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好きになるってなんでしょう?
■まず、「普通に人を好く」のと「恋する」は違うような気がします。前者は「いい人」「ええやつ」を好きになるでしょうが、後者は「悪女」とかにでも恋しうる。 ■「映画に恋する」とか言いますが、基本的にメカニズムとして「人に恋する」のと同じようなきがします。対象がものであれ人であれとにかく魅力的なんですね。 ■恋することが「魅惑される」ことであるなら、「容姿の美しさ」はもとより「お金持ち」「背が高い」などの理由も否定されることはないのではないかと思います。 ■一般的に恋愛の延長線上に結婚がありますが、どうもしっくり納得できません。だって「魅惑される」と「共同生活」に連続性がないからです。「共同生活」は「会社」同様「社会的」です。本来「面接」「技能検査」などが「魅力」よりも優先されるべきではないかと思ったりして。 ■しかしそうではない理由はセックスの結果の出産があり、やはり結婚は「子育ての為の機能」であり「共同生活」というのは二次的な意味なのかなと思います。 ■さて、顔です。顔の好みは自分でも明らかにありますが、これはどういう理屈なんでしょうか。鼻が高かったり目が大きかったりするのが一般的には美女であったり、逆に好みに個人差が見受けられたりするのはなぜでしょう?会うだけでドキドキしてしまう顔があるのはなんなんでしょう? ■「恋」は尊いものとされていますが、いずれも、個人的には「すごーくしょーもない理屈」で成り立っているような予感がしています。例えば大事故に居合わせた男女が恋することがあるそうです。なんか「怖い」と関係あるんでしょうか?「やくざがもてる」とかも関係あるのかな。 質問がぼやけていますが、お語りをお願いします。
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再び登場させてもらいます!(笑) >僕の中で「現実」と「恋愛」は全くセパレートされている感じがします。ちょうど「マトリックス」と「ザイオン」のように。 うん、まさにマトリックスって感じです☆ >「共同生活は自分にあった人」「恋は自分と違う人」 これはすごく分かります。相性が良い人といると穏やかな気持ちになるけど、それだけになってしまうんです。 まるで熟年夫婦のような感じに!(笑) そういう人といると自分が自分でいられるような気がします。 でも >恋は「自分にないもの」に魅惑されるのならはなから相性のあわない人こそ対象なのかもよ? と言われている通りで、恋している人と一緒にいると逆に自分が今までの自分でいられなくなってどんどん変えられていくような気がします。 >「いけるかもしれない」と思わせる「思わせぶり」により、スイッチが入ることになる。 これは言えますよねぇ~。「思わせぶり」な態度を取る人は確かにモテます!☆ 「いけるかもしれない」と思えないと憧れで終わってしまう・・・。 やはり恋をしていて「私なんか絶対無理!」なんて口では言っていても心のどこかで 「でも、もしかしたら相手も・・・!?」なんて思えるからこそ恋する自分に酔っていくんでしょうね。 >そもそも「社会の中での役立たず」の恋なんて「どうでもいい」と言い切れるんだけど、でも、ドキドキするのはなんて素敵なことなんだと思ってしまうんですね。 そうですね!やっぱり恋はドキドキときめくものであって欲しいです!!( *^)/☆
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- sayaka_16
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>好きになるってなんでしょう? 本当に私もこれは何度も自分に問いただしたくなります。 >まず、「普通に人を好く」のと「恋する」は違うような気がします。 私は実際に2人の男性を比べたときにこの意味がすごく分かりました。 1人は私のすごく好きなひとで「恋する」もう1人は「普通に人を好く」という感じ。 後者の彼の方が理屈的には上でした。顔もいわゆるモテ顔で私との性格の相性もすごくよくて・・・。 でも彼は私にとっては女友達といるのと何故か変わらないのです。 一緒にいると楽しいんだけど、もっと一緒にいたいと思わないと言うか・・・。 それに比べて前者の彼にはすごく会いたくなるんです。 すごくときめきます。 >恋することが「魅惑される」ことであるなら、「容姿の美しさ」はもとより「お金持ち」「背が高い」などの理由も否定されることはないのではないかと思います。 難しい話ですけど、確かに相手がお金持ちであったり 学歴が高かったりするとそれも恋する助けに なったりしますね。 >顔の好みは自分でも明らかにありますが、これはどういう理屈なんでしょうか。 これはホントよく分かりませんね。十人十色というか・・・。 でも人の好みは相手が変わっても自分が好きになる人間の両目の間の距離などが一緒というのを 聞いたことがあります。 ちなみに私の場合は両目が少し平均的な位置よりも離れた位置にある顔が好きみたいです。(^^l)
