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辛い思いでから学ぶこと
過去の出来事で、思い出すと、とても悔しいこと、激しく怒ってしまうこと、胸を痛めてしまうことを教えてください。 その出来事の、いい面は何でしょうか。 そこから学ぶことができるとしたら、何でしょうか。
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No.4です。お礼ありがとうございます。 せっかくのご質問ページを愚痴っぽい書き込みで埋めてしまって、申し訳ありませんでした。 >良かったですね。むしろ、その事件があったことは、あなたにとって、いい出来事ではないでしょうか。 そうですね。人間ができていない私は、心が弱くなったとき、前職場での記憶を抹殺したいという衝動に駆られることもありますが、現在の仕事で、過去のつらい記憶がプラス要素として働いている部分は、確かにあります。 学べたこと、身についたことといえば、そこが一番大きいかも知れません。 実は、現在の勤め先では、何の因果か、人事関係の職務に就いています。 現場の従業員の内、ごく稀に、無断欠勤を幾日も続けたり、ひとこと「退職します」とメッセージを残したまま、正規の退職手続きも取らず、ドロンする人がいます。 現場の上司や周りの人事担当者は、そうした出来事を、「最近の若い者は何を考えてるんだか…」で片付けがちです。 前職場で退職トラブルを経験する以前の私であれば、そうした出来事を何気なく受け流し、トラブルを引き起こした張本人ばかりを咎め立てする風潮に、疑問を呈することなく同調していたろうと思います。 しかし、今の私は、自分自身がつらい想いをした経験から、一見、白黒つけやすい単純な事件のように思える人間関係のいざこざに関しても、自分のイメージだけで識別することをやめ、明るみにされないような、現場からの情報にも、公平に耳を傾けるようにしています。 その結果、現場監督者の監視の目が行き届かないところで、虐めなど不当な待遇が行われており、本人が極限状態に追い詰められていた事実が伺えたこともあります。 また、かつての自分と同じく、職場で冷遇を受けがちな社員が身近にいるのですが、やはり、他人事と思えず、周りが「あいつの言動は理解不能」と、匙を投げがちなトラブルが発生しても、「ダメ人間と烙印を押される側の人間にだって、それなりの言い分はあるはず」「意味もなく失敗が続くことなど、まず有り得ない」「必ずどこかに原因は潜んでいるはず」と、その人の性分について深く洞察できるようになりました。 その上で、出来る範囲で助言を行うようにすると、その人も喜んでくれ、逆に、私が行き詰まったときは、すすんで手伝ってくれるようになりました。 前職場での教訓を、苦い挫折の想い出だけで終わらせることなく、自分と同じように苦悩する側の力添えのために活用できれば…と考えています。 反省すべき点は改善できるよう努力し、過去の自分に胸を張れる自分自身を作り上げることで、いつかは、苦しい記憶に打ち克てる時が来ると信じています。 何より、前職場で紆余曲折を経験していなければ、社内で弱い立場に置かれがちな人間の苦悩を理解しようと尽力する心がけや精神的な余裕など、持てなかったかも知れません。 かつて、人事担当者によって、人生のドン底を味わった私が、現在、人事の仕事に携わっているのも、何らかの縁でしょうから…。 >様々なことにチャレンジすること自体が、大きな収穫といっていいのではないでしょうか。 そうですね。正直、前職場に安住していれば、まずチャレンジすることはなかったはずの分野です。 この週末は、久しぶりに、つらい記憶が甦った(※この質問とは関係ありません)こともあり、憂鬱に支配されたまま、練習を中断しかけていましたが、質問者様からのお礼コメントを拝読し、再び、やる気を取り戻し、練習を再開させました。 このサイトは本来、回答する側が質問者さんの励みにならないといけないはずですが、今回に限っては、回答に参加させて頂いたことで、逆に、質問者様からパワーを頂けた気分です。 また、No.5さんのお心遣いも、大変嬉しかったです。涙が出そうになりました。 質問者様のご質問のおかげで頑張れそうです。 本当に、ありがとうございました。
その他の回答 (6)
