- ベストアンサー率24% (1063/4275)
彼に過去の経緯を話して、受け入れてくれたら全然問題ないです。 彼は状況をのみこみ、あなたから手を差し伸べられる様になったら 一つ階段を上がった様に感じ、抱き合うことが出来る様になったら 2つ目の階段を上がれた様に思うでしょう。 ただし。男性にも色々居ますので、彼がその様な男性かどうかを 見極める必要があります。
- ほい ほい(@ogi2119)
- ベストアンサー率37% (9/24)
お辛い経験をなされたんですね あくまでいつかですが大丈夫だと思います。 厳密に言うと大丈夫だと思わせてくれる男性に会えるはずです 未来のことをいくら不安に思ってても埒あきませんよ 大丈夫、いい人いる。 そう軽くかんがえましょう 辛かった分、人一倍幸せな未来であるといいですね