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小説家と将来のこと
今春大学に進学する女です。まとまらない質問ですが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。 最近、将来のことについて考える時間が増えてきました。周囲から「何の仕事がしたいの?」と聞かれることが増えたからです。 私は昔から読書が大好きで、大学も文学部に進むのですが、小説家になりたいから文学部を目指したというわけではありません。幼い頃は夢見たこともありましたが、文才もないことは自覚しているのであきらめていました。 それが最近、気持ちが再燃した感じで、何か書いて新人賞に送ろうと思うようになりました。 のめり込んだら止まらない性格なので今までずっと抑え込んできたのですが(一つのことに執着すると他の健康管理や人付き合いなどが絶対におろそかになる)、中学のとき大好きだった国語の先生からあなたは物書きになりなさいと言われたことを思い出して、「なれるわけないけど書きたい」と何か苦しい気持ちです。 実は私は病気のために浪人しているのですが、数年間闘病した経験が活きたりするのかなあ……と考えることもないではないのです。でも、やはり自分の才能のなさや、書きたいものが書けなかった経験、そういうことから気持ちを抑え込んでいます。 何というか、もう一言付け加えるなら「小説は書きたいけど小説家になりたいかは分からない」という感じです。 まとまらない質問ですみません。何かアドバイスいただけたら嬉しいです。
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それで良いんじゃないでしょうか。 模索しつつも大事なことは 「自分の身の丈を常に考える」 ことなのかな、と思いますので。 例えば、「絶対小説家として食べていく!」と公言している人がいるとします。 しかしその人は、今まで小説を書いたこともない。 本も1年に1冊読めば多いほう。 周囲から「なりたいなら書いて投稿しろ」と言われても 「まだ火がついていない。いつかその気になれば、自分は必ずできる」 みたいなことを言いながら、就職もせずに家でゴロゴロしているだけ… これは明らかに「おかしい」ですよね。身の丈に合っていない。虚言という感じです。 「何になりたいの?」という問いに対して明確に答えられるのは素晴らしいことではありますが 10代後半以降の人間が「●●になりたい」という言葉に説得力を持たせるためには、実を伴う必要があります。 質問者さんはそれをわかっているのではないでしょうか。 要は、自分に小説家としてやっていく力があるかどうかわからない。 作品も満足に完成させたことがない。 プロの評価も得たことがない。 だから…小説家になりたいという気持ちを自分の中にはっきり持つのは気が引ける。 そんな感じなのではないでしょうか。 ただ、小説を書くのが好きだということであれば、自分に遠慮することなくやってみたら良いと思います。 友達や周辺のことに無頓着になってしまうというのは解りますが、一度そうやってみて「自分は小説のことよりも周囲との関係の方が大事だ」と気付いたなら戻ればいいし、小説の方が他の何より大事だと思えたなら続ければいいし。 創作活動をするからと言って、絶対にプロにならなければいけないわけではないのです。 逆に、プロも仕事とは別に趣味としての創作をする人も沢山いますし。 創作に本気で取り組むと、作品を作り出すこと以上に、自分の中を深く探ることにもなりますよね。 今回のご質問の答えは、案外ご自身が創作に取り組むことによって得られるのかもしれませんよ。 答えは常に自分の中にあるものですから。 手探りというのは、一度始めると一生ついて回るものだと思いますので、いきなり大正解を求めずに色々やってみると良いと思います。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
文章を書くのは小説家ばかりではないでしょう?ジャーナリストだって文章を書くし、ミニコミ誌に地域の情報を書くのも文章を書く仕事のひとつです。 私も質問者さんくらいの頃に漠然と小説家になりたいと思っていた時期もありました。その割に古典や定番の小説を全然読んでなかったんだから、なれるわけないよね・笑。今思うと、妄想を芸術の域にまで高める小説家ってやっぱりすごいと思います。 今はこういうところで書いたりしますが、たまに「文才がある」といっていただけることもあります。自分でいうかね。なんか独特のリズムがあるみたいですね。 こういうところの書き込みもね、案外に役に立つこともあるんですよ。例えばここで回答をするときに「こういう書き方をすると誤解されるかなあ」と思うとやっぱり誤解されちゃうんですね。誤解されないような言い回しをすると、それが仕事のときに役立つこともあります。会議のときの発言に役立つとかね。 あと仕事で使う資料なんかを作るときにある種の文才も必要になります。別に芸術的で美しい文章ではなく、分かりやすい文章を書くということですね。 まだまだ、ハタチくらいなら自分の将来を固定して考えないで、むしろあれこれと手を出して経験を積んでおくといいと思いますよ。そうやっているうちに自分に合う、合わないってのが分かってきますから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 おっしゃる通り、文章を書く仕事にもいろいろあるし、「文才」というのにもいろいろあると思います。ただ最初に浮かんだのは小説家という道です。3歳の頃から本を読んでいましたが、それだけ強く惹きつけられたのだと思っています。 私はまだまだ悪い意味で自分本位の文章しか書けません。 将来を固定せず様々な経験を積むというのは大切なことに思えますね。 ご回答、参考にさせていただきます。
- Benifuki_3
- ベストアンサー率30% (68/225)
兎に角、書いてみる。 書きたいものがあるなら、書く。完結させる。 「完結させる」って、めちゃくちゃ難しいので、完結出来る根性があるかどうか、試してみては? 今は「捕らぬタヌキの皮算用」してるだけです。 やってみなけりゃ、始まらない。
お礼
ご回答ありがとうございます。 余計なことは考えずにやってみるのがいいんでしょうね。 短編を完結させたことはあっても、長編はないので、とりあえず今書いているものは終わらせるつもりでやってみようと思います。
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
趣味にすればいいんじゃないの? テニスが好きだからといって、テニスプレーヤーになる必要はないですし、料理が好きだからといって料理人になる必要もありません。 書きたければ書き溜めておけばいいんじゃないですか? 特に小説家なんてのは、年齢は関係ありません。 書いて、技が磨かれて、数十年後に世に出せそうなら出せばいいし、出せそうになければ出さなくてもいい。 それでいいでしょ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、そうかもしれませんが、趣味で終わらせたいような終わらせたくないような微妙な気持ちで、自分でもよく分からないのです。 本当にふにゃふにゃした質問とお礼ですみません。参考にさせていただきます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 分かりやすい例ですね。確かに違和感があります。 >自分に小説家としてやっていく力があるかどうかわからない。 作品も満足に完成させたことがない。 プロの評価も得たことがない。 だから…小説家になりたいという気持ちを自分の中にはっきり持つのは気が引ける。 自分の本心にかなり近い気がしました。今ある恐れやためらいの正体なのかもしれません。それと関係あるのかは分かりませんが、自由に、好きなようにというのがどうしてもできない。客観視が悪く作用しているのかもしれません。でもおっしゃる通り創作は内面を掘り下げることでもあると思うので、答えが見つかるといいなあと思います。 自分を客観視する力は必要ですね。小説家うんぬんに関わらず。 大変参考になりました。ありがとうございました。