no5 です。 具体的に説明できるかはわかりませんが、 昔はこれでもプラス思考で人を簡単に信じて、物事に期待していたのですが、 悪い思い出が続くにつれて、 だんだんそれがマイナス思考になって人を信じなくなって、何にも期待しなくなっていきました。 そこから得たものは、世の中にいる人間がいい人間ばかりと思うより、悪い人間ばかりと思ったほうが損失が少なくて済むといったところでしょうか。 人を信じないことで、人から金を騙し取られたり、使えないものを買わされたり、利用されることが減りました。 何にも期待しないことで、期待通りにならなかったときの傷つき度が減り、何に対しても こんなもんだろう で済ませることによってある程度冷静を保つことができるようになっています。 ID変更を考えているので これにて失礼いたします。 no4の方に私などの言葉が何かの足しになったことが 今年初の良い出来事かもしれません。
お礼
回答ありがとうございます。 > 悪い人間ばかりと思ったほうが損失が少なくて済む 一理あると思います。 その貴重な知恵を生かして、同じように困っている人達の力になることができれるといいですね。 というよりも、すでに大きな力になってるのではないでしょうか。
過去の出来事でも今でも辛い思いしかありません。 不細工で見た目が悪く、私を見た人間のほとんどは 悪意に支配されるので 人間の悪い部分についてはかなり把握しているつもりです。 そこから学べたことなどたかが知れています。 この世は悪者向きに作られていることと この世は悪であふれていること 真面目な人間が嫌われ 信じるものは救われない 正直者が馬鹿を見て 努力するものが報われない この世はここまで終わっているということだけでした。 余談ですが No4の方が他人事だと思えなかったので 私はめったに押さないのですが、参考になった ボタンを押させていただきました
お礼
回答ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
補足
回答ありがとうございます。 > そこから学べたことなどたかが知れています。 学べたことを具体的に教えていただけますでしょうか。
- ライフ *゚+。(σ‐σ)。+゚*(@InTheLife)
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昨年、勤めていた職場をクビ同然に追い払われました。 上司や先輩からの言葉の暴力に、胃腸薬や睡眠薬を常用しつつ耐えぬいた結果、とうとう、自己都合退職を迫られる形で辞職することになりました。 退職後、会社から自宅宛てに、失業手当給付手続きに関する書類などが送付されました。 説明資料はコピーの使い回しで、書面の文字は殆どかすれ、白抜きフォントなどは完全に潰れた状態。 私の年代ならいざ知らず、定年退職者には、到底、読めたものではないだろうという代物でした。 私が同じ失態をしたなら、当時の上司や先輩から、人間失格とばかりになじられたはずです。 なのに、この程度の仕事に甘んじている社員は職を奪われることなく、会社で必要とされ、生活の場をキチンと確保できている…。 ボロ雑巾同然に捨てられた我が身を思うにつれ、また、悔しさと情けなさとやるせなさで、胸が苦しくなりました。 「自分だけが、どうして」──そんな風に他人と自分を比べては、後ろ向きで惨めな思考回路に嫌気がさし、また、新たな悔しさを繰り返す始末。 その後、再就職先を見つけましたが、収入は前職の半分ほどに激減しました。 退職前、このサイトで、質問を通じ、理不尽な解雇に対する悔しさをぶつけさせてもらったとき、何人かの回答者さんから「往生際が悪い」「恥ずかしい」「もういいじゃないか」といったご意見を頂きましたが、“そこまで言い切れるなら、あなた達も、私と同じ目に遭ってごらんなさいよ!”と、なりふりかまわず叫びたくなる自分が、正直、心のどこかにいましたね。 私が一体何をした。 確かに、お世辞にも聖人君子と言える人生など歩めていないし、これまで生きてきた中で、少なからず色んな人を傷付け、困らせてきたであろうことも重々承知してる。 だけど、どうして私だけが、心身共にズタズタに追い込まれるほどの暴言の日々に投げ込まれ、生活資金を強引に取り上げられ、匿名の相手にまでも嘲笑の洗礼を受けるべく境遇に追い込まれなければならないのか。 …と。 相手を傷めつける発言も、誤った情報さえも、言葉の勢いさえあれば、何となく正論のように通用してしまう。 己の弱みは最小限にねじ伏せ、相手の弱みを最大限に掘り起こせる手腕に長けた人間こそが、実力者と讃えられ、場を仕切って生き延びていく。 質疑応答の中で学び取った光景は、私の中の上司や先輩のイメージと、そのまま重なるものがありました。 これ以上、落ちぶれた自分に成り下がりたくないと、悔しさをこらえるものの、理不尽な想いは、なかなか胸中を去ることはありませんでした。 