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日本とアメリカ、どうしてここまで違うの?

日本の映画やドラマ(特に青春もの)って純粋な恋愛が中心に描かれて、主人公のひめた恋心の切なさが描かれてるものが多い気がします。それに比べてアメリカのドラマは複雑な恋愛が描かれてるものが多い気がします。(わたしが見ているジャンルの中だけかもしれませんが)それでいろいろと疑問に思ったので質問させてください。 1、やはり日本人の恋愛感はけなげに誰かを思い続ける女性の姿が美しいとされているんですか?それだとしたらなぜですか? 2、アメリカ人と日本人は恋愛だけでなく性格においてもなぜここまでちがうのですか? アメリカ人のあの積極的でストレートなのに対して日本人は控えめで。 少しでもいいんで、わかる方がいたらおしえてください!

みんなの回答

回答No.3

既に回答された方の内容に集約されていますが、日本では「鈴虫の鳴き声を愛でる」アメリカでは「ウルサイ!」となります。日本では「従うことが生きること」的な風土、アメリカは「闘うことが生きること」になります。先の太平洋戦争でも日本は「特攻・玉砕・一億火の玉・竹槍」で死ぬことこそ祖国に報いること。アメリカは兵士の犠牲は最小限に、兵器の優秀さ(最後は原爆)で勝つことが目的なのです。当時の日本軍将兵の戦いぶりが世界一であることは世界が認めるところです。最初から「死ぬ覚悟」なのですから。只、戦争は武器と武器の戦いであることと、戦略(情報戦)の部分が、哀しいかな7割です。しかし、これは日本が持って生まれた本質ではないでしょうか。メイフラワー号でアメリカ大陸に上陸して以来、広大な土地を我が物とし切り開いてきた民族と、自分達だけの価値観で長い歴史を生きて、幕末に追われるように開国した民族の違いでは。「従うことこそ全て」で正邪の主張はタブーの日本、「正邪とは何か」を明らかにし、かつそれを主張追及するアメリカ。そして資源の有る無し。二つの民族共、勇気と知性に満ちた人々です。そして二つの民族共、長い歴史を生きてきた(アメリカの本質はイギリスで生きていた時代の本質を包含している)のです。ひとつのコップがあります。日本では「私が使ってあげるから、あなた(コップ)の存在価値があるのよ」となり、アメリカでは「あんたなんかに使ってもらわずとも、私(コップ)は独立して神と繋がっているのだ。神と一対一で繋がっている私はそれだけで存在価値がある。私はあんたに使ってもらう以前に神の子として確固とした存在なのだ。永久に”使って下さい”などとは言わないから覚えときな!」となるのです。「相手や周囲の思惑を尊重しながら進める恋愛」と「自ら切り開くことが当然の恋愛」との違いでしょうか?

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.2

日本は、同じような人種が同じように生活 してきた歴史が長いのです。 だから、感情をストレートに出さなくても、 相手に通じる場合が多いのです。 それに対して、アメリカは人種、歴史、宗教 風俗が違う人々が集まってできた、歴史の 短い国です。 だからストレートに感情を出さないと通じません。 あの女性は控えめでよい、という人もいれば うじうじして気持ち悪い、という人もいるのです。 恋愛に限りません。 アメリカは自己主張しなければ誰も振り向いて くれません。 日本のように黙っていても解るなんてことはありません。 黙っていれば誰も解ってなんかくれない社会です。 うるさいエンジンには油をさしてくれる、という のがアメリカで、出る杭は打たれるのが日本です。

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  • josyua
  • ベストアンサー率41% (165/402)
回答No.1

歴史的ベースの違いだと思います。 日本では見合いという習慣が長く、結婚相手は自分で見つけるものではなく、親や親戚が選ぶものという認識が長い期間ありました。 「自分の結婚相手は自分で選ぶ」ということが本当にされるようになったのは、たかだかここ30年ぐらいのことです。 そのため、異性に対して積極的なことはいいことではなく、異性に飢えてる、恥を知らないみっともないことという価値観が長期間支配していました。 一方、欧米では結婚相手は自分で選ぶということが昔から常識だったため、異性に積極的にセックスアピールすることは恥でもなんでもなく、むしろ大人としてのマナーという風潮があります。 日本では美徳扱いされる「心に秘めた恋心」というのも、向こうでは「自分の想いを伝えられない=コミュニケーション能力に劣る」としてむしろマイナスの要素になります。

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