お礼
ありがとうございます。 うん、問いただしてみたくなるんですよね。僕の中で「現実」と「恋愛」は全くセパレートされている感じがします。ちょうど「マトリックス」と「ザイオン」のように。両方とも自分なんだけど、全く役割が違うというか。「恋する自分」と「社会での自分」は全く別人なんです。社会的には恋は僕の生活にとってなんの役にもたたないんですね。恋したって一銭にもならない(笑)。sayaka_16さんのおっしゃる例はわかりやすいですね。いっちゃいけない事かもしれないけど、「共同生活は自分にあった人」「恋は自分と違う人」と乱暴ながら言い分けられないでしょうか?そうすると全く反対のタイプとなってしまう。だって、共同生活はパートナーだからな。恋は「自分にないもの」に魅惑されるのならはなから相性のあわない人こそ対象なのかもよ?。「違和感」こそ「ときめき」かもしれないから。まーそんな一言ではいえないですけどね。 恋は「貴重感」とも言えるのかな?。「この人は貴重だ」という感覚ね。「他と違う」って感じ。であれば、「地位」とかもファクターとしてありうる。又、あまり「もてない」人にとっては「自分のことを好き」というだけでファクターになりうるかもしれない。それが貴重だと思えるなら恋の始まりではないか。 顔も本当に恋する人は個性的な顔してますね。単に整ってるだけでは「貴重感」を感じないかも。 あと、凄く恋しそうな相手でも「相手にされるわけない」とか思ってるうちは恋に発展しまへんな。なんか、スイッチみたいなものが自分の中である。「いけるかもしれない」と思わせる「思わせぶり」により、スイッチが入ることになる。だから、もてる人ってのは「思わせぶり」なところもなければならないんじゃないかな。意識・無意識は別として。 「会いたくなる」ってのはいい表現ですね。それこそが全てを超越した「恋してることの証明」かもしれない。その一点だけでいいんですよね。 そもそも「社会の中での役立たず」の恋なんて「どうでもいい」と言い切れるんだけど、でも、ドキドキするのはなんて素敵なことなんだと思ってしまうんですね。
- phiphi
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○恋愛の延長線上に結婚がある…互いに長く一緒にいたいと思い、そのためには共同生活が必要。魅力の中には、「面接」「技能検査」が含まれている。 ○共同生活…出来ちゃった結婚の人にとっては二次的な意味ですが、そうでない人は違うと思います。 ○顔の好み…育った環境によると思います。(例えば母親の顔と似ている人が好きなど。) 鼻が高い・目が大きい人が美人といわれるのは時代の影響が大きいと思います。平安時代の美女は現代ブス、ということもありますし。 会うだけでドキドキしてしまう顔というのは、ある程度心理学的に解明されている、と本で読みましたが、私が覚えている例はエッチな例なのでここでは書けません。すみません。 ○恋は、私も「すごーくしょーもない理屈」で成り立っていると思います。 大事故に居合わせた男女が恋したり、一緒にジェットコースターに乗った人に恋をするのは「吊り橋効果」です。怖さのドキドキ=恋愛のドキドキ と、自分で錯覚してしまうのです。
お礼
ありがとうございます。恋愛と共同生活はなんか一致しないんですよね。つまり、すっごく相性の悪い人に魅惑されることもありうる。本当に恋したら、共同生活なんてどうでもよく思えたり。例えば、「恋する事」と料理や家事や、もっと大事な経済的な感覚のまともさがあるかどうか、なんてのは全くリンクしてないじゃないですか?。恋するって社会と全くリンクしてないと思っちゃうんですよね。社会的になんの役にもたたない。しかし、にも関わらず「恋は素敵だ」と思えるのですよね。 鼻が高いとかは時代の影響ですか。うーん。どういう影響なんだろう。直感的に好き嫌いがあるけどなあ。 会うだけでドキドキしてしまうのは確かにエッチなことと関係があるかもしれない。 つり橋効果はあると思うんですよね。僕も、以前女性を怒らせて、その時なぜか恋してしまったんですよね。後で考えたら、怒らせたときの「ドキッ」とした感覚が恋に摩り替わったんだと自覚しました。 恋は「ショック」の一種かもしれませんね。
お礼
自分が自分でいられるのと自分が染められていくのはどっちがいいんでしょうかね?(笑)。後者は困るんだけど、前者は恋愛としてはつまんない。でも基本的には自分は自分でいなければならないよなあ。 あと、「好きな人には好かれない」の法則もありますよね。それはやっぱり自分よりレベルの高い人を好きになるからではないでしょうか。相手からしたらこっちが下だから。そら報われないわ(笑)。そういう「レベル」みたいなものと、「いけるかも?」というのは同じ問題なのかもしれないですね。