前職場の人々と顔を合わせることを極力避けるため、前職場とは逆方向、且つ、遠方の職場を転職先に選んで、早くも半年が過ぎています。 今は冬で、朝晩、星を見上げながら、会社と自宅の往復を繰り返す中、時折、あの頃の悔しさは、まだ胸をよぎります。 時の経過が何もかも想い出に変えてくれることを願っていますが、皮肉なことに、日々が過ぎるほど、悔しさの記憶はより深く、より鮮明に、胸に刻まれていくようです。 私はまだまだ、修行が足りませんね。 ただ、そういう瞬間が訪れたとき、私はイヤな自分を否定しないことにしています。 ありったけの負の感情を、全身で受けとめます。 そういう苦痛に身を委ねることで、「あのときの悔しさを二度と繰り返してたまるか」という、自分自身への闘志が、胸中に湧いてきます。 今の私は、様々なことへのチャレンジを余儀なくされていますが、私を前向きな自分へと駆り立ててくれる原動力は、間違いなく、当時、味わい尽くした悔しさに他なりません。 あの当時の苦悩が心身に浸透しているからこそ、「あのつらかった日々を思えば、どんな苦痛にだって耐えられる」と、空を見上げることができる自分がいます。 学んだのは、少々のことではへこたれない図々しさですね(笑)。
お礼
ありがとうございます。 > 学んだのは、少々のことではへこたれない図々しさ では今では、心理的に概ね良い状態ということですね。 良かったですね。むしろ、その事件があったことは、あなたにとって、いい出来事ではないでしょうか。 様々なことにチャレンジすること自体が、大きな収穫といっていいのではないでしょうか。
- zzz000zzzz
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クズニートがネット上にたくさんいること。 私の想像を超えてました。 思っている以上に多い事に、激しい憤りを覚えます。
お礼
回答ありがとうございます。 参考にさせて頂きます。
補足
回答ありがとうございます。 その問題の良い面と、 そこから学べることはないでしょうか。
- やっちゃん(@510322)
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おはようございます。 私が学生だった頃に家が倒産しました。 それまでは、人生は、お金があれば、ある程度の幸せ は、お金で買えると思ってました。 しかし、無一文になった時に、人の支え、人の恩、人の優しさ で、沢山の幸せ、ありがたさを知り、得ることができました。 恐らく、もし、自分が無一文にならなかったら、このような ことには、一生気づかなかったことだと思います。 生きるうえで、お金は、ある程度必要です。 しかし、お金で買えない沢山の幸せを、自分が置かれた状況で 知ることができました。 人間一度ぐらいは、無一文になって生活をすると、さまざまな ことが見えます。 そして、全てを失った時に、本当に何が大事かということが見えると 思います。
お礼
ありがとうございます。 おっしゃる通りですね。 私も、自分のだらしなさから、お金に困ったことがありますが、 そこから学んだことは多いと思います。 また、対人関係の躓きによるショックも、結果的には多くのものを与えてくれました。それに感謝すべきなのでしょうね。
二度と同じ思いをしないためには、 こうだってことでしょう。 たとえば、失恋したことをきっかけに 自分の性格を改めたり。 これ、ぼくですね。
お礼
なるほど、そうですね。 ありがとうございます。
お礼
再度の回答ありがとうございます。 私が求めていたものが得られたように思います。 > つらい記憶が甦ったこともあり、憂鬱に支配されたまま、練習を中断しかけていましたが やはり、辛い思い出が甦ったとき、この質問をすることは有効な場合が多いことがわかりました。 回答者様の貴重な体験を、詳細に教えていただき、大変参考になりました。他にも、参考にされる方が少なからずいると思いますので、大変有意義な回答と思います。 私もとても辛いことがあり、その苦しみから逃れようと試行錯誤しているところですが、その過程で様々な良書、尊敬できる人達と出会うことができました。とてつもない財産だと思っています。 中でも一番大切なものは、責任を持つことと、相手を理解することだと思っています。これらは一生の宝になると思います。 回答者様の、周囲の人を理解する気持ちは、何者にも代え難いものだと思います。参考にさせていただきます。 ありがとうございました。